悟る、ということ

悟った、

霊体験、

不思議体験、

といったものは、

人様に言うものではない。

人様に言いたいとき、

それは、

心のどこかに_

自分は

特別体験をした、

聞いてほしい、

認めてほしい、

すごいね、

と言ってほしい、

と思われたい煩悩があるということ。

悟ることは、

特別な人だけに起こることでもなく、

何かの「認定」ではない。

まして、

神様からの認定で

あるわけがない。

目に見えない経験というのは、

自分の心の宝物。

体験した感動により、

奢る(おごる)のではなく、

それを日常に活かすことこそ、

本筋というものであろう。

悟った、悟ったと誇示したくなる度に

その輝きは 失われる。

悟った、悟る、

という意識を忘れて、

そういったこととは無関係に、

日々を精一杯生きていく、

誰かのために生きていく、

その姿こそが、

私たち「人」として

生まれてきた意味に通じる。

知れば知る程、

自分の未熟さを知り、

無知を知る。

その未熟さや、

無知を知ることが出来て、

ああ、

良かったと思える。

思いやりを込めて、

丁寧に毎日を生きることが

最高のしあわせ。

合掌

ミディアム アガサ
~天国からのメッセージをお伝えしています~
霊界通信 霊通信 スピリットメッセージ

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