助けを求めてるのに

いじめによって 自ら命を絶つのは

痛ましい。

物質ばかりが豊かになり、

心が貧しくなってしまった日本。

真の強さの意味が薄れてしまった

のだろうか。

子どもが、

助けを求めているのに、

どうして、

真摯に受け止めてあげないのだろうか。

我慢している姿を知っているのに、

プライバシーだ、

なんだかんだと、

もっともらしい理由を正当化させて

なぜ、

瞳の奥を感じてやれないのか。

それほどまでに、

鈍感な社会になってしまったのか。

目の前にいる困っている人さえも

区別が、つかなくなったのだろうか。

悲しみのオーラ、

苦しみのオーラは、

誰の目にとっても

はっきりわかるのに。

楽しいオーラや

儲かっているオーラを出している人にしか

近寄っていかないのなら、

気の毒すぎる。

周囲に、少しでも、

心のある大人が居なかったのだろうか。

と、

ここで言ったところで

何にもならない。

どれほど、

苦しかっただろう。

どれほど、

長い長い間、

痛み、苦しみ、

恐れ続けたのだろうか。

苦しみの1分は、

永遠の時間のように

感じる。

・・・胸が張り裂けそうだ・・・

日本という国は、

何か起こってから、

注目され、

そして、

サッと消滅していく。

命を、

心を、

何だと思ってるんだ。

原発のことにしても、

子どもたちのことにしても、

何にしても、そう。

守らないといけないことを

利潤だけで判断してしまう。

私利私欲に結びつかなきゃ、

無視され、

無関心や、

大丈夫だと思った、

想定外だ、、、

等と、いとも簡単に、口走る。

しかも、

関連のある大人たちに。

心のある人達だって

たくさんいる。

心ある人達の声が反映される世の中に

なっていくと信じているけれど、

あまりにも惨い(むごい)じゃないか!

もう、

子どもたちが泣いて

心を砕くのは、たくさん。

私たち大人は、

親は、

子どもに残せるのは、

形のないものしかないんです。

どこの学校に行く、

点数が何点、

何か特技を持つ、

名の知れた大学に入る、

名の知れた会社に入る、

そんなことばかりを

子どもたちに追い求めていたら

えらいことになります。

子どもにばかり、

あれしろ、

これしろ、

と言わないこと。

言う前に、大人たちが

示さないと。

器用に、要領良く生きなくていい。

愛情、思いやり、

困っている人を助ける。

それが、真の強さ。

いじめることが強さではない。

いじめは、心の病んでいる者のすること。

正しく生き抜くことを

伝えることしか、

親には出来ないんじゃないですかね。

どうか、

背が高くなったから大丈夫と

思わずに、

言葉が話せるから大丈夫だと

思わずに、

周囲に寂しそうにしていたり

悲しそうにしている人が

居たならば、

心をかけてあげてほしい。

黙っているのは、

人に言えないほど、

伝える言葉がないほど、

辛く、

苦しく、

悲しいのです。

本当に、辛い時って、

悲しい時って、

無言なんだもの。

言葉が、出てこない。

該当している学校の方々、

教育委員会に問いたい。

なぜ、あなたは、

教師になりたいと思ったのですか?

教員ではなく、

教師であって頂きたい。

人員ではない。

子どもたちには

「師」が

必要なのです。

悲しみのうちに、

苦しみのうちに、

絶望のうちに、

命を絶った全ての方々の

ご冥福を心からお祈り致します。

あなたが、

迷うことなく、

天国へ(霊界へ)

辿り着けることを祈り続けます。

心から
合掌

アガサ

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