良いエネルギーは
良いエネルギーは・・・
という表現が 適切かどうかは
わからないけれど、
今回はそう呼ぶことにします。
良いエネルギーは、
決して強くない。
ジンジンしたり、ピリピリとはしない。
ふわ~と 柔らかい 優しい
空気のような そんな感じがします。
いつまでも 包まれていたい感じ。
強いエネルギーには、
どこか「我欲」が感じられる。
人当たりはいいけれど、
何か不自然な感じ。
とても面白いんだけれど、
何か奥でうごめいている感じ。
話し方は上手いけれど、
言葉に重みがない感じ。
身振り素振りはフレンドリーだけど、
瞳の奥が冷たい感じ、
など。
逆に、
人づきあいはよくないけれど
言葉をあまり話そうとしないけれど、
何故か 落ち着いてくる・・・
ただ その人との空間に浸っていたくなる・・・。
おわかりになりますか?
この違い。
「 ああ、そうだ。」と
頷いていらっしゃる方も多いでしょう。
強いエネルギー = 良いエネルギー
では、ありません。
活気がある = 良質
とは違う。
わんさか人が集まる = 本物
とも違う。
肉耳、肉眼の判断が100%ではない、
ということ。
口先では、綺麗なことを言っていても、
掲げられた「看板」がどんなに良さそうに
表現されていても、
真実とは かけはなれている場合が多いです。
当の本人さえも、自分の我欲に気づいていない
場合だって あるのです。
肉眼で見えること、
肉耳で聞こえることは、
いかようにでも
脚色、演出できるのです。
本当に 良いエネルギーは、
ちょっとやそっとでは、見抜き難い。
なぜなら、目立たないから。
そうだからこそ、質の良さが保てるのです。
良いエネルギーがあっても、
人がどどっと押し寄せると、薄くなります。
美しい大自然を想像されたらお分かりになると思います。
人が次々と押し寄せると自然のみならず、空気さえも乱されてしまうのです。
我欲と光のエネルギーは全く異なります。
前者は、人混みに存在し、
後者は、人混みには存在しない。
良いエネルギーは
静かに深く、心にしみます。
目立つ必要など全くない良きエネルギーは
ひっそりとただ存在しているからです。
アガサ