愛しいわが子を描く

ある方から、絵のご依頼を頂きました。

ご家族の写真を飾れる人もいれば、

そうでない人も、いらっしゃいます。

私は、どちらの方の思いも 分かります。

私なりに経験していますので、

写真を見れないお気持ちも、分かるのです。

無理しないほうがいい_

そう 思っています。

『 写真を 見れないのです 』

そのことを何回かお話下さいました。

絵のご依頼を頂いた時、

ふたつの思いが複雑に絡み合い、

駆け巡りました。

ひとつは、お受けしようという思い。

もうひとつは、

描いた絵をうけとられた時のお気持ち。

見たいような、見れないような・・・複雑な心境になられるのではないか。

交流当日の朝、

愛しいご家族は、髪型について見せてくださいました。

懐かしい、あるシーンも見せて下さいました。

私まで、楽しくなるような、微笑ましい記憶。

一瞬、私の記憶か?とも思ったほどです。

( それは あり得ない。)

お約束の時間になり、交流を始める前に、

朝起こったことをお伝えしました。

髪型については、以前はそうでしたと教えて下さいました。

懐かしいシーンにも、その通りです、と懐かしそうにおっしゃいました。

思い出というのは、写真でなくても

心の中に しっかりとあるもの。

いよいよ、その時を迎え、伝わってくることをお話しながら、

確認を頂きながら、同時に、絵を描いていきました。

もちろん、下書き。

まるで、思い出話のような時間でした。

そして、しばらくお時間を下さいとお願いして、

スカイプを終えました。

しっかりと時間をかけて仕上げたい。

どれだけ、心をこめて描いても

心が余る、ということはありません。

ようやく、絵が仕上がりました。

光あふれる笑顔。

今も、生きてるんだから!

そう語りかけてくれているようでした。

子どもの顔というのは、不思議。

ある時は、お父さんに似て、

ある時は、お母さんに似て、

また違う時には、目がお母さんに似て、

また違う時には、口元がお父さんに似たり。

ご依頼下さった方と私との間にある、

互いを思う、思いやりと信頼。

だから、お受けしました。

そして、言葉には出来ない、大切なものを頂いた。

” おじいちゃん、ありがとう!”
絵の楽しさを教えてくれたのが祖父です。
子どもの頃、私が高熱を出す度に、ぬりえを買ってきてくれました。
塗り方も教えてくれて、嬉しかったです。
絵の才能があった祖父でしたが時代が時代だけに家業を継いだ祖父。
静かでとても地味な人でした。いつもいつまでも大好きな祖父です。

アガサ

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