いつか
心が苦しい、悲しい時。
人によっては、
慰めの言葉にさえ、苛立つことも
あるかもしれません。
苦しいのは、自分ひとり。
悲しいのは、私だけ。
どうせ、ありきたりの慰めの言葉を
言ってるだけなんだから・・・etc
と、まあ、書けばキリがありませんが
これは誰しもこう過った経験が
おありだろうと思います。
特に、家族や身内からといった、
自分と近い関係や距離にある人達から
言われると、余計に反発するものです。
でも、ちょっと考えてみて。
確かに、悲しいことや辛いことは、
身に起こった本人が ” 直接的体験 ” します。
この世の中、
直接的体験で済まされる世の中では
ありません。
関節的な体験であっても、
当人の悲しみや辛さというのは
周囲の人・・・特に、家族に
非常に大きな影響を与えます。
繊細な人が家族にいれば、
知人やご近所さんにいれば、
当人以上に、悲しみや辛さが
長引き残ってしまうことも、
現実 あるのです。
大切な人を、
家族を失う ということは
とても悲しく、辛いもの。
それだけ ” 大きな存在 ” なのですもの。
仕方ありません。
命というのは、それだけ尊いもの。
悲しみが続くあなたを
辛さが続くあなたを
見守り、慰めたいと願っている
ご家族もまた、
とても悲しく、辛いものです。
葛藤もあり、複雑な思いで おられます。
悲しむな、というのではありません。
辛くない、というのでもありません。
悲しいこと、辛いことを背負うからこそ
いたわり、ねぎらい、思いやりの心が
育つのだと思います。
苦しい時、悲しい時ほど、
世の中をみること。
世の中で起きていることを
見聞きすること。
悲しくても辛くても、心を腐らせてはいけない。
いつか、きっと別のものに変わっていくから。
数ヶ月前から顔を見せてくれるようなった、野良ちゃん。
とても可愛い女の子です。時折、遊んでくれます。
お天気が悪い日は、とても心配。健やかに生き抜いてくれることが私の祈り。
ドキッとする内容でした。
大切な人を亡くすと、こういった状況になることが多いのでしょうか?
苦しいし、難しいですが、少しずつ、取り組んでいこうと思います。
大切な人の他界を経験する_ これは誰もが経験することです。
人それぞれ性格が違うように、感じ方もさまざまです。
皆、そうなるとは限りませんので、ご安心下さい。
最愛の人を亡くすというのは堪え難い苦しみと悲しみです。そうした方々に少しでも、最愛の人の思い(愛)をお伝えすることができればと日々奮闘しております。
自分の感情と向き合うことは、誰にとっても難しいことです。
苦しいのは、自分ひとり。悲しいのは、私だけ。以前はこの言葉に違和感を感じてました。アメリカに住んでた頃、アルコール依存症の会を見学しました。みんなが椅子を丸くして囲んでいる、よく映画で見る1シーンです。一人一人話を聞いていったのですが、私にとっては「しょーもな」でした。そんなことで依存症か!って。でも、聞いているうちに気づいたんです。自分の杓子で人を判断してることを。私にはしょーもないのですが、その人にとっては地獄の苦しみです。どんな親から生まれてきたのか、今までどうすごしてきたのか、全く同じ人生ってないんですよね。だから、私は「自分だけが辛いし悲しい」そうなのかもしれないと思いました。
私は鬱病発症、そして死別を経験して、考え方も価値観も変わりました。
家族にまで影響するってところは、私の場合では当てはまらず、同居の妹家族からはその部分は完璧に無視されてます。私が悲しんでてもなんとも思わない。葬式の日もリビングでテレビを見ながら大声で笑って食事を楽しんでいる。隣の部屋で私が泣いていてもです。1年後には姪っ子に「ひきずりすぎなんじゃー」と罵倒され、この家にもいたし、これから先も住むことになっていて、ほぼ私にとっては夫なのに、「家族じゃないんじゃー」とも言われる始末。 寄り添うという気持ちは皆無です。義弟からはさっさと彼のもの捨てたらと言われるし。この妹家族との同居はストレスの一因になっています。
心ない言葉。
心が無い、わけではない。
ただ、その経験がないだけではないか、そう思います。
皆、他の人のことは何とでも言えるんだよなぁ〜と思います。想像力の欠落なのか、経験をしていないから、なのかそこは分かりません。私の苦手な言葉に「悲しみに寄り添う」という言葉があります。自分はへそ曲がりなんで、「寄り添うって、なんか嘘くさい」と思えるんですね。苦笑
寄り添うつもりなんて、全くないのです、私には。 相手の空気、心、気持ち、感情といったものが自分に流れ込み、「辛いな・・・悲しい・・・」、「嬉しい!幸せ!」と疑似体験してしまう。それでも、当人の悲しみや苦しい、切なさ、恋しさには至りません。
自分にとっては、些細なことでも、相手(当人)にとってはそうではない。
ほぼ似たような境遇を経験しても、ひとりひとり、感性も考え方も違うので、感じ方はもちろん違います。
多くを知らされる、多くを経験するほど、相手にかける(かけたい)言葉は数少なくなってきます。 自分の感情や考え方を辛い状態にある人に言えるのは思いやりでもなんでもなく、ただ、自分の感情を早く処理したいだけの我欲だと私は思えるのです。
わかる人にはわかり、わかる人は言葉が少なめで、地味な行動のなかに温かみや温もりがあると思います。 人を心から愛することは、幸せ度も悲しみ具合も深くなります。言葉では表現できないほどです。