最愛の伴侶
先日お越し下さった方は、
最愛の奥様を見送られました。
最愛の家族を亡くす。
この苦しみや悲しみは到底、
言葉や文字にはあらわせません。
お気持ち、わかります・・・
とも言い難い。
針のむしろの上を歩くような日々、
それを歩いて会えるのなら、
歩かれるご家族が多いことでしょう。
遅かれ早かれ、誰しも経験します。
他界後、非常に間もない方との対話でした。
その方の状態を見ながら、常に見ながら、
慎重な交信でした。
交信による対話で話してくださったことは
どのような些細なことであっても、
お伝えしています。
中盤で、
非常に大切に思っておられることを
話してくださいました。
その通りにお伝えをしたものの、
「 ○○○のことでしょうか。
それなら確かに贈りました。」
とご協力くださいますが、
どうも、私はしっくり来ませんでした。
「う・・ん、それとは違いますね・・・もっと・・・」
と言いながらも、それはその場で
突き詰めませんでした。
他にも、奥様からの思いや思い出を
お話くださいました。
奥様が私と重なり具合が増し、私は
自分が話している言葉も遠くになりました。
しばらくしてから、
ご依頼人さんからメールを頂きました。
「 思い出したことがありました。」
と知らせてくださいました。
具体的な内容は書くことは控えますが、
先日の符号させなかったことについての
ことを書いて下さっていました。
それは_
奥様の最初の月命日に起こったこと。
奥様とご依頼人さんとしか
知らないこと。
そのことを、
< あのことを覚えてる?あれは私よ。>
と念押しする意味で、私にそう
伝えさせようと思われたのです。
でも、
一番良い形で伝えられたと
思いますよ、私。
ご主人が、あとから、
ああ、そうか
と気づかれたのですから。
霊媒を介してではなく、
後から、ご本人同士で符号する_
私は最高の伝達方法のひとつだと
思います。
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妻も亡くなってから、間もないのに一生懸命、
私のために来てくれたんだと思います。
今も妻は傍にいる。
涙が枯れることはありませんが
永遠に妻の魂と一緒にいたいと願う、
私の生きる支えになりました。
妻が寂しい思いをしているなら、
一日も早く妻のいる世界に行って
守ってあげたい。
そんなことばかり考えていました。
妻が無事にいることが判って安心できました。
N様
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