普通のお金ではない

ご本人さんには個別にご連絡をしています、

寄付について書かせて頂きます。

なぜ、書くのか?

と申しますと、別段、特別なことだと

思っていません。

自然な行いとはいえ、

目の見えないことに関してのお金の

行方というのは非常に不明瞭だからです。

霊媒の私は、料金を設定していません。

これには経緯や理由や信念があります。

信念というのは、口外するとチープな

ものになりそうなので やめておきます。

ご依頼くださる方々から、

お礼をくださいます。

身にあまる場合には、

毎月支援とは別に

「都度寄付」をしています。

身にあまる分を身につけてしまえば

人間、欲がわいてきます。

渡英や渡米するための資金に

使うわけには参りません。

贅沢するためには使えません。

一番良い方法は、

困っているところで活用して頂くこと。

ご本人さんには、以下のような内容を

メールにてお知らせしています。

・寄付先、寄付金額、寄付名

・領収書をメール添付してご報告

これらを終えて、一段落つけます。

繰返しになりますが、

「目にみえないこと」に携わることで

頂いたお金は、

すべて霊媒等が頂くものではない_

そう考えています。

普通のお金ではない
からです。

お心を頂くのですから、

弱い立場にある命へと繋げるのが

本望と考えています。

昨今、「寄付しています」というのを

よく見聞きします。

表向きだけのことであることの方が

多い世の中となりました。

情けない限りです。

” 言うは易し。行うは難し。”

ということでしょう。

人の善意で私腹を肥やすことほど

情けなく、浅ましいことは

ありません。

寄付というのは、

余っているからするのではない、

そう思っています。

自分が食べる分を分けることを

寄付だと言えるのです。

身を削るからこそ、頂いたものが

活きてくるのです。

私自身の性格と考えと言葉と行いが

一致していることで、

私に考えうる、出来る精一杯の誠意は

交信の時にお越し下さったご家族に

きっと、喜んでくださると思うのです。

信頼とは、

そういう地味で地道なことの積み重ね_

そう思っているのです。

アガサ

+3

2件のコメント

  • 寄付をすることは大変良い行いですが、そこには愛がくっついていないととおもいます。
    鬱病発症のきっかけを頂きました、パワハラ社長が寄付するからいい所を見繕ってくれと女子社員に命令。
    なんで寄付?と思ったら、税金対策&人への心証。
    その会社のホームページには、寄付先のリンクを貼っていて、ここに協力していますみたいな、あざといアピール。
    本当の事情を知る社員には汚いやり方とわかってますが、ユーザー側からは素晴らしいと褒められるのでしょうね。
    アガサさんと同じ想いが少しでもあるならいいけど、ただのエゴに寄付を使うのは情けない行為です。

    • みちる様
      コメント、ありがとうございます。
      おっしゃる通りです。「寄付をする=善」ではないと思っています。そして、善のイメージをつけたいが為にすることではありません。私自身が寄付をするということについて、いろいろと自問しました。というのは、寄付するというのは誰にでも出来ること、寄付することでメリットもデメリットも発生する、からです。デメリットはもちろん、人の善意を食い物にし、商品扱い(動物たち、自然、命)した”私腹肥やし”ビジネスということです。ですから、寄付先の活動内容に少しでも?というのがあれば、即、止めます。
      本来は、寄付は不要。ひとりひとりが良識をもって心をもって生きることを心掛けていれば良いのですけど。まあぁ、人間というのは、欲深いもんですから、なんだかんだきれいごとを言って団体を作り上げるのだと思います。遠いどこかに寄付することで満足するのではなく、まずは、自分の身の回りから。まずは、自分はどうか?というところでしょうか。本当に善いことというのは、広まりにくいものです。良い行動というのは広める必要はないと思います。自然と伝わっていくので良いのです。アピールなど不必要です。

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