死ぬ気で生きる

” 自分には 生きている価値がない。”

様々なことが起こり、

深い悲しみと孤独感にさいなまれ

私たちは 心の行き場を見失った時に

そう思います。

事情は、人それぞれ。

その理由や事情に 差などありません。

苦しくなると、

長きに渡ってくると、

出口がないように思われてきます。

一生このままか・・・と思えてきます。

そうして、

何かのせいにする、

誰かのせいにする、

自分のせいにする、

といったことに考えてゆきます。

そうして、

ある考えがよぎります_

” 自分には生きる価値がないのではないか。”

と。

私も 過去にそう思ったことがあります。

その考え(感情)と同時に

自分の心の片隅にあるのは、

” この苦しい状態から 誰か

誰でもいいから 自分を救ってほしい ”

という感情。

そんな時、もうひとりの私は

こう言ってきました_

” 死ぬ気で 生きろ。

悲劇のヒロインみたいな感情に

ふりまわされるな。

世の中、もっともっと辛い人達がいる。

その人達は皆、そう思っているか?

腑抜けか?

死ぬ気で 生きてみろ。”

これが正しいとは思いません。

でも、当時の私にとっては

その通りだと思えました。

人それぞれに 考え方があり、

感情があります。

言葉ひとつにしても、

受け取り方(感じ方)が

違います。

自分がそうだったからといって

他(家族も)も同じように考え、

受け取るとは 限りません。

友達同士であっても、

恋人であっても、

夫婦であっても、

親子であっても、

違う人間だということを

忘れてはなりません。

尊重することは 地味ですが

非常に大切なことと思うのです。

家族だから、全てを分かち合う_

それが、普通であり、当然であると

思うことは 場合によっては

難しいでしょう。

相手を尊重する。

これは 言葉で言うことは簡単ですが

現実は 一朝一夕では到底無理。

頭で理解できることでも、

心から理解しているとは

言えないのです。

相手を理解すること、

最愛の人を理解することは、

時に

自分の願望や感情とは

違うことが あります。

この世にいながら、

肉体を持ちながら

他界のことを すべて理解することは

この世の人間には

到底 無理だと思っています。

私自身、そう思っています。

だからこそ、

畏敬の気持ち、

尊重すること、

感謝するという真意、

真心、

誠実、

思いやり、

慈悲、

慈愛・・・

こうしたことの難しさと有難さが

交差します。

死ぬ気で生きる。

生きることは、容易いことでは

ありません。

でも、

誰かを愛しているのなら、

誰かが自分を産んでくれたのなら

その分、生きなきゃ。

天国に居る家族を心から

大事だと言うのなら

そう思うのなら、

愛していると思うのなら、

生きて

生きて

生き抜いて欲しい。

何かをする価値などない。

何かでいる価値などない。

そんなことは、

自分が決めることではない。

価値なんて、

人によって

時代によって

国によって

尺度が変わるもんです。

今、辛いあなた。

死ぬ気で 生きてほしい。

命を大切にしてほしい。

私があなたの親ならば、

あなたの子ならば、

あなたの夫ならば、

あなたの妻ならば、

あなたの兄弟姉妹ならば、

あなたの愛犬愛猫ならば、

そう願う。

やっぱり

しあわせになって欲しい

そう願いますよ。

天命を全うしたその時には

必ず 迎えに行くからって。

愛しか 伝えられない

ですよ。

愛を伝えたいでしょう?

残してきた家族を励ましたいでしょう?

それが愛ですもの。

悲しみでは繫がらないのです。

愛で繫がっているのですから。

アガサ 葉山在住 霊媒 Agatha
~天国の人々の思いを伝えています~
霊交信(霊界通信)公開霊視

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