祖母からの言葉

数日前に、うぐいすの可愛い鳴き声を聴き

うっとりし、花粉症の症状と共に春の訪れを

実感しました。

今朝も、いつものように洗濯物を干し中に

( 言っておかないといけない・・・)

そんな気持ちに 突然 なりました。

この春からの家族の ” 第一歩 ” に

家族全員が応援していること、

家族が互いに助け合うこと、

そして、

自分でも思ってもみなかった気持ちが

勝手に口から発していました。

そんな自分に驚きながら、

いつもの私ではない_

まるで小さな女の子のような・・・
(幼稚園生か小学低学年)

別の自分が話していたのです。

家族への言葉かけを終え、

また、洗濯物を準備しながら

( 不思議だなぁ・・・

 そんなこと 思っていたのか・・・)

と思いながら、

あらためて、自分のことというのは

知らないことばかりだと思いました。

ふと、携帯のアラームが鳴り、

( 何だろう・・・)

アラームを消そうと画面を見ますと

祖母の命日でした。

( あ、そうだった。すっかり忘れてた。

 おばあちゃん、ごめん。)

そう思ったら、後方に ” 気配 ” が し、

振り向くと そこには 懐かしい祖母が

おりました。

祖母とのしばしの会話。

なんの特別なことはありません。

予言なんてものも ありません。

そんなもの 聞きたいとも思いません。

普通の、私が子どもの頃の祖母との会話のまま。

そうして、祖母は 消え入りました。

そのあと、ハッと思いました。

家族への 突然の餞の言葉は、

祖母が ” きっかけ ” をくれたのではないか_

そう思えました。

気の強い、でも、優しいところもある

孫娘へ。

< 言うとき。言うとかんと・・・なぁ。>
(言っておきなきさい。言わなきゃ・・・ねぇ。)

祖母の命日。

覚えているつもりだったのに、

当日になるとすっかり忘れていました。

命日だからといって、

この世にいる私たちの未来を予言すること

など ありません。

命日だからといって、

とびっきりな「何か」を言うわけでも

準備することも ありません。

きっと、祖母は

大切に思う孫に 

本人(私)さえも

忘れていることや

後回しにしていた自分の気持ちを言う機会を

くれたのでしょう。

そっか。

おばあちゃん、ありがとう。

親戚の皆と 達者で暮らしていると

思うけど、

皆、達者でなぁ・・・

そう心で、思い、

胸いっぱいに 温かいものが

ふわぁと広がりました。

私事で失礼しました。
アガサ

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