愛する” せっかち ” お父さん

あちらに波長をあわせはじめると

中年代の男性が おられました。

<・・・” お父さん ”です>

その男性の言葉に 私の中で何かが合致せず

私の” センサー ” も 反応しない。

聴こえたまま、

電話口のご依頼人Nさんに伝えた後、

突然、私の身体に痛みが走りました。

「 胃に痛みがあります。

 この方は、それが原因です。」

Nさんは、もうすでにおわかりになって

泣いておられたようでした。

「 まだ もうすこし 描写をさせてください。」

そう言いながら、性格やお人柄もお伝えしました。

私( 職人らしい職人気質の方だなぁ・・・)

< 大工だからなぁ >

私( あぁ、やっぱり大工さんなのですか。)

 ( これもNさんに伝えねば・・・)

「 職人らしい職人気質の方でね、」

Nさんにそう話し出しますと、

Nさんは、

「 全くその通りです。職人です。

 大工をしていました。」

と 再び、感極まり泣いておいででした。

そのあと、いくつかお伝えしていますと

< ばあちゃん・・・>

「 Nさん、ご主人が『ばあちゃん』と

 おっしゃっていますけれども、

 おわかりになりますか?」

「 はい。主人は私の母のことを

 ” ばあちゃん ” と呼んでいました。

 家族みんなから、主人は愛されていました。」

「 そうですか。

 ご主人が ” ばあちゃん ”のことを話しています、

 聴いてみますね。」

< ・・・気が若いのはわかるけど

  身体、気をつけろ。>

そのまま伝え、ばあちゃんがケガのような、

どこかを痛めておられるようなニュアンスも

伝わってきました。

そのまま、Nさんにお伝えしますと

Nさんは、笑いながら、

「 そうなんです。

 母はいつも動いていて、気も若くて。

 それで、とうとう、つい最近、

 腰を痛めてしまったんです。」

「 あれま!お母さん、いえ、ばあちゃん、

 気をつけなきゃ。

 ご主人のおっしゃる通りですね。」

懐かしく、和やかで穏やか心で部屋は

満たされていました。

「 ご主人は、小さい頃から苦労をされてきました。」

「 はい。主人が6才の頃、父を亡くしています。

  ずっと苦労してきました。

 だから・・・私の母ととても話が合うんです。(泣笑)」

「 なるほど。だから、” ばあちゃん ”か。(笑)」

< ○○・・・>

「 Nさん、ご主人が ” ○○ ” と呼ばれました。」

「 え? そうですか。

 主人は、私のことをそう呼んでいました。(泣)」

< ありがとう。しあわせだった。

 そう伝えてください。>

「 ご主人が『 ありがとう。しあわせだった。』と

 伝えてほしいとおっしゃいました。」

内心、嬉しい言葉だなぁ、

そういうふうに言えること、言われることは

しあわせだなぁと思っていましたら、

「 主人が息をひきとる前、そう言ってくれたんです。

 私は、『 ありがとう 』と言えなかった。

 ありがとうと言うことが、さようならという意味に

 私が思えてしまって・・・

 ただ泣いていただけで、ありがとうと言えませんでした。

 アガサさんから ありがとう と伝えてもらえますか?」

「 はい。でも、私が言わなくてもご家族だから

 伝わってるし、ご主人はおわかりになっていますよ。

 伝えますよ。」

「 今、こういう方とご一緒におられるようです。

 仲が良いですね。

 おわかりになります?」

< 棟梁 >

「 あ、『 棟梁 』っておっしゃいましたよ。

 おわかりになる?」

「 わかります。じぃです。
 
 じぃは、主人より年上だったのですが、

 主人のことを” 棟梁 ” って呼んでました。

 一緒に居るんですか。

 良かったぁ・・・。」

「 ええ、ご一緒ですよ。」

Nさんは、ご主人がどれほど家族から

愛されているかを話してくださいました。

少し、Nさんと話している際中に、

ご主人とじぃは、まるで、

さあ、次 行くぞ。と言わんばかりに

男ふたりで 離れてゆきました。

「 あれ? ふたりでさっさと今、

 あっちの方へ歩いて行かれました。

 あんまりないなぁ、こういうの(笑)。

 勝手に 帰って行かれた!」

「 主人は、本当に せっかちなんです。

 主人らしいです。」

「 あぁ、そうなんですね。

 面白い方ですね。」

非常に通りが良かったです_

Nさんに、御礼を申し上げました。

Nさんの、私へ思いやりの姿勢を

保ってくださったことに、心から

感謝をしました。

この機会の間、ずっと、私の周りには

実に平和で穏やかな空気に包まれていたのです。

ご依頼人Nさんの思いやり、

ご主人の思いやりが 言葉ではなく、

空気に伝わっていたからです。

大抵、このような機会というのは、

霊媒とあちらと、だけで考えられています。

時には、霊媒だけによるものと思われがちです。

それは 違うのです。

最後に Nさんはこうおっしゃっていました_

「 主人が亡くなって 4年になります。

 悲しくてしかたが在りませんでした。

 家族で支え合って 今があります。

 家族みんなから、主人は愛されてきました。

 私は、主人のことを ” お父さん ” と呼んでいました。」

だから、ご主人は、自分で

< ” お父さん ” >

と おっしゃったのですね。なるほど。

後日、Nさんから頂いたメールの一部です。

– – – – –

人見知りの夫が来てくれて、嬉しくて涙がでました。
夫があちらで、穏やかな気持ちで過ごしている事に
とても安心しました。
夫の人生はつらい闘病生活だけではなかった。
また、ずっと私の心にあった気持ちを
夫に伝えていただき感謝いたします。
「見守ってる」
…信じていたけど、揺れる気持ちの時もありました。
(中略)
いつか、再会の日まで、私らしく進もうと思いました。
苦しい時つらい時に、思わず笑ってしまうような事を言う夫でした。
夫があちらに帰っていく様子は、本当に夫らしくて、
思わず笑ってしまいました。アガサさんも笑ってくださって、
夫の思い出話をしてるようでした。
(中略)
私の住む街は、まだ雪があり、春には遠いですが
心の中に春を感じています。
夫に、これからは、たくさん話していこうと思います。

– – – – –

もう 春ですね。

アガサ 葉山在住 霊媒 Agatha
~天国の人々の思いを伝えています~
霊交信(霊界通信)公開霊視

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