何もしない日

何もしない日。

なんて贅沢なんだろうと、

想像するだけで 心躍ります。

でも、実際は、

何にもしないなんて できないものです。

何か、動いてしまう。

” あ、そういえば、あれを片付けよう。”

” 読みかけの本を 読もうかな・・・”

” その前に、草を少し刈ろうか・・・”

” 愛犬(愛猫)と 遊ぼうかな。”

などと 次から次へと 浮かび

結局は、動きっぱなしなんです。

でも、

こうしたことが浮かぶこと自体、とても幸せを感じます。

気持ちが ゆったりします。

私はよく ぼぉ・・・っと外を眺めます。

家族や友人が傍にいると、

「 ねぇ、何を見てるの?」

「 ううん。何も見てないよ。」

「 なんか・・・視えるの? 」

「 そんないつも視えてたら、頭、おかしなるで。(大笑)」

ということになります。

何も見ていないのではなく、

山、木、野に咲く花、小鳥たち、とんび(とび)、

傍にある命、命の尊さを見ているのかもしれません。

次から次へと予定が有りますと、

その「 ぼぉ・・・」とする時間が とても恋しくなります。

今、家族たちは 畑へ行っています。

愛犬をひとりにしたくないと言い出しつつ、

何かをしながら、ぼぉ・・・とする時間が

欲しかったのかも しれません。

何も しない日。

頭のなかでは、いろいろと話されることも

すべて遮断して

この頂いた時間を しみじみしながら

数時間を過ごせる幸せ。

ありがたや。


人間の言葉を越えて、動物たちとの「心での会話」は
とても 私の心を正してくれます。
妄想ではない会話は 何の特別さもありません。
それが心地良いのです。

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