身相応

地球の至るところで、地震などの様々な自然現象が

頻発しています。

予言的なものに捉えたい方々もおられるかも

しれませんが、私は

地球も生きているんだということを

あらためて認識しています。

人間にとって、不都合なことは「災害」と言われます。

そう受け取るのが人情。

でも、地球にとっては、人間がずっと不自然な「害」を

行い続けているのです。

私たちに人間は、

人間都合での 物事判断が主流です。

まあ、これだけ、コンクリートで固められ、

人間都合で自然破壊を続け、

生態系を破壊し、

遺伝子まで操作し、

あいつは気に入らない、

あの国はどうこう、

やれ、自国を守るためだ、

自分のところが神の国だなんだと

そりゃもう、好き放題ですよねぇ。

私のような平凡極まりない人間は、

そうした行いは、

「 ただの我欲 」としか思えません。

土をコンクリートで固め続ければ、

そりゃぁ どこかに歪みは きますよ。

わかりきったことです。

大切にし、行いのひとつに私がしているのは、

身の程の知る

分相応

ということです。

つまり、わきまえる、ということ。

私たち人間なんて、本当に小さいものです。

弱いのです。

それを補うためのなのかどうかわかりませんが

脳があります。

脳は、悪いことも考えるし、良いことも考える。

悪いこともするし、良いこともする。

それを理解した上で、自分の人生を歩む。

歩むのですが、

他の動物たちと、植物たちのおかげで私たち人間が

生きれるというのを

心と行いで示すのが 自然です。

農作物は、「土壌がすべて」。

なるほどと思います。

その土地の土の状態を知り、そこにあったものを育てる。

これが大事だそうです。

土のことも考えずに、

虫や草を手軽に駆除するために 薬品をまく。

化学肥料をまく。

そうすると、手間は省け、見た目は成長する。

でも、現実、薬づけ。

その土地は どうなるでしょうか?

土は破壊され続けるも、人間は おかまいなし。

土の状態がどうか、などは おかまいなし。

子育てと似ているように 私などは思います。

私たちが口にし、身体に取込む食べ物も

不自然なものがほとんど。

不自然なものというのは、手間を省くもの。

不自然に慣れると、欲が増大するように

思います。

なにをどうあがいても、私たち人間は

大自然には かないません。

動物的感も、便利な道具に頼りきるので

鈍くなる一方。

私たちは 小さな生き物。

だからこそ、

譲り合い、寄り添い、支え合うことが

必要で大切。

それを よくよく理解し、行い続けること。

それが 身相応であり、自然なように思います。

” 驕れる者久しからずや。”

これも自然な流れだと思います。


わんこ散歩の帰りに、自然な流れで、ご近所さんの枝きりをお手伝い。
気づくと、我が家総出。それぞに楽しみながらのお手伝いをさせて頂きました。
一段落した頃に、「好きなだけ、穫っていいよ。」とわが子に言って下さいました。
その時の嬉しそうな顔!
子どもですねぇ(笑)、
食べる分ではなくて、穫ることが楽しくて、ついつい多く頂きました。
ぐみの身を洗って、ガラス小鉢に入れたのが綺麗だと喜んでいました。
お味は・・・「すっぱ!」
あはははは。

アガサ

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