見えない世界をどう思うか 〜 他界の存在 〜

先日お越し下さった方と、ご機会のあとに

少しお話をしていました。

おっしゃったことで印象的だったのは、

「 こうしたこととは一切無縁の私でしたが、

 家族の他界を経験して、インターネットで調べたり、

 本を読んだりしていました。

 こうしたこと(世界)は とても美しく素晴しいと

 表現されている方々が多いですね。

 本当なんだろうか・・・?と思うのです。」

というようなことをおっしゃっていました。

決して、この方は懐疑主義では ありません。

私は「伝え手」ですが、盲信はしません。

霊媒をされている方々の中には、ご自身で

「 素晴しい仕事をしている。」

と思われる方々も 多いと思いますが、

私は、心底 そう思えません。

肩の荷が降り、ほっとすることはありますが、

自分のしていることを「 素晴しい 」と思うことに

ちょっと抵抗があります。

どこか・・・

そうした自分に心酔しているような感じが

自分に関しては そう思うだろうと思います。

” 人助けをしている私って、素敵!感動・・・ ”

というように、です。

現実、辛く苦しい面も同時に あるのです。

こうした機会を重ねる程、ふと思うのです。

続けることの難しさや

自分自身の心の弱さや隙間と常に対峙し、

忍耐と慈愛がどれほど必要で、

この静かなものの 偉大さに 思い知らされ続けます。

ですから、

こうした機会、他界については とくに留意が必要。

物事の一面を見聞きし、それすべてと判断し、

甘ったるい夢のようなことを語る機会ではないのです。

美麗で素晴しい世界と表現した方が

自分へのイメージは良いのかも しれない。

けれど、自分のイメージなど どうでもいい。

芸能人ではないから、

人気商売ではないから、

夢を見させるのが目的ではない。

自分を繕う必要も、ない。

伝え手は、

自分自身が感動するような場であってはならない。

伝えている自分に酔ってる暇など ない。

あちらの世界を 分析する、解析するなど出来ません。

こちらに生きながら、

他界を分析する、知りたいと思うこと自体、

欲から発露するのだと 自分自身の過去を

振り返った上で そう考えています。

伝えたことを、それを魔法のように映像化したり、

聞こえるようにする術は ありません。

だから、

伝えたことが、本当かどうかは、

あちらからお迎えが来るその時まで わからない _

私自身、そう思っています。

” いつも 忠実に。”

とても大きく、

私の内に在る思いです。


ざくろの花です。
この時季、いつも通る道の上に、この花が落ちています。
そして、
( たこさんウィンナー・・・ )
と心でつぶやいて(笑)、通ってしまうのです。そっくりですよね。
今ではほとんどみかけなくなった、あのオレンジ色の懐かしいウィンナーです。
こういう何気ない発見が、大好きな私です。

※忠実:
内容をごまかしたり省略したりせずそのままに示すこと。また、そのさま。

アガサ 葉山在住
~天国の人々の思いを伝えています~
天国との対話(霊交信 / 霊界通信)

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