無関心

正しく在り続ける _

ものすごくエネルギーの要ることで

常に 自分との闘い。

なぜなら、

楽な方がいいから。

自分に 直接関係のないことには

” 触れず 障らず ” でいたいもの。

命に関わることは、

無関心であってならないと思う。

現政局の動きに対して_

私たちが どんなに反対しても、

議席数で 多分 決まってしまうのだろう。

そして。

人々は しばらくは非難し続ける。

そうは 長くは続かない。

なぜなら、

自分達の生活は何も変わった感じもないから。

大震災のこともそう。

しばらくすると、

人々の関心は薄れてゆく・・・。

口では「反対」「嫌だね」と言うものの

自衛隊に入隊しないのだから、

まあ、うちには関係ないか・・・

というのが 正直なところかもしれない。

ちょっと 考えてみてほしい。

自衛隊のひとりひとりに、

親がおられ、

家族がおられる。

その人達の 悲しみは どうでもいいのだろうか?

自分の身に降り掛かってこない限りは

人というのは ” 無関心 ” だ。

とはいえ、

自衛隊入隊人数は 年々減っているのが現実。

そうすると、

集団自衛権であれ、

個別自衛権であれ、

” 人数 ” を集める必要が出てくるのは

簡単に予想できる。

人々が忘れた頃に、

突然の「赤紙(召集令状)」に驚くだろう。

” なぜ、夫が?!”

” なぜ、子が?!”

となっても、遅いのかもしれない。

自分の生活に直接関係ないことで、

現実に困っている人がいても、

” 他人事 ”のように思うのかも しれない。

大震災も、そう。

原発についても、そう。

今も、ずっと悲しみが続いている人がいても

自分には 関係ないから、、、

電気代は 安い方がいい、、、

そこに 住まなきゃいい、、、

どこどこで作られたものを食べなきゃいい、、、

と、なる。

” 無関心 ” が、最大の敵。

ラベル(権力など)がある立場にとって

都合の良いのは、

考えることが面倒くさい、何も考えない人間。

「 いつの間に、こうなったの?」

という方がおられるかも しれない。

テレビなどのメディアでは、

放送されないから。

” 目くらまし ” 的なニュースの陰に

一瞬、放送されたらいいほうで、

ほとんどのメディアやマスコミでは

ラベル(権力)に屈して

放送しないようになったのは

もう周知のこと。

そういうことを話す人を 疎ましく思うのも

権力のある立場の人達は ” 扱いやすい ”。

” 良い人 ” ぶっていれば ほとんどの人は

著名度、有名度を目の当たりにすると、

ほわぁ〜 となってしまうのだから。

権力を振りかざす人達にも ” 無関心 ”。

困っている人達にも ” 無関心 ”。

自分の身に降り掛かってから、

家族の身に降り掛かってから、

” 反対 ”

と言ったところで 遅いのかもしれない。

どこまで、平和を保てるかは

私たちひとりひとりの意識と

権力や武力に屈しない精神性が必要。

無関心は、最大の敵。

アガサ

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