自力

愛する存在の 弱っていく姿を見て

悲しまない人は いない。

辛くない人は いない。

お医者さんや獣医さんに診てもらいたくとも

家庭の事情で 診てもらえない状況も ある。

それは 私も 経験したので、

気持ちは とてもわかる。

複雑な心境は いまだに 消えることは ない。

多分、この世に生を受けている間は

消えることは ないだろう。

あちらへ旅立ってから

愛しい人達、愛しい動物家族たちとの再会時に

きっと 大泣きするのだろうと思う。

そこで初めて 自分で自分を許せるのだろうと

思う。

自分を包む環境が 楽ではない方向へ

変化しはじめると、

大抵、人は、物事を悪く考えてしまう。

私は それを悪いとは思わない。

ネガティブだとは思わない。

暗いとは思わない。

四面楚歌の状態も 経験したので わかる。

そういう状態に置かれると、

” あぁ、悪いことばかりが起きる・・・”

と考えることも ない。

なぜなら、

どこを探しても 抜け道が見い出せないから。

でも、その状態を「 最悪 」だとは思わない。

自分を「 不幸 」だとも思わない。

そうしたことを考えられるうちは、

まだ ” 余裕 ”があるように 思える。

どんな状態におかれようとも、

どんな感情に振り回されようとも、

現実であり、

どれもこれも 自分。

逃げることなど しない。

しあわせな状態が 自分だとは思わない。

順風満帆が 最高の人生とは 思わない。

善い、正直で、誠実な人の人生 = しあわせ

とは限らない。

物質的、世俗的な視点からすれば、

辛いことの方が多いだろうと思う。

なんでも、

一方向から すぐに判断することに

” 落とし穴 ” があるのだろう。

人には 様々な面がある。

一方向からの考え(主観)は

精神的に 自分を苦しめ続ける。

自分を

善か悪か、

お金持ちか貧乏か、

点数が高いか低いか、

容姿端麗か否か、、、

そんな調子。

外的条件で すべてを判断することほど

愚かしいことは ない。

100%善人というのも いないだろうし

100%悪というの ないだろう_

ちっぽけな私は そう思っている。

善人振る必要もなく、

悪癖を重ねる必要も ない。

善の塊なら、私は この世に生まれていない。

悪の塊は、この世には 生まれない。

愛する人や親しい友人知人が、

猫ちゃんやわんちゃんが、

どんなに苦しもうとも、辛くとも、

” 助けてあげたい!”

と心からそう願っても、

本人にとって変わることなど できない。

ならば、

自分の悲しみや辛さを

次第に弱ってゆく愛する家族に投げず、

今まで一緒に生きてこれたことへの

感謝の気持ちで 包もう。

現実は現実。

どんなに悔やもうとも、

突然であっても、

なぜ?と思うことであっても、

他界理由を聞きたくとも、

知ったって、

聞いたって、

家族の身体が生き返ることは ない。

当人にすれば、

重い肉体をやっと脱ぎ捨てられたのだから。

自分の辛さや悲しさを

他人様に変わってもらうことは できない。

癒してもらうことは ないだろう。

他力では 真のところまでは 到達しない。

出来ない方が善い。

逆に、

相手の辛さや悲しさを 自分と変わることも

できない。

無関心とは 違う。

どういう状況にあっても、

今まで一緒に生きれた日々があったのは「 現実 」。

その現実への感謝で

自分の心を満たし続けよう。

誤摩化すのとは 違う。

真に感謝するのは、自力。

乗り越えてゆけるだろうと思う。

簡単なことではないけれど。

自分を真に救えるのは、他人ではなく、

自分。

今までの経験から そう思える。

自分以外のだれか_

家族、友人、知人、家族同然の動物たちの存在は

強力な支えになる。

が、全てと思うこととは 違う。

支えが依存になったとき、

無意識に 傷つけ合うことも ある。

真の力は「 自力 」。

自力とは、

自分の力を信じる、という意味ではなく、

自分の真心の力を信じることだろう と思う。

私は 自分に力があるとは思えないし、

そんなものを信じれない。

( 自分に力がある!と思った時点で 自分は終わってる。)

力は 信じないが、

自分の真心なら 信じれる。

確かに在ると 思える。

様々な経験を重ねると、

何が「 真の幸せ 」なのか・・・

その範囲は 広がるばかり。

何かを アテにして生きることほど

しんどいことは ない。

こんなに○○しているのに・・・

全然わかってくれない・・・

自分を 正義や真と思って生きることほど

欲深いことは ない。

真面目に生きているのに・・・

と。

どんなに真面目に生きようが、努力しようが

その先に アテがあるようでは

真とは 言えないだろう_ と思っている。

自力でと思いがちだが、

他力に頼っていると 言える。

「 他力本願 」は 誰にでも在る。

在ることが いけないことでは ない。

好みや価値観によるだろうと思う。

いずれにせよ、

自分の心を 感じながら、

目の前で起きている現実を

多方面から 見れるほうが

善いように思う。

苦しみの淵にいても

悲しみに どっぷり浸かっていても

物事の本筋を 見つめることができるような・・・

気がする。

アガサ

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