心静かなひととき
先日、「心静かなひととき」の依頼を頂き、
機会を持てました。
ご依頼の日々のなかで、私自身にとりましても
そうした機会は タイミング的に良かったようです。
依頼を下さった方々との再会は、本当に
とても懐かしいものでした。
瞑想的なことから始まり、
その場の雰囲気を視て、変えます。
自分でも
(なぜ、これを話しているのだろう・・・)
と思いながらも 流れに任せています。
ひとりひとりの調子を 実感し、
必要があれば お話もさせて頂く_
そういう具合です。
アガサ部屋は狭いので、
おふたりで 丁度いっぱい。
私を入れて、3人となり、
ドアをしめますと、空気がぎゅうぎゅうになります。
生体から発せられる空気感は
本当に わかりやすい。
言葉通り、エネルギッシュです。
おふたりの間に 私は位置して、
静かな時間と空間に入っていきますと、
それぞれの方々から 映像が発せられ、
ちょうど 私の前で ふたつの世界が出来ます。
( あぁ、そうなんだ。
○○○さんは、こういうところを視ておられ、
○○さんは、こういうところにおられるのか・・・
へぇ。どちらも良いところだなぁ・・・)
と一瞬思い、
話している自分へと戻ります。
終わったあと、お茶で喉を潤しながら
ちょっとした感想を話してくださいました。
おふたりとも、私が拝見したとおりのところを
話されました。
ともすれば、それっぽいこと_
スピリチュアリティ溢れるようなことを
言いたくなったり、妄想してしまったりします。
そうした知識を付ければ付けるほど、
知識に溺れ、過信し過ぎてしまう人ほど、
視えてくるもの、聞こえてくるものは、
” 色眼鏡 ” 的なものが 増えてきます。
おふたりは、実に ご自身らしさに溢れていました。
自然体で実感することは 本当に
素晴しいのです。
自分のことを 過大評価する人も居ますが、
ほとんどの人は 過小評価します。
過小評価することは 悪いことではない、
と私は思っています。
自分に対して、疑問のようなものが持て、
いつかは、良いことへ繫がるようにも思います。
自分を知るということは、本当に難しい。
一生かかっても、知れるかどうか わからない。
けれども、よく耳にする言葉_
” 自分のことは一番自分が知らない “
というのは、少し違うのだと思いました。
無意識のところなのか、
潜在意識の欠片なのかは わかりませんが
(どっちでもいいですが)
心を静かにしていくと、
(眠りかけている、寝ている感覚)
自分が一番リラックスできる環境や
自分らしさ(個性)というのを
知ることが出来るのかも・・・しれません。
おふたりを拝見し、再認識しました。
アガサ 葉山在住
~天国の人々の思いを伝えています~
天国との対話(霊交信 / 霊界通信)