教育の場で奮闘する

昨夜、お布団に入って、本を読んでいた頃、

久しぶりに友人からメールが届きました。

彼女は、小学校の先生。

大きな声で笑う彼女は、本当に子ども達が大好き。

叱る時には、叱ってくれる。

褒める時には、めちゃくちゃ褒めてくれる。

そんな先生のことを子どもたちも、好きだろう。

教育現場は、残念なことに複雑だろうと思う。

保護者の顔色を伺わざるを得ない状態が続き、

子ども達も先生に対して、友達と話すような言葉で

話す子が増えているように思う。

まったく、なってない。

わきまえることを知らない親が増え、

そうすると、子どももやっぱり、わきまえない。

先生に対して、

年上に対して、

年下へ対して、

つまり、周囲の人々に対しての思いやりが

欠落してしまっている。

何か 思うように行かないことがあったら、

学校へ電話する、

他へ文句を言う、

とにかく、責任転嫁をしたがる。

これでは、

学校側も本来の働きがしづらくなるのは

想像するに難くない。

” 子どもたちの傍に居たい。”

これが彼女の本心だろうと思う。

学校側からも、彼女への信望は厚い。

若手の先生方をリードしてほしいと打診され続け、

断り続けてきた友人。

我が家の生活リズムは、

午後9時前には布団に入る。

せっかくメールをくれた友人には申し訳ないが、

返事は簡潔に済ませた。

教師職の方もご覧になっているかもしれないと思い、

一個人としての考えを書かせて頂こうと思う。

「 いろいろなシガラミがあるだろうけど、

 やりたいことを やれ。」

そして、

「 せいだい、悩み。(笑)」
(たくさん、悩め。)

友人へのこう書いて送った。

友人の苦しみも辛い時も知っている。

彼女自身、子育てをしながら、

様々な辛い歯がゆい家庭問題を同時に抱えていながらも、

学校では、大きな声で笑い、

愛情をもって 子ども達に接しているだろう。

直接、子ども達にかかわれなくなるのは

彼女は「 不安 」だと書いてあった。

不安であっては、いけない。

不安というのは、己の心配だ。

子どもが好きなのであれば、

子ども達を信じること。

好きならば、相手に余裕をあたえること。

信じるということ。

不安は 誰にでもつきもの。

私にだって、不安はいっぱい ある。

不安材料を数え出しては、きりがない。

どのような形であれ、

子どもたちの教育に携わっているのだと

信じて、動き続ければ、

必ずや それは実現するだろうと思う。

子どもは 親を選ばない。

親も 子を選ばない。

選べるのは、己の歩む道(日常)のみ。

教育。

広くて、深くて、例えられない。

けれども、

真心をいつも携えて 物事を考え、

行動してゆけば、必ずや

道は開けるだろうと思う。

子どもたちは、知っている。わかる。

自分のことを

自分たちのことを

心から接してくれる大人たちのことを。

教育とは、

指導する場でない。

教え伝え、育む場。

育む時間と心の余裕を与えてやりたい。

彼女とよく話せていた時には、

様々な話をしていた。

今は、メールのやりとりで申し訳なく思う。

けれど、私は信じている。

友人は、きっと自分の道を選択するだろうと。

現場で、

子どもたちと直接かかわっていても、

先生方の中枢を担うことになっても、

どちらにしても、

その先には「 子どもたち 」が居るのだ。

不安になど なることはない。

思うように やれ。

自分の信念を 貫け。

偉い人から言われようとも。

あなたの大きな笑い声は、太陽の暖かさ。

あなたが叱るときは、心で泣いているだろう。

真心さえあれば、

何を選んで、

何をしていても、

後悔など しない。

不安なんか、吹き飛ばせ。


我が家の記念の日でもあり、先日、文化の日に、葉山近代美術館へ行ってきました。
前日とはうってかわって、とても良いお天気。
この日は、無料とあってか(笑)美術館入館される方々が多かったように思います。
寒くなってくると、空気がとても綺麗なので、遠くまでよく見えました。
綺麗だったな、海と空。

アガサ 葉山在住
天国との対話 愛しい家族との時間
~天国の人々の思いを伝えています~

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2件のコメント

  • 本当に最近の教育現場は本来の意味をなしていないように感じています。
    学校とは子供が親から離れて多くの時間を過ごす大切な場。聖域。
    でも最近では保護者が我が物顔で容赦なく学校に出入りし、先生を自分の友達のように扱う。
    学校や先生には感謝ではなく、クレームばかり。
    子供と先生が教え教えられ互いに成長する場なのに、そこに保護者が入って干渉してくるから、先生も子供も委縮する。
    おかしい・・・。
    だから熱血先生、志の高い先生はつぶされやすい。
    子供にでなく保護者に寄り添う無難な先生が増えている。
    あまりに味気なく、今の子供たちが大人になった時恩師と呼ばれる先生はいるのかなぁ、人生に影響を与えてくれる先生とのやり取りは生まれるなのかなぁ・・・。
    日本中にいる教師の方へ、私も心からエールを送らせてください。
    家庭では子供に、感謝と思いやりの心を丁寧に育んでいきたいですね。

  • 本当に最近の教育現場は本来の意味をなしていないように感じています。
    学校とは子供が親から離れて多くの時間を過ごす大切な場。聖域。
    でも最近では保護者が我が物顔で容赦なく学校に出入りし、先生を自分の友達のように扱う。
    学校や先生には感謝ではなく、クレームばかり。
    子供と先生が教え教えられ互いに成長する場なのに、そこに保護者が入って干渉してくるから、先生も子供も委縮する。
    おかしい・・・。
    だから熱血先生、志の高い先生はつぶされやすい。
    子供にでなく保護者に寄り添う無難な先生が増えている。
    あまりに味気なく、今の子供たちが大人になった時恩師と呼ばれる先生はいるのかなぁ、人生に影響を与えてくれる先生とのやり取りは生まれるなのかなぁ・・・。
    日本中にいる教師の方へ、私も心からエールを送らせてください。
    家庭では子供に、感謝と思いやりの心を丁寧に育んでいきたいですね。

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