苦しいのは誰か、ということです。

以前から ずっと思っていることが あります。

ご家族やお身内がご自分で他界(自死)された方に対して

妄想や憶測といった様々なことを他人が 口にすることは

いかがなもんか。

そうした興味本位は、

まさに「 他人事 」だからこそ言えるその鈍さ、非情さに

呆れかえる。

どれほど、ご家族は 苦しみ悲しんでおられるか。

行き場のない気持ち、

一秒一秒が重い日々をどんな思いで暮らしておられるか_

想像したことは あるのか?

想像することが出来るなら、

人様のことを あれこれ 言うことは出来ないだろうと思う。

ましてや、

ご家族に対して 非難や批判の目など 向けられないだろう。

気の毒に思え、どう言葉をかけていいか・・・

励ますということは なんて難しいのだろう、

何とか 何とか・・・

そう陰ながら 祈るのが 人情というもんだ。

大事な家族を失って 悲しまない人は いない。

もし、自分だったら?

自分が家族を失い、

どこかで 興味本位に 好き勝手言う人の存在を知ったら?

どんな思いがする?

想像力の欠如は なんと痛たましく 迷惑なことだろう。

人様の悲しみを

興味本位で 無責任な言葉を口にする暇があるのは

平和ボケか、正しい想像力の欠如か、非道徳的か・・・

いづれにせよ、そうしたことを言えるのは、

ご本人の人生に 満足されていない ” 証拠 “。

ご自分が不在の ” 人生 “。

人を責めることで 何が生まれるのか?

何が 良くなるのか?

人前では元気そうに、毅然とした態度を装い、

ひとりになれば、悲しみの涙を流されている方々の姿を

想像も 出来ないのか?

人は 非難批判し合うために 存在しているのではない。

自分さえ 楽しかったらいいのでは ない。

ご家族の他界がどういう経緯であれ、

悲しみの日々に おられる方々に

思いやりをひっそりと持って頂きたい。

そうしたことを 思い出して頂きたい。

気の効いた素晴しい言葉が思い浮かばなくとも

言えなくとも、

慈悲や慈愛の思いは その人本人の空気感から

伝わってゆく。

興味本位の、品のない言葉や思いよりも

温かな思いやりの方が

全方向に対して良いのは 明らか。

もちろん、発する自分にとっても。

下手な妄想憶測する暇があるのなら、

ご自分の家族や家庭を 大事になさること。

” 自分が言われて されて 嫌なことは、人様には やらない。”

幼い頃から、親に言われてきたことだ。

基本中の基本。

子どもたちだって 知っている。

苦しい人、悲しい人、立場の弱い人_

命を救いたいと思うのが 自然の流れ。

思い立てば、吉日。

善は急げ。

今からでも 遅くない。

アガサ 葉山在住
天国との対話 愛しい家族との時間
~天国の人々の思いを伝えています~

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