周りがそうであっても

いつでしたか、思い出せません。

どなたの時であったかも、思い出せない。

< ○○○ >

名前をおっしゃる若い女性の声をとらえました。

その時のご依頼人さんに伝えるも、

「 わかりません。」とのこと。

わかりませんと言われても、私の内で残るその名前。

” どうしても “という思いが残る。

体調は、私の内から消えてしまうように、

数日内には名前も私から流れでてしまう。

その前に願っておきたい_

( あなたが いつか ご家族と会えますように・・・)

しばらくしたある日、

「すぐにでも依頼したいのですが、遠方のため、

行けないのが苦しいです。でも、いつか。」

そうしたメールを頂きました。

こうしたメールをよく頂きます。

そうつぶやきたいお気持ちが よくよくわかります。

いつか、と思いながらも、こうしたことというのは

とても複雑です。私はそう思います。

その方、Mさん。

Mさんから頂いたメールには、こう書かれていました。

「 急のご依頼で大変申し訳ありません。
 ダメもとでお願いしてみました。
 その日なら対面でお願いできると思ったからです。
 予約がとれそうもなければまた改めてお願いするつもりでおります。
 急なお願いをさせていただいて本当に申し訳ありませんでした。」

手にとるように気持ちがわかっても、伝わっても、

私は一日におひとり(一組)様だけ。1時間で疲労困憊です。

そんなに年くったかなぁ〜? と思うこともありますが、

交流が終わった後の私は、家族が言うには、疲労を隠せてないようです。

Mさんがご希望された日程のスタート時間ならば、お約束できたのです。

これは、偶然か、はたまた。

Mさんが来られる前に、あちらと波長があってしまいました。

前髪を揃えた感じの、ロングヘアの若い女性が

恥ずかしそうに 私の視界に入りました。

( あ!今日の方?)

そう思った瞬間、途切れました。

( さあ、自分を整えよう。)

そうして静かにしていました。

すると、私は 誰かの目を通して どこかの建物の天井から

下方を視ていました。

( はっきり見えないけど、いろいろと動いてる。

 あれ、なんだろう・・・

 白い帽子? えらくフィットしてる。何だろう。

 帽子じゃないな・・・ヘルメットみたいにフィットしてる。

 不思議なかぶりもんだな・・・)

そのあとは、私の身体を以前の痛みを転々と、

まるで光のような速さで移動しました。

覚えていられないので、走り書きが精一杯。

<・・・1988年・・・>

( 1988年? 1988?)

<・・・1988・・・>

(それは、生まれた年ですか?)

返事はありませんでした。

お待合せ場所にMさんをお迎え。

悲しみ、不安がMさんの周囲にありました。

皆、そうです。誰でも、そうです。

初めて、人と会うというのは不安で当然。

でもその不安だけではない、何か。

部屋にお招きし、ただただ静かにしていますと

朝来られた女性、若い女性が、来られました。

すぐに、Mさんの近くに 来て、甘えて。

私に伝わってくること、

私が捉えること、

Mさんが来られる前に捉えたことを伝えました。

白いフィットした帽子のようなものについては

「 わかりません。」とおっしゃいました。

「 わかりました。他のお伝えした内容について、

 心当たりがあるかどうかを教えて下さい。」

ひとつひとつ丁寧に教えてくださいました。

「 娘です。性格や髪型もその通りです。

 体調も。

 1988年は、驚きました。

 あの子の兄弟の生まれた年です。」

「 そうですか。それは良かった。では、続けます。」

< ○○○ >

( え? ○○?)

彼女は、口を大きくして、大袈裟に表現してくれています。

その様子が面白くて、可愛くて、思わず、くすっと笑えました。

きっと、私も口を大きくして 彼女の真似をしていたと思います。

「 このようなことを言われています、

 ○〜○〜、か、○○○。

 あー、だけど、最後の音が聴き取りにくい。

 どなたかのお名前かもしれません。」

「 娘です。

 ○○○は、娘の名前です。

 ○○と、友達から呼ばれたり、私もそう呼んだりしていました。」

「 そうですか。それなら良かったです。」

「 どなたかと一緒に来られているようですよ。」

< おじい・・・ >

( おじいちゃん、ですか? おじいさん、ですか?)

< おじいちゃん >

「 彼女は、おじいちゃんと一緒に来られたようです。

 そのおじいさんは・・・・」

少し伝わってくるお人柄や背格好をお伝えすると、

「 私の父のように思えます。」

「 そうですか。でも、当てはめなくてもいいんです。

 必要があれば、何かむこうから伝えてくださいます。」

あちらの出方を様子見していたのですが、それ以上のことは伝わってきません。

( 娘さんに注目しよう・・・かな・・・)

そう思った時に、Mさんが思い出したかのように話してくださいました。

「 白いぴったりとした帽子のようなものですが・・・ 」

「 はい。」

「 こんな感じの帽子かなと思っていたんですが、

 ヘルメットのようにぴったりしてるとアガサさんがおっしゃったので、

 ふと思い出したことがあります。

 身体の具合のことがあり、あの子に合ったものを作ったのです。

 あの子は、知っていたんですね・・・。」

「 知っておられたかどうかは、わかりませんが、

 私はMさんが来られる前の時間に、見せてもらったのです。

 上の方から下を見下ろすように。何度も。強く印象づいたのです。

 そして、今、合っているという” 返事 ” が私の体感で強く有ります。

 ですので、合っていますよ。Mさんのおっしゃる通りです。」

< やっと会えた!やっと、会えた!>

その直後、部屋の空気は一片し、

何度もそう話してくれる彼女は泣いていました。

さらに、部屋の空気が熱を帯び、私は自分をコントロール

しづらくなってきました。

「 『 やっと会えた!』と娘さんがおっしゃっています。

 今は これを伝えるので 精一杯です。すみません。」

少しの間、母と娘だけの時間でした。

泣いて、泣いて。

私は、そっと 私を彼女に明け渡しました。

落ち着いてこられたかと思え、続けることに。

その後も、彼女は話してくれました。

< 今は、”子どもたち”のいる病院で励ましてる、見守ってる。>

それはどういう意味なのか、

全く知らない人達を励ましている・・・とは違う何かが

私にはありました。

( 何だろう・・・)

そう悩む私に、彼女は、ジェスチャーをしてくれました。

そのジェスチャーを真似して、Mさんに見て頂く。

「 こんなふうにね、まるで、子どもを抱くような感じで。

 この動きは、赤ちゃんを腕に抱くようですよ。」

そう説明しながら、

娘さんの真似をしながら、私は、一昔前_

わが子が生まれた頃を思い出していました。

「 娘さんは、今、”子どもたち”のいる病院に居られるようです。

 励ましているというか、見守っていると。

 何か心当たりありますか?」

はっとされたようで、

「 あの子の○が出産しました。○○だったんです。○は自宅に戻っています。」

「 そうですか。」
(なるほど、だから「子どもたち」とおっしゃったんだ。笑)

「 でも、”子どもたち”は まだ病院に居ます。」

と話してくださいました。

叔母となった彼女は、

子ども達を見守っているから安心して、とでも

言いたかったのかもしれませんね。

< ○は、関東には向いてないと思うな。

 そのうち、○○に戻ってくればいいのに。

 戻ってくるよ。笑>

そのままお伝えしました。

その後、続けて

< 家族がね、バラバラ。離れてる。

 一緒がいいよ。集まってほしい。>

これも、そのままお伝えしました。

涙ながらに、話してくださったのは

娘さんがおっしゃった、家族のこと。

愛ゆえの理由があり、バラバラな生活となったこと。

家族のことを思う娘だからこそ、そう思っていたことを

伝えてくれて とても嬉しく思われたでしょうね。

悲しい涙だけではなく、安心の涙も混じっていたように

思います。

「 あの子が亡くなって、そうした会に入りました。

 霊媒のような見てくださる方がいて、周りの方々は

 みんな、「子どもだと思える。あの子からだ。」と おっしゃっていました。

 とても良い方です。

 でも、私に伝えられるあの子は、あの子らしくなかった。

 その後、何人かの方々に見てもらったのですが、

 伝えられることに ひとつでも食い違ってくると、

 その場に居るのが辛くて、飽きてきて、

 早く帰りたいと思っていました。

 がっかりの連続でした。

 そんな時に、アガサさんに辿り着いたのです。

 なぜなのかは思い出せないのです。

 けれど今では、あの子がそうさせてくれたのかと思えます。」

帰りは駅までゆっくり歩きますとおっしゃったMさん。

お待合せ場所までご一緒し、その道すがらで、

「 驚きました。兄弟のこと。そんなふうに思っていたんですね。

 本人が懸命に勉強して入った学校で、会社で。

 ようやく、やりたい仕事が出来ている!と思っていたし、

 本人もそう思っていたのですが、

 『 そのうち、○○に戻るよ。』なんて言うもんですから

 びっくりしました。

 親としては、勿体ない!って思いますよね。

 けれど、それは「親」だからなんでしょうね。

 仲の良い兄弟姉妹ですから、そこらへんは、

 親よりも通じているんでしょうね。」

と、笑っておいででした。

「 そうですよ。親は、子どもが生活できるように

 なっていて欲しいって願うもんですよ。

 誰だってそうですよ。親ですもん。ねぇ〜。」

と、母親同士で笑って。

<やっと、会えた!>

彼女がどうして、2回も繰返しそう言ってくれたのかが

Mさんのお話でわかりました。

周囲がどんなに褒めそやした人であっても、

自分に当てはまるとは限らない。

それは、私についてもそう言えると思いますと

Mさんに申し上げました。

「 こんなことが起きるなんて思ってもみませんでした。

 どうして、あの子なんだろうって。」

泣いてそうおっしゃいました。

私たちは、多くのニュースを見聞きします。

事件や事故、という災難は、気の毒に思いますが、

どこか遠いところの話のように思えます。

なのに、ある日、突然それは起こる・・・。

なんで?

どうして?

なぜ、うちの子が・・・。

お答えできるような「先生面」は、ありません。

起こってしまったことをなぜかと解明する力もありません。

けれども、

自分の口から発することに 責任感は持ちたい。

今までの経験があっても、あてはめることは したくない。

なぜなら、

周囲が皆そうであっても、

そうだと口を揃えても、

自分が 一欠片でも 何かが違うとそう感じたら

それは「 違う 」のだから。

大切なのは、霊媒を見つけることではないと

いつも私は申し上げています。

キッカケはそうかもしれませんが、

霊媒が 心の平和をもたらすのでは ありません。

” ご家族 ” の心が届いて ようやく心に温かみが伝わるのです。

大切なのは、家族の心を信じること。

家族との信頼。

信頼は、愛がなければ。

愛が育ってこそ、信頼となります。

私は そう考えています。


愛犬との散歩道沿いに咲いている菜の花。
黄色というのは、周りにぱぁ〜っと明るさをくれますね。
ミツバチやてんとう虫たちも居たりして、ね。
私の毎日は、我が家の毎日は、本当に平凡。
子どもにはもっとぱぁ〜と外をかけめぐって欲しいな〜なんて思ったりするのですが
親の行動と似てしまうんですかねぇ。苦笑
でも、家族で こんな小さなことを眺めれる時がとても有難いです。

アガサ 葉山在住
天国との対話 愛しい家族との時間
~天国の人々の思いを伝えています~

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