40年程経って、ようやく。

子どもの頃の記憶を、ほとんど覚えていません。

それでも、ふとした時に思い出すこともあります。

小学生の頃、祖父母の行動で不思議だったことが ふたつ。

ひとつは、祖父。

朝食がパンの日には、生の食パンに苺ジャムを一面に塗って食べていました。

小学生の頃、それがとても不思議でした。

トーストせずに、苺ジャムを全面に塗る祖父。

( 焼いた方が美味しいのに・・・)

そんなふうに思っていたと思います。

もうひとつの不思議は、

祖母。

明るく陽気で人と喋るのが好きな祖母は、

看板娘ではなく、看板おばちゃん。

近所の大学生の人達にも人気でした。

気前の良さがそう思われていたんだと思います。

私の中での不思議は、

祖母が近所のスーパーに行って、お菓子を買うこと。

自分は食べないのに。

かといって、まるまる、孫たちのためでもないように思えました。

買物や食事は、私の母が全部やっているにもかかわらず。

( なんで おばあちゃんは、あるのに買ってくるんかな?・・・)

あれから、40年程経った今、ようやく わかりました。

ある日、ふとした時に。

私自身の日常の行動中に、気づいたのです。

焼かない食パンに、苺ジャムを全面に塗る。

いつしか そうしている自分がいました。

それが楽しみでした。

ジャムを塗っている際中に、祖父を思い出しました。

祖父母は、小さな商店を営んでいました。

昔はどこもそうですが、生活は地味で質素。

静かな祖父は、長男。

長男だから家業を継ぐのが当たり前の時代。

兄弟の中でも、無口で静かな祖父が商売を。

絵に描いたような質素な人でした。

食パンに苺ジャムを塗るのは、質素な祖父にとって

ひそかな楽しみだったんだ_

私が祖父と同じことをしていることに気づいた時に

そう思いました。

近所のスーパーに行く祖母も、そう。

小さなお店を営むふたりにとっての楽しみ。

どこに旅行に行くでもない。

外食するでもない。

毎日、同じことの繰返し。

ぼんぼん育ちでも、欲のない祖父でした。

祖母は内向的な祖父とは違い、接客上手な分、

いろいろなこともあっただろうと思います。

今の時代には考えられない、小売りの掛け払いもありました。

子どもの私がするお手伝いは、

掛け伝票のお手伝いと

集金回りに付いて行くこと、

空き瓶などの整理、

お中元やお歳暮時期に付けるリボン作りなんかをやっていました。

一番喜んでくれたのは、リボンを作ること。

卸で買えば、見た目も良いリボンがあったと思います。

小学生の孫が作るものって・・・(笑)ほら、手作り感が、ねぇ。

祖母は、私の今の年齢で、初孫を見ました。

40代後半で、孫。です。

家族の、大人の背中を見て育つ。

あれ、やり!

これ、やって!

そんなことは何も言われなかった。

だけど、働いて 働いて の家族がそこにいる。

重いものを扱う、祖父と祖母がいる。

思いやりや何とかというものは、言われて出来るもんではない、

と思っています。

かといって、「思いやり」と思って やるもんでもない。

当たり前のこと。

普通のこと。

「 手伝うわ。」

小学生の孫が自分からそういう言葉が

地味で働きもんの祖父母には、嬉しかったかもしれませんね。

あれから、40年程経って

ようやく 祖父母のことが少しずつわかってきたように思います。

家族って そんなもんですよね。

楽しいイベントで繫がるもんじゃない。

普通のこと。

日常のこと。

そんなのの方が 強い絆が作られるんだなぁと

思いました。

アガサ

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