私、幸せです。
< 私、幸せです。>
ほっそりした、日本美人タイプの女性がそう話しかけてくれました。
( どうしてそう思うのですか?)
< 彼が・・・こんなに思ってくれてたんだとわかったから。>
( そう。Mさんはあなたをとても思っていますよ。)
この日、朝から何故だかわらかないけれど
「 良い日だなぁ〜 」と思えていました。
何か良いことが起きる!というようなことではなくて、
空気の調子がいつもとは違う、いつもよりは穏やかなような
ものが含まれていました。
ようやく、準備が整い、気に入っている声楽曲を聴いていますと、
” 女性 ” が現れ、涙ぐまれていました。
( どうしたんですか?)
< 一年前を思い出してしまって・・・>
( そうですか。いろいろありますもんね、誰しも。ね。)
とても穏やかで、落ち着いた空気でした。
気持ちを話されても、きちんとご自分の中で整理されていると
重い空気には成りません。とても有難いと思いました。
空気の状態も良いし、どうやら、通りが良さそうなので
安堵しました。
( 車でお越しになるから、酷い渋滞にならなければいいけど・・・)
ふとそんなことを思った私でした。
直ぐさま、
< 渋滞は、ないわ。>
( そうかなぁ〜?)
都内は渋滞があるのが常と思っている私を後にして、
ふふふと笑いながら彼女はどこかへ行きました。
「 まぁ〜、そういうことはMさんがお越しになってから直接お尋ねしますよ。
それが “確か” だから。」
ちょっとイジワルな含みを持たせて私も ふふふと笑いました。
Mさんから待ち合わせ場所ご到着の電話を頂き、ほっと一安心。
最近は、交通事情も良くなさそうですからね。
お着きになるまでは、やっぱり心配。
「 東京あたりは、渋滞していたでしょう?」
「 いえ。ひどい渋滞もなくて、よかったです。」
「 あ、そうですか。それは本当にラッキーですね。」
( 彼女が言った通りだわ。へぇ〜、やるもんだな。)
家にお越し頂き、まずは、一息。
お越しになる前にあった交流について、ざっとお話ししました。
ふっと思い出したことがありました_
「 Mさん、私、昨日の夜、身体が疲れているかなと思った時に
飲む薬というか漢方かな、それを飲もうかなと思案していて・・・
その時に嫌な感覚があったんです。
薬をのんで、どうとかこうとかおっしゃったんですが、私は普段
本当にぼんくらですから、なんのこと? と思いましてね。
結局、飲まなかったんです。
薬について、思いあたることがおありですか?」
「 はい。彼女は、薬を嫌がっていました。」
「 そうですか。わかりました。ありがとうございます。」
次第に自然に交流が始まり、彼女はいろいろなことを話してくれました。
「 彼女はMさんのために、お世話というか、、、なんていうのでしょうか。
楽しそうにお料理したり、、、そんな姿を見せてくださるんですよ。」
「 はい。彼女は、世話というか、そうしたかったんです。」
「 なるほど。わかりました。」
「 彼女、とても楽しそうに、磨いてるな・・・これは、バイクの、えっと、
バイクの前輪のカバーというのでしょうか、こういうところです、
それを磨いてるんですよ。楽しそうに嬉しそうに。」
「 何か話しておられます。なんのことかな、、、仕事のこと?」
< お店。彼のお店。>
「 お店? Mさんのお店。そう・・・お店ね。」
「 はい。わかります。」
「 彼女はお店のことで、思っていることがあるようですね。」
そのあと、彼女は、お店のことについてのアドバイス_
彼女が思っていることを話されました。
聴きながら、伝えながら、私は、彼女のその思いや頑張りが、
” 内助の功 ” のように思えていました。
何とか、Mさんを手助けしたい_ この一心。
そこに悲壮感はありません。
彼女は、とても幸せそのもの。
彼女の気持ちを受けて、少し、私自身の考えも付け足している途中、
< 頑張れ >
「 話し途中ですが、彼女が今「 頑張れ 」っておっしゃるんです。」
「 ・・・はい。」
そのあとも、話し途中の続きを話していました。
しばらくするとまた、
< 頑張れ >
そう話して来られる彼女。
「 Mさん、また、彼女が「頑張れ」とおっしゃいます。癖なのかなぁ?」
「 わかります。彼女から来るメールにはよく書かれていました。」
「 そうですか。おわかりになるのなら、良いです。」
後日、Mさんから頂いたメールの一部を掲載させて頂きます。
– – – – –
(略)
彼女が「いまとても幸せ」と言ってくれて安心しました。
生前、「身の回りのお世話をしたい」と言っていたのを、いま全部してくれてるんですね。
普通に接していたころは気づかなかった思いを
毎日話しかけ、言葉にしなくても彼女に伝えていたつもりです。
それが伝わっていたと思うと、嬉しさと後悔とで複雑です。
昨日は、あまりにもリアルな光景を伝えられてしまい
私は驚きばかりで、彼女に聞きたいことや伝えたいことが言えませんでした。
私の仕事というのは、○屋なんです。
(中略)
彼女は、○を磨いたり、(中略)見守り、現状まで指摘するとは驚きでした。
本当は、私と一緒に仕事したかったんだと思います。
彼女が言うように、店は最近活気がなく、
(中略)
それを改善する気力もありませんでした。
でも、それじゃダメですね。
(中略)
くじけそうになってました。
でも、それは、また逃げてしまうことなんですよね。
彼女がよくメールしてくれた「がんばれ」を言われてしまいました。
今の私は、彼女から見ても、情けなく見えてるんでしょうね。
(注釈:彼女はそんなふうには思っていません。励ましたいの一心です。)
コインパーキングを出て、ぼーっとしていたのか
(中略)道順を間違えてしまいました。
間違えたと気が付いて、Uターンしようとしたところに
「手打ちそば」の看板が目に入り店に入ってみました。
その駐車場の野菜販売の男性が「暑いねー」なんて話しかけてくれたりして。
食事の事など全く考えていなかったのに。
彼女が好きだった蕎麦を食べることになるなんて、なんか不思議な感じでした。
とても貴重な1日でした。
自分を責めたり、後悔したりする日々は一生続くんだと思います。
でも、彼女が近くにいてくれていると感じながら
がんばっていこうと思います。
(略)
– – – – –
辛い悲しいことがあると、自分のためには頑張れないと思います。
自分のことはどうでもいい、そう思えてしまうのです。
それは、私自身の経験からそう思います。
けれど。
他界された方々は、そんな私たちを
励ましたい、活気づかせたい、といった一心です。
気づかれなくても、ただ ひたすら思いやり(愛)を
持ち続けてくれる。
健気というか、なんと言えばいいでしょう・・・
それが本当の思いやりなんだと思えるのです、私。
これは、ですね。
もう 一念奮起するしかないように思います。私たちが。
悲しい、辛い。
当然です。
それは無くなるもんではありません。
悲しみや辛さの期間が長く感じてきますと、
自分でも思うのです_
なぜ、悲しみ続けているのか?
誰のために 悲しくて 辛いのか?
というように。
一体全体、それは ” 何故?” と。
愛している人、愛しい人の他界を悲しまない人はいない。
こちらの現実を目の当たりにしながらも、私たちは、
生きなきゃならんのです。
これは、大変ですよ。
辛いし、悲しいし、切ないし。
それらを切り離そう、無くそうと思うから
そこに ” 無理 ” が生じるのだと思います。
なぜ、悲しさを無くそうとするのか?
なぜ、辛さを無くそうとするのか?
私たちが生きていく上で、そうしたものを悪いことのように
思われてしまいますけど、私はそうは思いません。
そうしたものがなければ、経験しなければ、私たちは、
単なるアホです。
環境を害するアホでしか ありません。人間って。
自分達人間の快適さや欲だけのために、
環境を壊し、動物たちの命を物扱いする ” どアホ “です。
悲しみや辛さというものをきちんと経験することで
心が豊かになっていきます。
人の痛みがわかる、のです。
自分の辛さや悲しみを計り売りなどせず、
いつもの仕事に、日常に活かしていくこと。
悲しい辛いで、留まることなく。
それが、どれほど素晴しいことなのかということです。
物事の「 二面性 」を捉えること。
愛する家族が、
愛する人が、
他界から精一杯、愛を込めて、難しい交流を実現します。
彼らは、努力しています。
交流は、簡単なことではないのです。
彼らは真剣です。
ご依頼人も真剣。
私も真剣。
そこには、実在する愛情と信頼が基盤です。礎です。
その基盤や礎がない交流は、しない。
欲のためには、やらない。
こちらではわからなかった心がわかるからこそ、
彼らは、一心にその愛を伝えて、
自分は元気なんだと、安心させたいのです。
これは、一念奮起するしか
ないでしょうよ。
と 私、そう思います。
< 私、幸せ。>
彼女は、私にそう話してくれました。
その言葉に嘘偽りの一片もないのです。
ぼちぼち、奮起の時期ですよ。
ね、Mさん。
ね、皆さん。
7/19 追記:
後日、Mさんから再び メールを頂きました。
” 先週末から、店のシャッターを開けてます。
少しずつでも頑張ります。”
まるで、息子が一歩を踏み出し始めたような気持ちになりました。
少しずつ、少しずつ。
ご存知、おしろい花の種。その種をつぶして私の手の平に乗せてくれました。
何度も何度もされているので、もちろん知っていますけど、「知ってるよ」
とは言わない。(笑)
子どもは親に見せたいんですよ、何度でも。そういうもんです。(笑)
毎回、「わぁ〜、白いねぇ」と思うし、そう言います。
「一回、においでみよう!」とかいでみました。
「!おしろいの匂いがするよ!わぁ〜、びっくり!」と私はびっくり口調。
「小麦粉の匂いがすると思うよ。」とあっさり口調の子ども。
もう一度、かいでみてもやっぱりおしろいの匂い。
「へぇ〜、そうなんだ。おしろい花ってすべてがおしろいなんだなぁ〜」
と独り納得。(笑)
落下傘を作ってくれました。
ひょろっとしたものを残しつつ、こういう形を作る子どもの姿は良いですねぇ。
少し上の石段を登って、落下傘飛行を試してくれました。
見事、成功です!
花をちぎるとき「ごめんね。」と言ってちぎる子。
これが遊び、だな。
相手のことも大事に出来ることが、遊び。と思います。
黄色いおしろい花が珍しく思えてパチリ。
アガサ 葉山在住
天国との対話 愛しい家族との時間
~天国の人々の思いを伝えています~
今だに故人を思うと、泣けてきますけれど^_^
私もそろそろ一念奮起する時期かもしれませんね。
メッセージをありがとうございます♪
他界した家族やお世話になった方々を思う時、涙が流れます。
先日書かせて頂いた「一念奮起」というのは、泣かない、ということではないのです。
何ていうのでしょう・・・涙の質が変わってくるように思うのです。
私自身についてもそう思えます。
人生はご存知のように様々です。
悲しい気持ち、辛い気持ちというのも、人によって違うなぁと思います。
家族が他界した悲しみも、直後、一ヶ月後、半年後、一年後、十年後・・・
様変わりしてきます。
時間や月日が解決するとは思えませんが、悲しみや辛さは、
月日や年数が流れてゆくと自分の中で何かが違ってくるんだなと思えます。
そういうことが自分の内で、何となく、こなれてくるというか、
以前の悲しみや辛さが遠い昔のように思えて、それを懐かしく思える時、
私は、家族の他界を心と身体で理解できたのかなと思っています。
いつもありがとうございます。
アガサ