咀嚼する生活
8月に入り、
暑さにかまけて 家のご飯も手を抜きがちな私。
私の一番落ち着くご飯は、子どもには不評です。
焼き魚、野菜具沢山のお味噌汁、そして、ごはん。
これに、煮こんぶがあれば、わたしは「最高」です。
秋冬には、じゃがいも、にんじん、ひろうすなどの煮物。
不評そうでしょう?(笑)
私が作るのは、” 昭和の食卓 “。
おばあちゃん料理こそ、
日本人の体質と精神には最適だと思っています。
家庭での「食」は、そこん家の考え方が含まれていきます。
食は、身体の状態を育むだけではなく、精神も育みます。
これは決定的です。
首をかしげるような様々な社会問題が増えているのも、
食事の仕方や食材の影響もあるんだろうと思います。
手軽さ、楽さ、見栄え、そして、食べたいものを食べる。
多くの人々が食べるには、量を作らねばならない。
売るには、量を作らねばなりません。
となると、当然、添加物などの薬品が必要になります。
” 売れるまでの保存期間 ” が必要だから、です。
私たちも買う時、
「 わぁ〜、ふっくらぁ〜。」
と喜んで買い物かごに入れてしまいます。
ちょっと待てよとふと我に返ると、
それが不自然であることが わかります。
薬品が入っていないものは、当然、自然の道を辿ります。
腐ります。
それが、自然。
家族が畑作業をする姿を見て、安心安全な野菜作りは
その手間の多いこと。
びっくりします。
野菜が育っていく様子を見て、
安全な食材は、どういうものなのかを知りました。
なんにでも言えることですが、
安全で安心出来ることの裏側(基礎)は、
非常に地味で地道な努力が在り続けるということ。
毎日、休みなく。
ただひたすら、努力し続けるだけ。
誰かに報いられたいと思ったら・・・終わりだろうと思います。
食べることは、咀嚼すること。
咀嚼することで、脳の働きを促します。
感謝をすることで、さらに、満足感を感じる脳内物質が分泌されて
幸せをも噛み締められるのです。
咀嚼する生活。
人と話し合う、ということもある意味、
咀嚼だろうと思うのです。
現在は、インターネットが盛んになり、
様々なツールやアプリケーションで溢れています。
文字だけのやりとりを続けますと、
理性を働かせることを忘れると、
我欲が大きく張り出して来ます。
これは、” 咀嚼 ” しないからだろうと思うのです。
人とじっくり話し合うこと、
しっかり噛み締めながら咀嚼する食事。
この両方は、やっぱり 私たち人間にはとても大切です。
思い通りにならないから、、、といって相手を傷つける。
傷つけていることも、わからず、欲のまま、
それが犯罪へと繫がっていく。
今は、犯罪と日常がとても密接になってしまったように思います。
誰にでもその ” 可能性 ” があるんだなと思えることは、
ふとした日常のひとこまに見え隠れし、
それを心の闇だとは言えないのではないかと思います。
心の闇が犯罪に繫がるのではなく、
相手の立場を想像する気持ち(思いやり)、
見えていない相手の心情を察する気持ち(思いやり)が
咀嚼しない日々の積み重ねによって
” ひとりよがり ” と成ってしまいます。
権力や特別扱いへ憧れが強く、求め続けてしまう時期、
それが犯罪へと繫がっていくのだろうと思います。
突然、物事が変化するのではなく、
日常の積み重ねによって、
いかようにも変化していくもの。
そして、
安全や安心というのは、
自分で気を付けていかないとどうにもならない国に
なってしまったんだと思います。
なんにしても、
何才であっても、
いくつになっても、
相手を思いやる気持ち、
相手の真意をくみとろうとする気持ちは、
生きていくうえで かけがえのないもの。
暑い夏。
イライラすることも多いと思いますが、
そういうときは、
噛み締める食事を心掛けてみるのも
良いんじゃないかと思います。
” 忙しいのに、ゆっくりと噛んでられない!”
という方も多いと思います。
たまに、目の前に並んでいる食事を
ゆっくり じっくりと 噛み締めることは
良いことだと思います。
心と身体のために。
平和のために、にも。
見栄えは良くないかも、しれませんが、とても良いです!
ぎゅっと締まった食感です。
「ピンクなんとかルージュ」とかっていう品種だったと思います。