母と共に

お元気でいらっしゃいましたか? 

気がつくと、10月も中旬です。びっくりします。

早いですねぇ、時の流れというのは。

” 最近、ブログ更新されてないなぁ・・・”

” どうしたのかなぁ・・・”

と思ってくださっていると思います。(ニヤリ)

時間のある時には、身の回りの整理をしています。

どういう整理かと申しますと、例えば・・・

頂いたお代から月々、寄付支援している先の検討などです。

何度も何度も考えるんですね、これが。

あーでもない、こーでもないと。

時代の変化と共に、環境も変化していきます。

日本も随分変わりました。

今迄と同じで・・・ということですとどうしても隙間に

油断と怠惰が発生してしまいます。

何もかもが変化していきますが、変わらないのは、

家族を思う愛だろうと思います。

まずは、

Rさんから頂いたメールの一部を掲載させて頂きます。

– – – – –

(略)

ずっと、今日のこの日を心待ちにしておりました。

今回もまた愛おしい娘と話すことができました。

前回よりももっと成長していて、話す内容もずいぶん大人びてきて
しっかりしており、びっくりしました。

でも、やはり言葉遣いや性格はあの子のままなのですね!
懐かしさと嬉しさで胸がいっぱいになりました。

娘を亡くし◯年の月日が経ちました。

泣いてばかりの毎日から少しずつ日々の暮らしの中で
笑顔も出るようになりました。

しかし、ふとした瞬間に襲ってくる絶望感や悲しみは
未だに私たちの心を締め付けます。

そんな時には、交流を思い出し、
「あの子は今も元気に生きている。大丈夫、いつか必ず会えるんだ。」
そう思って心を落ち着かせます。

今日も約一年ぶりにアガサさんを通じて娘と対話をする中で、
改めてあちらの世界を強く確信することが出来ました。

元気いっぱいにアガサさんに話す娘が目に浮かび、
「娘がいる、今ここに!」
途中何度もそのように思いました。

「妹を見張っているよ。」
・・・まさにあの子らしい言い回しです(笑)

(中略)

娘と一緒に来てくれたおばあちゃんですが、アガサさんから特徴を聞いて、
すぐにこの8月に亡くなった義母だと確信しました。
娘にとってのおばあちゃんになります。

娘が亡くなった時、義母は深く悲しみ、よく涙を流していました。
今、あちらの世界で再会できたのですね!

娘亡きあと、病気に苦しんだ義母ですが、最後は本人の希望もあり、
住み慣れた自宅で看取ることが出来ました。

亡くなる前によく私に義母が話してくれたのですが、
「目をつぶると、亡くなった両親が現れるんよ。
 きれいなお花を身に着けて、にこにこ笑っているのよ。
 両親っていうのは本当にいいもんだねぇ。
 ◯○ちゃん(娘の名前です)も目をつぶれば出てくるよ。可愛いの。ふふふ。」
という感じで本当にうれしそうに話されるのが印象に残っています。

その頃、すでに体中が病魔に侵され、限界を迎えていたのに関わらず、
その話をするときだけ本当に穏やかな顔になるのです。

義母の様子を聞き、むこうで元気はつらつとされているのが分かり、
私も心から安心しました。

(中略)

この度はアガサさんに心臓の痛みや貧血の症状を体感させてしまい、
申し訳ありませんでした。
(ア:いいえ、そんなこと気になさらないでください。)

季節が変わり、これから気温も下がってまいりますので、
どうぞお身体お大事にされてくださいね。
(ア:ありがとうございます。お互いに身体を大事にしましょう。)

– – – – –

すべてを受け入れるということは、

気持ちや意気込みだけでは無理だろうと思います。

実際の、様々な経験を通して 自らの心のなかで、

葛藤に次ぐ葛藤の経験や日を重ね、

自ら 導き出したもの_

覚悟に似ていると思われるそれによって

自然になるまで熟成され、

とにかく、じっと待つ。

自分に馴染むまで、心や精神に染み込むまで待つ。

その繰返しがいつしか ” 受け入れる ” 状態になっている

のではないかと思うのです。

家族を亡くしますと、

人であれ、動物であれ、

自分にとって身近な大切な、失いたくない存在が

手の届かないところに行ってしまったとなると、

正気ではいられなくなります。

様々な感情が波のように 次から次へと押し寄せてくるのに、

現実の生活、日常生活は待ってくれません。

自分の感情に浸れる環境であっても、

自分の感情に浸れない環境であっても、

どちらが恵まれているとは言えないと思います。

どういうことにも二面性(多面性)があります。

娘さんと一緒に来られた義母様は、相当、心臓が弱くなっておられました。

私の心臓はリアルに痛み、激しい動悸となり、

貧血が起こり・・・自分の健康状態と錯覚してしまう程でした。

(確認をする意味でも、その後、健康診断に行きました。)

どなたの時も、毎回そうですが、どなたが来られるとも

わかりません。複数回目であっても、わかりません。

すべてを委ねる、忍耐ぐらいしか私に差し出せるものはありません。

だからこそ、娘さんと再び、交流出来たことは喜びでありました。

成長した” 空気 “を感じる時、歴史を感じます。

ご依頼くださる方との歴史、

ご家族との歴史です。

娘さんは、

お母さんのお仕事について色々とアドバイスなさっていました。

驚きました。

子どもは、本当に よく見ています。

子どもが言うことは、実に 正しい。

大人のように色眼鏡で見ない考えない分、すんなりと私の心に伝わります。

娘さんは、お母さんのお仕事の、突然の変化についても言及されました。

Rさんに伝えますと、とても腑に落ちておられたようです。

とても大変なお仕事に転属され(させられ)、

おそらく、葛藤の日々でおられると思います。

Rさん、覚えていてください。

娘さんがおっしゃったこと、

一緒に働いていると思えることや、

手助けのタイミングのことを。

確か・・・

<いつも、手助けされているって、そんなのないよ。

 本当に、必要な時に、それってわかるんだよ。>

そのようなことをおっしゃっていました。

娘さんがおっしゃっていることはとても正しいと思います。

お父さん(ご主人)のことも、しっかりとご覧になっている。

娘はすごいなぁ〜と思いました。

子はスゴい!

親も負けてはおれませんね。

天職に、楽なことなどないと思います。

厳しいことばかりなように思えると思います。

その大変ななかでほんの一瞬の輝きが有るかもしれません。

軽々とやってのけるようなことは天職ではないと思います。

望んでもいないことがやってきて、

大変なことの連続が いつのまにか 自分の一部に

なってしまっている _

それが授けられた仕事なのだと思います。

どのような仕事も、楽ではありません。

楽な仕事は、そもそも 仕事ではないのです。

吐き捨てるように発せられる辛い言葉は、その方の悲しみの裏返しです。

自分は誰にも大事にされない、愛されないと思い込んでいるから

キツい言葉を相手に吐いてしまうんです。

様々な複雑な感情があって、そう言ってしまうのだと思います。

親の愛を知らないのかどうかは、わかりません。

心底、命の大切さをご存知ないのかも、しれません。

あるいは、心を閉ざすことで自分を守っておられるのかも。

憶測は、いろいろ出来ます。

わかっていることは、

相手にも自分にも、心があるということ。

傷つくほどに、愛は深まります。

ちっぽけな私の人生経験から、

この言葉をRさんに添えたいと思います。

我が子が親よりも先に他界されたその深い悲しみを

深い人間愛としてさらに育まれんことを。

命の大切さを辛い程ご存知だからこそ、

お出来になることがたくさんあります。

あなたはひとりではありません。

それを忘れないでください。

” 母と共に “。

= おまけ =

町民農園の長老お三方から ” 里芋先生 ” と呼ばれている家族。
今年初の里芋です。今年は長雨大雨ということがあり、ほとんどの農作物にとっては
被害となりました。
家族は長雨大雨で、毎日毎日、ぼやくわ、愚痴るわで聞かされる方も大変でした。(笑)
だけど、里芋にとっては恵みの雨。里芋はとにかく「水」が必要だそうです。
結果、とっても大きな、見事な里芋に成長しました。


大きさのために、手にとってみました。
ほら、大きいでしょう?!
私の手は女性にしては、大きい方なんです。(と思っています)
手首と手の区切り線から中指の先端まで、18cmはあります。(普通?)
ですから、この手の中にある里芋は大きいんですよ。
茹でて、塩ふるだけでご馳走です!

+1

2件のコメント

  • 子供の成長は親にとって嬉しいような寂しいような複雑ですが元気で笑顔でいてくれることだけでも確認できたらそれだけで幸せになれます。
    何年たっても哀しみの深さや寂しさは変わらないけどでも、向こうの世界で待っていてくれる、向こうの世界があるんだって
    それを確信できることって一番嬉しいプレゼントです。
    アガサさんプレゼントや素敵な贈り物してばっかりですね。
    本当にありがとうございます。
    また、私も娘と話したくなっています。
    まだちょっとだけ我慢出来るかなぁ。

  • お返事が遅くなりました。
    まさこさんがおっしゃる通り、子どもの成長は親にとって嬉しい気持ちと、ふぅーっと寂しさのようなものが混じりますね。わかります。親離れは自然にしていくものですが、子離れの方がなかなか。難しい時がありますね。(それも慣れかなぁ〜)
    私もご依頼を通して、"ご家族"から様々なことを知らされます。
    本当?と思うようなこともありますが、つじつまがあってきますと認めざるを得なくなります。
    プレゼントは、ご家族からのプレゼントです。
    それと、タイミングもあるでしょう。ね。
    私が出来ることは、ただ、正直を通す勇気ぐらいなもんです。
    確信する材料がなくとも、家族は家族。
    家族と共に暮らした歴史(経験や思い出)が全てです。
    家族を思う時が会話(交流)している時です。
    いつも温かなお心を書いてくださり、有難うございます。
    アガサ

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