実家に出向く
今月の初め、2年振りに実家に顔を出しました。
電車に乗って外出することがほとんどない私は、
交通機関のシステムに完全に付いていけてない!を実感。
数十年前の田舎のおばちゃんがタイムスリップしたみたいだなと思いました。
京都に着き、観光客の方々の多さ。
( 京都の空気は変わったなぁ・・・)
がっかりというか、その変わり具合に驚きました。
行く度に、海外からお越しになる観光客の方々仕様になっていて
私が生まれ育った頃の京都は、” 古き良き昔 “。
日本人も随分昔は、海外で そうだったと思います。
まぁ、それはさておき。
見る度に老いていく親の姿を実感した時、不意打ちをくらって涙が出ますね。
親というのは、いつまでも大きな感じ。” 年上 ” の存在。
年齢についてではなく、存在です。
いつのまにか、自分より よぼよぼしてしまい、(当たり前ですが)
いかにも ” 老人 ” というような雰囲気と見た目。
いつもながら、ちょっとしか実家に留まっていない娘を
自宅前で見送る母。
バス停に向かう私は振り返らずに手だけ振ったりして。
振り返られなかったです。
泣けて来ましてね。( アホですね、私。)
母の前では ” いつも強気の娘” で居続けたいのでしょうね。(苦笑)
親子ってそういう一面もあります。
私自身の人生も、皆さんと変わらず、いろいろありました。
再婚をして、様々な経験をしました。
苦労とは言いたくありません。
苦労されている方々は、世の中に多くいらっしゃいますし、
嬉しくない経験というのは、必ず、自分の肥やしになりますから。
苦しい時って、言えないんですよね。
誰にも。
もちろん、親兄弟に何も言ってません。
( 何とか、乗り切りたい・・・。)
そう心のどこかで強く思っていたのでしょうね。
七転八倒しながら、少しは心臓に毛が生えてきたかなと思います。(笑)
母が経験してない苦労を私はしました。
今もしているでしょうし、これからもするでしょう。
私が経験していない苦労を母はしていただろうと思います。
それぞれ、ですね。
家族であっても。
ご存知の方はご存知の通り、わが家はサラリーマン家庭ではありませんから、
安定という文字とは、無関係。(笑)
正直に生きていると何故か、家計は右肩下がりになります。
ま、そんなもんです。(笑)
そのうち、安定って何だ?と思えるようになって来ます。
これも心臓の毛の大切な1本に成りました。(笑)
様々なことが次から次へとやってきていて、
いくら乗り切りたいと思い続けて努力していましても、
人間誰しも、凹む時もあります。(苦笑)
( もう、あかんのかな・・・)
そう思っていた頃のことでした。
何も知らせていないのに、突然、父がお金を送ってきました。
( なんで? なんでわかったん? )
父が送ってきてくれた現金書留を抱きしめ、ひとり、泣きました。
張りつめていた気持ち、情けなさや何やかんやが、
ばぁ〜っと流れ出たんでしょうね。
今思い出しても、胸が詰まります。
30代中盤までずっと、父が大嫌いでした。
波瀾万丈的で、彷徨っていた時期でもあります。
母は電話口でぎゃーぎゃー言ってまして、今度は、父が電話口に。
父は、電話で一言、
「 わかった。」
それだけ言ってくれました。
父のその一言で、何十年分の凍っていた私の父への気持ちが溶けました。
不思議なもんですね、親子って。
それからも親孝行らしいことは、今だに出来ていません。
これからは、せめて、年に1回くらいは実家の家族の顔を見に
帰郷しようかなと思っています。
直接会う_
他界の方々と交流を常日頃させてもらってますが、やっぱり、違います。
それは、至極自然なことですけれど。
お互いがこっちに居るうちに、
会えるうちに、
会えるのだったら、
会った方が良いように思います。
世の中、どんなにインターネットで繫がって便利になっても、
直接会うというのは、全く違います。
直接会って話すというのは、強烈です。
会うことが ” すべて ” とは思いませんが、
会いたいと思う人には、時間とお金を無理しない程度に
会った方がいいのかなと思えます。
私たちには、様々な制限があります。
時間
距離
体力や体調
お金
そうした”制限”があるからこそ、
物事や心を大事だと実感出来るのだと思います。
全てが自由に手に出来ると、感激や実感といった感覚、
肉眼では見えない触れられないものというのは、
どうしても鈍ってしまい、麻痺してしまいます。
制限があるからこそ、私たちは、丁寧に誠実になれるし
実感できるのだと思います。
親には 親の人生があり、
子には 子の人生があって、
友には 友の人生があり、
他人様には 他人様の人生が あります。
自分の感情で
大事な家族、他人様、動物たちの生き方や行動や考えまで
決めつけることは なりませんね。
愛しいご家族、愛しい人、愛しい動物たちが
重い肉体から解放された後までも、
私たちの ” こうであって欲しい!” を押し付けては
なりません。
” すべてが自由 ” なのですから。
愛というのは、自分の欲や感情とは無縁のもんです。
そう 思います。
遠いと言わないで、年に一回は実家の家族に会いに行こう。
ねぇ。(笑)
大好きな家族、ごんです。
老犬になってから食欲増大。かな?
顔面左に出来た腫瘍ボールが運良く取れてから、食欲増大!です。
いつも食べるものを探しています。
ごはんの後は、おむつが留まりません。お腹が膨らむんです。
ガムテで留めないと、えらいことになります。
” 居るのが当たり前、ではない。” ということをごんからも学び中のわが家。
健康というのは、恵まれた状態です。
当たり前とは思いません。
毎日めいっぱい、「大好きだよ、ごん。」って言えるのが、しあわせです。
アガサ
「人と直接会う」という行動は、例え僅かな時間であっても、本当にかけがえのないものですよね。おっくうにならず、私ももっと出かけてみようと思いました^_^
> 「人と直接会う」という行動は、例え僅かな時間であっても、本当にかけがえのないものですよね。おっくうにならず、私ももっと出かけてみようと思いました^_^
おはようございます。コメントを有難うございます。
若い頃は、家に居るよりも外に出掛ける方が合っていましたが、
家族を持つようになり、自分ファーストでは居れなくなりました。
(ファーストって流行言葉ですよね?笑)
動いた分、感情も動きます。経験になります。
じゃぁ、動けば善いのか?と考えますとそうでもないように思います。
自分本位だと、動こうと出不精であろうと、感情はのっぺらぼうになり、欲深くなりますね。
自分ひとりで生きているわけではないので、
自分本位というのは、自分にとっても周囲の者にとっても気の毒。
相手があってこその、自分。
春は、自然が特に有難く感じる季節です。
気が向いたら、散歩がてらそこいらで懸命に生きている小さな花や虫、
動物たちを眺めてみてください。
彼らは地味な存在ですが、とても大切な存在だと思います。
アガサ
帰れる実家があるというのは、有難いことですね。
そこに行けば当たり前にある安心感。当たり前じゃなく、期間限定なんですよね・・・。
国同士が挑発し合い、いがみ合い、明日でさえどうなるかわからないですね。
大好きな人、大切な人と、この世で一緒にいられる時間は思っているより少ないのかもしれません。
丁寧に、誠実に。本当にそうですね。