そっと手を。

毎回伺う度に、息子とアガサさんの関係が親しくなっていくように思います。笑
私がアガサさんを信頼しているように、
息子もまたアガサさんを信頼しているのだと強く感じてなりません。

桜の綺麗なこの時期は、◯年前の辛い闘病中を思い出し、いろんな思いが重なり、
心が落ち着かなくなりますが、そんな私の心の揺れを息子はちゃんとわかっていて、
息子らしい言い方で私を叱咤激励してくれました。

情けない母親で、息子にはいつもいつも同じことを言わせてしまってるなぁ…と。
それでも息子はきっとわかってくれてる…そう思います。

息子の存在を信じたいと思いながら、信じきれていない私の気持ちを息子はわかっていて、
自分は生きてる…今もいるんだよ…
そう強く訴えてくれた息子の「わかってくれよぉ~」「アガサさんからも言ってやってくれ」
と言わんばかりの思いが伝わってくるようでした。笑

その言葉がすべてです。
それを聞けただけで充分…。
それが知りたかったこと。
ありがとう

…息子の言葉を伝えてくださったアガサさんと、
何とかしてそのことを私に伝えようとしてくれた息子に感謝です。

息子の◯に対する言動には笑えましたね。
小さいときから可愛くて仕方ないといった感じでしたから…
お互い年頃になり、気恥ずかしい気持ちもあるんでしょうが、妹思いの息子は健在でした。笑
悪いムシがつかないように、私も監視しておきます。笑笑

今日は久しぶりに娘も交えた交流で、いつもとはまた違った思いで帰ってきました。

– – – – –

この日の朝、いつものように交流時間とご依頼人さんのお名前を

再確認するために机に向かっていました。

すると、私の足首のあたりを ” こちょこちょ” 。

足下を見ますと、小さな可愛い動物が来てくれていました。

( わぁ〜、可愛い! ハムちゃんだ。)

好きなようにさせておくと、段々と脚の方によじ登ろうとして

爪を起てて、” カリカリ ” しはじめました。

( 小さな爪でおねだりしてるんだねぇ〜! 笑)

本当に、可愛い。

動物たちの可愛い訪れは、手放しに嬉しいもんです。

アガサ部屋のドア付近にふと気配がありました。

視線を向けると、青年が私の方に来てくださっていました。

ハムちゃんは、いつのまにか青年の方に行き、

彼はとても可愛がっているように思えました。

人が動物を可愛がり慈しむ姿と心は、

その場をとても居心地良くしてくれるように思います。

しばらく、彼らの居心地良い空気に ほっこりしていました。

< その時、静かなもんだった。>

ハムちゃんが好きに動けるようにしながら、青年は穏やかに話してくれました。

( その時、というのは・・・)

ふふっと笑いながら、” わかるでしょ ” と心で通い合い、

( あぁ、” その時 ” ですね。わかりました。)

と頷きました。

< 何回言ってもわかんないんだなぁ〜!(笑)>

お母さんが話しかけてくれていることへの返事、

お母さんに話している時のことを笑いながら言いました。

( それは、誰しも同じですよ。誰だって、すべてを聴き取ることは無理ですよ。笑)

< まぁ〜ね >

青年との他愛もない会話は、とても落ち着きます。

< お母さんが眠ってる時・・・>

( はい )

< そっと 手を握ってあげてる。>

( そうでしたか。)

< いつもじゃないけどね!>

照れくさい顔を見られないようにして、くくくっと笑う彼に

優しさと、彼自身の成長ぶりといいますか、

落ち着いた様子に さらに安心を重ねられました。

お互いにしばらく話さなかったのですが、

青年は思い出したように、話し始めました。

< あなた(私)は、(自分が)生きているって信じてくれてる。>

そのことがとても嬉しいようでした。
( ア:他界すると人の本心が通じます。わかります。)

彼の気持ちは、とてもよくわかります。

同時に、親心も わかります。

どんなに青年の気持ちがわかっても、越えられないものがあります。

私は、彼を産み育てた母ではないからです。

親としての気持ち、母としての気持ちが、言葉を飲んでしまうこともあります。

親は、信じたい一心です。

信じれる、信じてる、信じたい・・・

その時その時の気持ちの状態によって、複雑になります。

信じていても、自分が気弱になったり、

何か不安なことがあったり、

気持ちが揺れている時には、普段、信じていることさえ

自分の妄想ではないか ・・・

信じようと無理をしているのではないか・・・

信じている自分を演じようとしているんじゃないか・・・

様々な気持ちの波が押し寄せてきます。

青年の素直な気持ちを十分に受け止めてから こう返事しました。

( 親は、誰でもそうですよ。

 子どもがどんなに大きくなったって、

 どこかで心配をしてしまうものです。

 嬉しいと言っては、泣き、

 心配だと言っては、陰で泣き、

 代わってやれれば良かったと思っては 自分を責めるんです。

 それが親だと思うんですよ、私。

 あなたのご家族みんな、あなたのことを心から思っておいでです。

 他のご家族も、そう。

 みんな、そうなんですよ。

 それが家族ってもんです。)

交流年数を重ねれば重ねる程、私のなかで自問が増えます。

 どういうのが交流なのか?

 何のための交流なのか?

いつも いつも 考えます。

とってつけたこと、上っ面なことが大嫌いな私は、

霊媒だという名称さえ、嫌気がさす時もあります。

その文字を目にすることさえ、とってつけたように思えます。

気持ちや心が届いても、どれほどの信憑性があるのか、

私の身に起きることで判断出来ても、

やっぱり、ご依頼人さんが

「 家族らしいなぁ・・・」

「 あの人らしい 」

「 あいつがそこに居るみたいだ 」

というようにお感じになって、心が温かくなるのが

真の交流だと思っています。

伝え手だけで成り立つものではないと、

ご依頼を頂くすべての方々に申し上げています。

話される内容の数が、すべてではないのです。

” 家族らしさ “

その人らしさを心で感じれるかどうか。

そのことに気づいてあげれるかどうか。

つまりは、

認めてあげれるかどうか。

これだろうと思います。

心で認めてあげれることがあって、

はじめて こうした交流というのは成り立っていくし、

三方の心の交流が深みを増していきます。

そういう意味では、万人に受ける霊媒や交流というのは

無いのかもしれない。

飾り気のない、実直な交流が 私の交流の特徴だろうと思います。

派手さはありません。

普段のままの ” その人らしさ ” を私は心から歓迎するのです。

ハムちゃんは、お母さんが子どもの頃に飼っていたそうです。

息子さんは、ハムちゃんがやりたいように・・・

肩にのったり、頭によじのぼったりと好きなようにさせていました。

Yさん、

息子さんは、ハムちゃんを大事な家族のように、

小さな友達のように、

そっと肩に乗せていましたよ。

おかげで、安らぎに包まれて、私も交流に入り込めました。

有難うございます。


先日、お越し頂いた方から頂いたわんちゃん用のお菓子。
固いパンのような、乾パンのような香りでした。
うっかり、家族に渡してしまいました。
案の定、” 待て ” 。(笑)
私には、無理!
「良かったねぇ!美味しいよ!」とすぐにあげますから。(大笑)
この後は、よだれが泡になるほど、頑張り続けて、ようやく食べれたゴンでした。
( わんこも大変ですな!)

アガサ

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