公平に、誰にとっても。

“ 家族との会話も空気さえも、疲れを感じ始める。

 ひっきりなしに話してくる家族。

( こちらの気持ちは、お構い無しなんだろうか・・・)

 いつしか、自分の気持ちが、固くいっぱいいっぱいになって来るのを

 感じながら 家族の話を聞く。

 申し訳ないけど、ただ 聞いているだけ。

 話は、”声”となり、声は、”音”になっていく。

 気分が落ち込みながらも、それでも 聞かなければ・・・と思う。

 この気持ちは偽善なんだろうか。

 

 家全体が息苦しく、全てから解放されたいと思うようになり、

 自分が鬱なのかとも思えた。

 こういう状態をどう呼ぼうと あてはめようと どうでもいい。

 静かなところへ 行きたい・・・。

 どんなに小さな音も、今の自分には 耳障りに聞こえる。

 まるで、全身の神経が 身体の内から外へと突出してしまったような

 そんな気さえ、する。

 ・・・大袈裟なんかじゃなくて。

 悲しくて、疲れて、何かもかもに絶望しながら

 ようやく うとうと 眠ったようだ。

 朝起きて、また、今日が始まるのかと ゲンナリする。”

強烈な疑似体験、でした。

疑似体験と見聞きされると、大したことは無さそうですか?

いいえ。そんなことはないのです。

疑似とはいえ、私自身の身と感情に起こりますから

とてもじゃないけれど、” 他人事 ” とは思えないのです。

さて、当日。

朝からとても晴れていました。

5月の朝は、まだ肌寒いのですが、昼間近くになりますと

夏を思わさせるような陽射しになり、風も吹いて爽やかです。

Kさんを待ち合せ場所へとお迎えにいきました。

にこっと挨拶をしてくださるのですが、表情というのは隠せませんね。

様々な思いと疲労が見て取れました。

( 目に力がないなぁ。疲れておられるんだな・・・)

そう見て取れても、感じ取っても、いちいち、そのようなことを

言わないようにしています。

それは、人として当然持つ “思いやり” というもんですから。

何でもかんでも、びゃーびゃ喋るなんて 自分勝手です。(苦笑)

さて。

いつもなら、簡単な説明の後、静かに交流に入り込むのですが

この日は、疑似体験したことについて 先に申し上げねばならないと

思いました。

二言三言話していますと、Kさんはびっくりされて

「 まるっきり、私のことです。」とおっしゃいました。

「 そうですか。そうでしたか。リアルに私も辛かったですから 相当ですね。」

そう言いますと、鞄の中からティッシュかハンカチを出してこられて、

「 最近、すぐ、涙が外に出ちゃうもんで・・・」

と目のあたりを抑えておられたように思います。

年齢や苦労を重ねると、そうですよね、皆。

皆、そう。

その後、空気も一段落したようで、交流に入ると

若い男性が にこにこしながら、静かに来られていました。

大体の年齢(年台)と背格好、そして、お人柄や性格、

伝わってくることを話しました。

伝えることに入り込みますと、ある意味、一方的に話し続けて、

うっかり、確認をとるのを忘れてしまう時があります。

Kさんの時もそうでした。

「 おわかりになりますか? わからないですか?」

と確認しますと、おわかりになるようでしたのでそのまま続けました。

< すごく 会いたかった。>

わかりやすいリアクションは無いものの、

心からそう思われているのが伝わってきます。

そう話す青年の心に、胸いっぱいになっていた私は、

<・・・ひど・・・し・・・>

( ん? ひどし? ひろし?)

といった具合に、聴き漏らしてしまいました。

それさえも、言わないと流れさっていきます。

「 ひどし、あるいは、ひろし、というように聞こえますがわかりますか?」

「 ・・・いいえ。わかりません。」

「 わかりました。もう一度、聞き直します。」

< ひどいしうちをしてしまった。両親を苦しめてしまいました・・・>

そのまま、Kさんに伝えました。

おわかりになるようです。

心のなかで一言二言だけ会話をし、話したいことに移りました。

< 自分のせいで お父さんは苦しんでいる・・・変わってしまったんだ。>

( そんなふうに思っちゃいけないですよ。

 お父さんもお母さんも誰も、あなたのせいだと思っていませんよ。)

親の生活が変化していくと、子どもは敏感に察知します。

そして、自分のせいだと思ってしまいます。

これは、いけません。

親は子どもにそんな思いをさせては、ならないのです。

子どもには、きちんと真実を話さなければいけません。

人して尊重しながら、話すこと。

口先だけの話し方では、見抜きますからね、子どもは。(苦笑)

誤摩化しなんて効きないんですから。

どのように話したのか覚えていませんが、

息子さんは、” ある提案 ” をしてくれました。

< しばらく(息子さんが)お父さんの近くに居るよ。

  そうしたら、お父さんにも伝わると思うから。

  お父さんの近くに居るからって、お母さんの近くに寄らない_

  っていうことじゃないから。

  お父さんにとっても、お母さんにとっても、それが良いようになると思う。>

「 まあ!なんて名案なんでしょう! 」

私は心の中で拍手を送っていました。

「 なんて公平な・・・公平っていう言葉で良いのかな? 平等?

 ぴったりな言葉が思いつきませんが、息子さんは基本的に人との距離を

 ある程度とられる方です。良い意味で、ですよ。

 その彼が、ご自分の領域を越えて、お父さんに近づくよって。

 きっと彼の、息子の思いやりがお父さんに届きますよ!

 偉いなぁ!息子さん!

 やっぱり、” 子は かすがい ” ですね。」

「 本当に、その通りです。

 息子は、誰にでも公平でした。中立的立場でした。

 自分の気持ちを表に出すことは少なかった分、

 家族のなかで一番、大人だと思います。」

Kさんのこの思いと言葉に、しみじみしました。

印象的だったのは、Kさんが息子さんに対して

「 ありがとうございます。」と頭を下げて御礼をおっしゃっていたこと。

私自身、家族に御礼の言葉は言う習慣と心はありますが、

頭を下げての「ありがとう」は、ないかも。数えるぐらい。

Kさんを見習おうと思いました。

< お父さんに会いに行こう。>

「 ご主人に、会いに行かなきゃ。(笑)」

息子さんが私に、そう伝えて欲しいと思われたと同時に

私の口から自然にそう出てきました。

心から、自分と向き合ったのでしょう、息子さん。

努力なさったんです。

あの爽やかな笑顔は、向き合ったからこその笑顔。

こちらに居ても、あちらに居ても、同じ。

自分と向き合うことを後回しにしたり、誤摩化しては

大切なことや大切な人の心さえ、すっ飛ばしてしまう。

自分の心に目隠しをしてしまいます。

自分だけが不安なのでは、ないのです。

自分だけが可哀想なのでは、ない。

目の前にいる家族だって、辛いし、悲しいのです。

人誰しも、辛い時や悲しい時は、

自分だけが孤立してる・・・

自分だけが取り残されている・・・

自分は生きていても、しょうがない・・・

というような感情で自分を自分の感情の鎖で

ぐるぐる巻きにしてしまうものです。

誰でも そう。

誰でも そうなんですよ。

行き場のない感じ、ですね。

だけど、そう思うのは自由だと思います。

自分を祖末に思うのも、自由かもしれない。

私がここで申し上げたい、申し上げねばならないことは、

息子さんが、懸命に働きかけておられる、ということです。

このことを いつも 心の片隅に置いて頂きたいのです。

親を思っている気持ちを丁寧に扱って頂きたいのです。

それぞれが 別々に悲しんで どうするの?

お互いの肩で泣き合うことだって、時に必要ですよ。

“自分の気持ちは、自分にしかわからない。・・・”

そんなことはありません。

わかる人には、わかるんです。

わからない人には、わからないかも しれない。

我慢は、どちらか一方だけがするもんではありません。

家族だからといって、

自分のやりたい放題、言いたい放題ではいけません。

それは、単なる ” 身勝手、得手勝手 ” 。

家族だからこそ、大事にしてください。

息子さんは、お父さんに近づくとおっしゃいました。

親孝行です。

” 見えない” 親孝行かもしれない。

でも、私は、すっごい親孝行だと思います。

気持ちが前向きになれない時も、誰にでもあります。

自分だけが辛い状態だと ふさぎこんだり、

布団から出るのが億劫に思う時だって、ありますよ。ある!

だけど、

億劫に思えたって、子どものために、起きなさい。

辛くたって、子どものために、生きなさい。

子どものために、頑張ってる親や兄弟は

世の中にいっぱいいらっしゃるんです。

他界したって、家族じゃないですか。

見える触れられるだけが、家族ですか?

お節介かもしれない。それでもいい。

ひとりの母親として、言わせて頂きたいのです。

息子さんは、それこそ、公平に平等に

ご両親を思い、話しに来てくださったのです。

ふさぎ込んでる場合ではないですよ。

息子さんのために、少しずつ前を向こうじゃありませんか。

ええ、そうですとも。

肉体が有ろうと、脱しようと、親は親。

思いやりが有る限り、繫がっているんです。

どこにいたって、家族でしょ?

どこにいたって、家族。

5/20早朝追記:

強烈な疑似体験は、必要だったのだと思います。

必要だから(むこうから)知らされたのです。

親を想う、子の思いやり_

息子さんの思いが、心を動かしたのだと思います。

その必要があったんですよ、きっと。

人はすぐには変われない。と思います。

余程の覚悟を地道にしていかない限り。

” 変える、変わらなきゃ・・・”

そんな無理強いは、ハリボテ。(笑)

効果を先に求めると、大事なことが漏れてしまう。

効果というのは、後から自然についてくるもの。

求めたい気持ちは、逆効果に働くことも多々です。

人として大切なことを ちょっとずつ。

そう思いますよ。

私の今迄の人生経験から、そう思います。


野良愛猫ぺこ、久しぶりに登場!
ぺこは数年前に避妊手術を受けさせましたから、盛りの季節とはバイバイ。
けれども、野良雄猫は、そうはいかず。(ムムム・・・)
” 逃げるが勝ち ” と言わんばかりに、夜間は隠れたりしていると思います。
こうしてのんびりと昼寝しているぺこを見ると、ほっとします。
まるで、実家に帰ってきた娘が日頃の疲れを癒しているかのように思えます。
車、バイク、自転車、人には、十分注意してな!ぺこ!
(もうぉ、ほんっとに一緒に暮らしたい。ぺこと。)

アガサ

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