もつれた紐がほどけて行くように。
私たちの感情は、生まれてからの経験で色が付き、編み込まれていくように思います。
特に子どもの頃の体験は、人生において色濃く影響するように思います。
それは、誰かの本を読んだり、誰かの講演を聞いて得たことではなく、
私自身の人生からの感想です。
Fさんの愛しい方も 子どもの頃の影響を感じ得ました。
ご遠方ですから、出張が関東の場合にご依頼を頂戴していたと思います。
ご連絡を頂いた日が、たまたま、空いていました。
自分的には(休養日に充てた方が良いんじゃないか・・・)と思いましたが
” 決めつけることはすべてを制限してしまう ” というのが持論。(笑)
必要があれば、物事が起こってくるので、成り行きに任せよう_
そんな具合でした。
たまたま、Fさんの出張が入り、ご連絡を頂き、
たまたま、ぽこっと空いていた日。
もちろん、お引き受けしました。
起こってくること、起こったことについて、
必要なのか、それとも、不必要(感情の縺れ)なのか・・・
感覚的ではありますが経験によってわかるようになりました。
Fさんからのご依頼も引き受ける必要がある、と思えたのです。
当日、朝から、身体の中を転移するように一瞬の痛みが続きます。
それと、記憶が瞬間的に、一部、低下。
まったくの空白。
唯一、私が覚えている数字列16桁が、まるっきり思い出せない。
( ちょっと焦るけど、もう、影響が増してきたんだな・・・)
こんなことは過去に一度もなかっただけに、焦りました。
これはもう、ド忘れ程度のレベルではないのです。
脳細胞のほんの一個か数個、あるいは、ニューロンの触手が外れたのか・・・
そんな気さえしました。
非常に強いイントネーションで話されます_
< 俺の身体は、どーなってるんや!>
( どーなってるんや!?って、どうされたのですか?)
外見的も健康そのもの。元気そのもの。
ですから、ご本人も多少の、瞬間的な痛みがあっても大したことではない、
と思っておられたようでした。
いつしか、それが身体のあちこちに頻発し始めてから、
異変に気づいた・・・_
そのように ご本人は思い出すように話されました。
視せられたある記憶 _
それは、初夏。
あたりは海に太陽の光が反射して、きらきらと輝いていました。
そこに居られる彼とFさん。楽しんでいる空気。
ゆっくりのんびりした心と、心から楽しんでいる心が伝わります。
( そこは、何処なんでしょうか・・・)
ぼんやり眺めていた私は、心の中で話しかけましたが、
おふたりの姿に見とれて、尋ねたことさえ忘れてしまいました。
< いつも・・・誰かに・・・愛されたい・・・>
( いつもだれかに愛されたい? それって誤摩化してるだけでは?)
叱るつもりはありませんけれど(笑)、
思ったことを正直に返事として話します。
返事はありませんでしたが、声にならない思いが流れて来ました。
そして、私はおっしゃったことを理解したのです。
( あぁ、そうだったんですね・・・そっか、わかりました。)
Fさんがお越しになる前でしたが、少しは、” ご本人 ” のことを
理解したように思えました。
Fさんからのご依頼は、今回で2回目だったように思います。
2回目になりますと旧友に会うような感じに思え、懐かしさが出てきます。
ほんの少し、たわい無いおしゃべりをしてから、静かに入っていきました。
大体の背格好を描写し、Fさんが来られる前のことを話していますと、
何やら、年齢のことを話されている様子。
「 年齢は・・・そうですね・・・え?若く見られたい?(笑)
いくつと言えば良さそうかな・・・
40代? え? 43?
随分と細かい数字までおっしゃるんですね。(笑)
Fさん、彼は、なんでかわかりませんけど、『43才』っておっしゃるんですよ。」
と笑いながらお伝えし、思いあたるかどうかの確認をしっかりせず、
伝えてこられることに集中していました。
< こう・・・>
( こう・・・何ですか?)
< こうじ・・・>
( こうじ? って?)
名前ではなさそうな感覚が入ってきますが、私が考えることではありません。
「 こうじ というような音が入ってくるのですが、おわかりになります?」
「 ふと思ったのですが『 こうべ 』だと思います。」
「 こうべ?」
「 はい。先程、話して頂いた初夏のキラキラした海。」
「 ああ、こうべ(神戸)ね! あぁ、その “こうべ”ですか!(笑)」
「 はい。」
「 なるほど。おわかりになるのなら、良いです。」
確か、彼が来られて座られてから、アガサ部屋をぐるっと眺めておられました。
「 Fさん、この方、彼ですが、この部屋をぐるっとご覧になっているんですよ。
珍しいのかな?まぁ〜、他人の部屋は珍しいもんですよね。(笑)
いいですよ、お好きなだけ眺めていてください。」
と話しかけながらも、すべての行動には意味があると思っている私です。
このしぐさにも きっと 何か意味があるんですよ。(笑)
その意味は、Fさんが交流後に話してくださり、私も腑に落ちました。
「 彼の体型は、、、ちょいとこのあたりがぷよぷよっとね(笑)
こんな感じでね、つままれるんです。
自分の身体ですから、私には贅肉がいっぱいあるのは知ってます。
今更そんな指摘をしなくても、って感じです。(笑)
だけど、彼は気になっている様子なんです。」
目頭を抑えながら、笑いながら、Fさんはこうおっしゃいました_
「 そうなんです。彼は元々はぷよっとした体型ではなかったのですが、
病気による(何とかっておっしゃったのですが忘れました。)もので
お腹のそこらへんがぷよっとしてきたんです。
本人はとても気にしていたようでした。」
「 そうでしたか。なら、良いですよ。」と彼に向けて言いました。
「 それに・・・」
「 はい。どうぞ。」
「 それに、その場所なんです。そっちじゃなくて、まさに、その場所でした。」
「 右側のここ?」
「 はい。」
「 そうでしたか。」
「 覚えていてくれたんだなぁと思って・・・」
「 嬉しいですよね。」
「 はい。」
では、Fさんから頂いたメールの一部を掲載させて頂きます。
– – – – –
(略)
あの彼が、あんなにたくさんお話ししてくれるとは、思っていませんでした。
過去2回とも、何かスッキリしないこともあったのですが・・・。
(ア:今回2回目ではなかったのですか?そうでしたか。)
「お腹のぜい肉をプニプニと掴む」事を聴いたとき、もう、彼以外の何者でもない!って。
彼を最後に見舞った時の事・・・自分で言うのも変ですが、茶目っ気たっぷりに
出てきたお腹を気にしていた彼をつまんだ時の事です。
その時から、ほんの少し彼の態度が軟化してたのを思い出します。
年齢も「43歳くらいに見せたい」、これも本当に思い当たる節がありすぎです。
彼が健在だったとき、お互いに少しでも健康で若くいたいよね・・・などと話し、
私は43には見えるかしら・・・(当時ですが)なんて交わした、たわいもない会話を
覚えていてくれたんだなあと。
(中略)
帰りの電車の中でも、そして今も、昨日のことを思い出すたびに涙が出ます。
ほんの些細なほつれが、どんどん大きくなって、お互いに意地を張り合ってた部分も
あるかもしれません。
(中略)
生前、言わなかったことや言えなかったこと。
お互いにたくさんあります。
人生において、そのような事を少しでも減らしていく・・・
私自身がこの世を去る時に、そんな後悔を少しでも減らせるように、
彼との付き合いの中で学ばせてもらったのかもしれません。
少しずつひも解くようにと言うよりも、一気にスッとほどけた!って感じです。
わからない、わからない・・・で何年も過ごしてきました。
でもこれからは、「ああ、あれはきっとこうだったんだ。」って
自分を納得させられると思います。
今回は本当に、心から嬉しいと思える時間でした。
この時間を与えてくれた、アガサさんと彼。そして見えない力にも感謝です。
本当にありがとうございました。
– – – – –
自分の身体に不調を感じる時、私達はとても不安になります。
日本の医療サービスは、世界一だと思いますが、それでも、病院へ行くというのは
なかなか”重い腰”か”重いお尻”をあげにくいもの。
不安が入り混じりますと、感情をコントロール出来なくなります。
不安に対処するような育てられ方というのは、まず、しないからです。
だから、私達は、不安にうろたえてしまうのは仕方ないのです。
Fさんが来られる前、彼が私に見せてくれた心。
< いつも だれかに あいされたい >
それは、子どもの頃の彼の本音でした。
子どもの頃の心が私に流れてきたのです。
「 彼は、とても厳しい家庭で育ったと聞いています。」
Fさんはそのように話してくださいました。
それで、私的には、納得。
すべてが繫がったのです。
私が尽くしているこの地味な道は、伝えるだけでは足りない。
相手を理解しようと心底思っていなければ、心は開いてもらえません。
頭で相手を理解しよう、したい、では、駄目なんです。
他界はお見通しだから。(苦笑)
上っ面(口先だけ)では駄目。
まさに、文字通り ” 心底 ” 。
これは、私だけがそうで在るだけでは不十分。
ご依頼人様ご自身も、愛する人・家族を心底受け入れていなければ
交流はスムーズには行かないと思います。
心底、相手を受け入れることは、
自分の感情よりも、相手のことを尊重する信頼するという心です。
どんなに自分が辛くても寂しくても悲しくても、
また、そういう状態におかれていても、です。
相手が愛しい人、愛しい家族なんですから、全くの他人様よりは、受け入れ易いはず。
そこに、受け入れ難い”何か(感情)” が在るとすれば、
それは、ご自身の独占欲です。
自己中心的欲。
厳しい表現のように聞こえるかもしれませんが、これは、私自身の人生で
乗り越えてきたことです。
自己中心で有り続けている時には、真実は見えてこないのだと
真実を心に重ねることが出来ないのだと経験しています。
彼は、こうも話していました_
< 血の繫がった家族よりも、ずっと俺を心配してくれている。>
彼のこのお気持ちに、反論がある方もおられると思います。
でも、世の中には、いろいろな家庭環境があります。
皆が皆、家族愛に包まれた方々だけではないのです。
他界との交流は、証拠を伝えるだけではないと思っています。
もっと、大きな・・・とても深い場。機会。
心を話す、理解する、受け入れる、許し合う_
そういう場が、他界との交流なのだと私自身捉えています。
長くなりました。
Fさん、もつれた紐がほどけて良うございました。
昨年、学校で田植えをし、持って帰ってきたお米を発芽させ、育てていました。
もう穂がつきました!
日本で一番早いんじゃない?!とわが家では言いたい放題。(笑)
家族達が地味に、時に、喧嘩しながらも育て続けている姿を見て
(ほんまに、育つんかなぁ〜?)と思っていました。
あらま、びっくり!穂がついた!うわぁ〜と思いましたね。
叱られながら育てていましたから。(苦笑)
(私なら相手が親であろうと「うるっさいなぁ〜!ほっといて!」と言うのに。(大笑))
” 継続は力なり “
続けることは、我慢と忍耐の連続。そればっかりだろうと思います。
で、ある日、キラッと光る瞬間が訪れます。我慢と忍耐を経ているから、喜びも一入。
穂がついて良かったね!
アガサ