お母さんと見る。
階段をいつもの調子でゆっくりと上がっていたところ、
突然、後ろにぐらっと倒れそうになりました。
階段自体がぐらついたのか、バランスを崩したようになり、
びっくりして手すりをつかみました。
(何? 今の。年だから?)
あまりにも妙でした。
Yさんご依頼の交流日の前日夕方、晩ご飯の準備をしていましたら、
「 手伝うよ。」
と言いながら、家族が手伝ってくれるのです。
( あれま〜、どういう風の吹き回し?)
夜、寝る前にようやく気づいたのです。
Yさんのご家族が近くに来てくださっていることに。
鈍いですね、私は。
でも、私の経験が本当かどうかは、Yさんに確認をとってみなければ
わかりません。(そりゃそーですとも)
当日の朝、
< お母さんに楽させてあげたい >
( え? あぁ・・・)
時間を見ると、朝4時半前。
心のなかで( お母さんに楽させてあげたい )を繰返し思い、
孝行な人だなぁとしみじみしながら起きました。
待ち合せ場所に到着されたYさんからお電話を頂きました。
電話口から聞こえるYさんのお声は、何となく弾んでいました。
こちらまで嬉しくなりました。
アガサ部屋にお迎えした直後、突然、左手の甲が突然痒くなり、
まるで、草か、葉の裏に花粉があるのに触れて肌が痒くなったような感じ。
( なんだろう・・・急に痒くなって。しかも、左手の甲のここだけ。)
左手の甲をぼりぼり掻きながら、交流に入りました。
嬉しそうな笑顔で来てくれた青年。
いろいろとお伝えした後(内容は忘れました。すみません。)、
Yさんからのご質問を息子さんに尋ねました。
「 今さら聞いても仕方ないのですが、どうなったのか・・・」
「 どういうふうになって(他界)されたのか?ということですね。」
「 はい。」
返事を待ちました。
そして、私の身体が揺れたのです。
と同時に頭に蘇ったのが、数日前の階段でのあの妙なぐらつき。
その時の感覚を注意深く扱いながら、Yさんに話しました。
「 そのように伝えてこられますが、分かりますか?」
「 はい。わかります。わかりました。」
「 息子さんはどなたも責めておられませんので。」
「 もちろんです。」
「 他には、ありますか?」
「 はい。今、そちらで何をしているのかと思いまして。」
その返事をご本人の気持ちに近づけるのには、少々時間がかかりました。
時間にして、10分ぐらいでしょうか?
5分ぐらいかもしれませんが、どんなに時間がかかったとしても
どんなに手こずっても、ご本人の言いたいところに合わせることが私の役目です。
その返事には、正直、私も驚きました。
Yさんも驚かれました。
Yさんから頂いたメールを読んで頂ければ、きっと、
驚きつつも、私達だけでこちらを生きているのではないのだと
あらためて感謝し、心が温かくなられると思います。
ほぼ、全文です。
– – – – –
息子の元気で、楽しそうにしている様子を伝えてくださり
有り難うございました。
“ただいま” と帰って来た息子の手の感触まで伝わるリアルな夢は、
やっぱり(中略)ここに居るよと教えてくれていたんですね。
夢で会えたことがとても嬉しく思えた反面、夢であることが悲しかったのですが。
これからもまた会いに行くよと言う息子の気持ちが嬉しく
この世界ではないけれど、◯○は生きているんだと感じられました。
今何をしているの? の質問に
何か石のような物を一生懸命 選別している姿を視られたアガサさん。
それが 病気を治す成分のある物を自然の中から探しだそうとしているところだったなんて
その姿は何かに夢中になっている息子そのもので、
あちらの世界からこちらの研究者のどなたかにインスピレーションで知らせてくれていたなんて。
思いもよらない話でしたが、自然が大好きだった◯○が
自然の中から人に役立つ物を探しだそうとするのはわかるような気がします。
すごい仕事をしているんだね。
感激しました。
また私生活でも嬉しいお知らせ。
優しい彼女と言って良いのかな⁉
だいぶ照れていた様子でしたが、
嬉しさを隠しきれないちょっとにやけた顔が目に浮かびました。
良かった本当に。
とても優しく可愛い人だとアガサさんが伝えてくださり本当に嬉しいです。
今回、出てきた早々笑顔だったのはきっとそのせいですね。
こちらにいたときはあまり聞かなかった話なので
親としてはとても気掛かりでした。
良かったね◯○
また姉や姪っこのことも見ていてくれてありがとう。
他にも見守っていてくださる方々もいたんですね。
有り難いことです。
私の回りには気遣い、助けてくださる方が沢山います。
それでも息子の存在はあまりに大きく、
この孤独感を埋めることが出来ず、
寂しさに堪えられなくなることがあります。
(中略)おかげさまで息子と再会することができました。
いまだいろんな感情は交錯しますが、
対話を通して
新たな世界でのびのとやっている様子を教えていただき、
感動し安心いたしました。
まさに暗闇の中からひとすじの光を見いだした心境です。
本当に有り難い貴重な時間をいただきました。
感謝しております。
– – – – –
” 今、何をしているの? “
その返事を息子さんご本人の意図するところに合わせるのは
本当に難しかったです。
難しいというよりは、自分との我慢比べ。
どれだけ正直で居られるか、
どれだけ真実を伝えたいと思っているのか_
自分の感情に負けてしまったら、アガサは終わり。
自分をどれだけ忘れられ、人様のことを優先出来るか、です。
息子さんの目の前には、多くの石や自然のものが有りました。
その中をじぃっと見つめる、真剣な眼差し。
自然のものが好きだから見つめていたのでは、ないのです。
他のために役立てたい、という気持ちが私に流れてきたのです。
集中力、努力、そして忍耐力が全身に伝わり始めると熱を帯びてきました。
それをこちらで頑張っておられる研究者の方々に
インスピレーション、閃きとして伝える_
息子さんの気持ちに近づけることが出来た時、
Yさんと私は驚きました。
そんなことがあるなんて、
そういうことをしているなんて・・・。
他界しても、やることがあり、
” 他のために ” 地道に努力を重ねていく人々がいる。
” 他のために ” 働くこちらの人々と
” 他のために ” 働くあちらの人々とがこうやって
繫がっているんだと実感しました。
私たちは、自分が発見したり考えたりすることを
まるで、自分ひとり頑張ったかのように思いがち。
本物ほど威張らないのは、素朴で純粋でいられるのは、
自分の力を遥かに越えた何かが関与しているのだと思わずには居れず、
まるでそれは誰かがやったかのような感覚になります。
この実感にも私の身に起こった理由があるのですが、
あまり詳しく書きますと余計な先入観となり得ますので、
ご勘弁ください。
「 息子のために、桜の木を植えてくださったのですが、
知っているのでしょうか?」
< お母さんと一緒に見に行くよ!>
( そうなんですね。笑)
「 お母さんと一緒に見に行くよとおっしゃっています。」
「 あ!」
「 へ?」
「 今度、会社の社長さんがその場所に連れていってくださるんです!」
「 あぁ、そうなんですか。息子さんも一緒に、ですね。」
「 はい!」
他界したら何でもかんでも、知ってるとは言いきれません。
万能になるわけではないのです。
それで、自然だと思います。
もしかしたら、息子さんは自分のために植えてくれた桜を
ご存知だったのかも、しれません。
だけど、
息子さんは、お母さんと見に行きたいのです。
その気持ちが親孝行だと私は思います。
良いもんでしょうなぁ・・・。
息子と桜を見るっていうのは。
ちょっと前の、先月中旬ぐらいに畑仕事先での”大御所”の方々から頂いたそら豆。
いつも思うんですが、自然のものというのは本当にうまいこと出来ていますね。
そら豆の鞘は、ふんわりお布団というか、まるで、お母さんのお腹の中みたい!
ふんわりふんわり真綿で包まれ、この緑の帽子みたいなところから栄養を
もらんですね!まさに、子ども。
そして、栄養部分と重なっていたところが黒くなったら食べ頃、だそうです。
黒いカーブの上に、点をふたつ描きたくなります。(笑)
そら豆は、さっと茹でるだけで美味しいですね!
茹でたてに頂くのが最高に美味しい!
ただ、茹であがったニオイが嫌だと家族達は言います。(笑)
「 ごんの耳のニオイがする・・・」ですって!失礼な!(苦笑)
(まぁ〜、確かに香しいとは言えない・・・。)
年くったら、犬も猫もニオイがするのは当たり前だ!(笑)
人間だって、加齢臭っていうのがあるじゃないか!(大笑)
とにかく、農薬がかかっていない旬のものを摘みたてで頂くのは贅沢気分満点!
アガサ