報われる
交流お伝えが一段落しますと、相続に関することをよくお話しされます。
胸の内、ですね。私なんかが丁度良い”距離感”だからだと思います。
口も硬いし(笑)。
相続というのは、一般的には “本性” が出るように思います。
法律に則って分配されることもあれば、
” ご本人の意思 ” が文章で残されていればそれに順じられます。
どちらにしても、受け取る側が互いに譲り合い、気持ち良く分配!
となれば最高なのですが、ぽんっと目の前にお金や不動産がちらつきますと
なかなか そうは行かないように思います。
専門家に間に入って頂いても、ややこしいこともたくさんあります。
遠い親戚までご参加される場合も、あります。(苦笑)
” 貰えるもんは、貰いたい!”
そうなるんでしょうね。
「 え? そんなの、仲良く分けたらいいじゃな〜い!」
と思われる方々もいらっしゃると思います。
すんなりと皆が譲り合うことが出来るのなら、私なんかには
お話しになりません。
皆が譲り合い出来るなら、この世に、警察、弁護士、税理士、
裁判、犯罪というもの自体が存在しないと思います。
その場になると、ころっと変わるというのもあるし、
欲が沸々と沸き出すのが、人の感情です。
魔が差す、というのもあるでしょうね。
想像で考えるのとは違って、現実その場そのケースに遭遇しないと
人間というのは分からん、のです。
私がよく観ていた「名探偵ポアロ」シリーズでも、よく揉めておられます。
「 何にもしていない◯○さんには、相続があって、
いつもお世話をしていた私には何も頂けないんです。」
というのは可愛いぐらいで、大抵は、犯罪が起こります。
いつの時代も、人の欲は いかばかりか・・・ですよね。
ご依頼を頂くということは、その方のプライベートなことまで
知らされます。
びっくりするような話をよく耳にします。
大抵は、正直で誠実で我欲の少ない方がご心労なさいます。
我欲の強い人に翻弄されるのです。
本当に気の毒に思います。
わが家も、そうした時期が10年程続きましたから、心から
ご心労をお察し出来るのです。
” 人に迷惑をかけず、真面目に地道に生きて質素に暮らしています。
あの人達は何もせず、自由気ままに 生きているのに、
どうして相続出来るのでしょうか? “
空しい限りです。
世の中、どうなってんだろう?って思いますよね。
本当にお気持ち、わかります。
努力や誠実さって報われないのかなぁ・・・と思えたり。
そもそも、” 報われる ” ってどういうことだ?と思いました。
” 報われる ” というのは、
「 努力や苦労に対して、それに見合ったような期待通りの成果や成功が得られること。」
だそうです。
ここでふと思いました_
” それに見合ったような・・・”
” 期待通りの成果や成功・・・ “
そう考えてしまうことに、そもそも 無理があるんじゃないか?
努力して、苦労して、それに見合った成果や成功をしている人って
この世の中に一体、どれだけいらっしゃるのだろう?と。
結果を期待するから、頑張る・・・というのは確かに在ると思います。
だけど、期待通りに行くというのは、誰にもわからないことです。
例えば、運動会。
子どもたちが皆、頑張りますね。
特にリレー。観る側も力が入ります。
皆、頑張っています。
だけど、突然転倒したり、バトンの受け渡しが上手くいかなかったり・・・
というのが発生してしまいます。
なんでだろうな〜 と思いますが、思ったところで仕方が無い。
一時的にがっかり、悔しくて泣いたりするけれど、
” 皆で頑張ったんだ!”
” ◯○君、◯○ちゃん、頑張ったよ!”
というように、負けてもそれを乗り越えて、清々しい気持ちになります。
これは、勝った側では、味わえません。
種類が、違うのです。
悔しさを乗り越えるというのは、本当に大変なことです。
でも、それは勝つよりも、見えない価値があると思いますよ。
勝ち続けることは、ないし、
負け続けることも、ないでしょう。
人生は、勝ち負けではないし、ましてや、他の人と比べることでも
無いのだと気づいていきます。
それは、” 報われなかった “という悔しさを経験しているからです。
逆に、
「 あぁ、努力が報われたぁ!」という思いは、用心です。
喜んでも、気を引き締め直すこと。
これは肝心ですね。
そのままにしていますと、足元をすくわれます。
この世は、物質至上。
触れられる物が優先されています。
お金は、無いより有った方が良いでしょうし、
家も、そう。
在った方が良い、ですよね?
(うちなんて、両方、ありません! 大笑)
何不自由なく有る、という方々も世の中におられます。
家計は安定し、
家族も元気、
持ち家もある。という方々。
だからといって、そうした方々に一切の不安が無いか?といえば
それは違う話だと思います。
人様を羨む気持ちは、あって自然と思いますが、
くれぐれもご自分の感情にぐるぐる巻きされないよう、ご留意ください。
まぁ確かに、ポンっと相続で入ってくるのは助かるでしょう。
家計も助かるでしょうし、家計に余裕が出来ると
精神的にもゆとりが出てくるかもしれません。
しかしながら「相続する」というのは、プラスもマイナスも相続せねばなりません。
プラスだけの相続は出来ないのです。
この世的(物質的)に考えて生きることは、
私たちの心を狭くしてしまうように思います。
自分の得しか考えないような、ね。
損得勘定しか働かないなんて、味気ないですよ。
人間に深みがありません。
物質的に報われたいと切望されるのなら、我欲強欲で生きねばなりません。
他のことを考えることなく、自分中心で生きねばなりません。
人が泣いていても、自分さえ楽出来れば良いと思えねばなりません。
それが出来れば、物質的に報われると思います。
自分の心と行いは、表情・人相・空気感にまで影響を及ぼします。
どちらで生きようとも、バランスは取られます。
この世は、ごちゃ混ぜ。
不完全な人間で世の中は動いています。
だからこそ、自分の心と対峙出来るのだと思います。
甘い誘惑が多いからこそ、理性を輝かせることが深い意味と意義を持ちます。
” 他の振り見て、我が振り直せ ” です。
” 自分の存在を忘れ、
少しでも、自分以外の誰かのためになるかもしれない。
自己満足に浸る暇もなく、葛藤しながらも地道に地味に続けて行く。”
それが本当に幸せだなぁ と思うのです。
報われるとか、報われないとか、そういうのは
どうでもいいと思うのです。
あなたは、素晴しく 心を尽くしておられるのです。
私はそう思いますよ。
この季節は、ほおずき。
わが家では、食用のほおずきを家族が育てています。
鑑賞用のとは違って、とても美味しかったそうですよ!
「まるでマンゴーのようだった!」と本人びっくりしていました。
(へぇ〜、そうなんやぁ〜・・・)
と思いながらも、私は、今一、勇気が出ません。(笑)
まぁ、そのうち、頂いてみようかな。
アガサ