身体を流れるんだよ!
晩ご飯の後、お楽しみのDVD鑑賞時間を堪能している際中
一瞬、ひとりの女の子の姿が視野に入りました。
13才前後ぐらい。
( おっきくなられたねぇ〜 )と思いながら、チラ見する私。
そんな私の方をチラ見して、
<あ、しまった・・・見られたかも・・・>
と少し慌てた様子の彼女。
( 良いんですよ、大丈夫。明日の午後1時からですからね。笑)
( 楽しみだよねぇ、そりゃそうだよ。)
そうしみじみ思いながら、DVDドラマを観ていました。
スカイプでRさんとご主人とお話する前から、来てくれました。
心を私に預けてくださるかのような感じでしょうか。
以前よりも、心と私の心が重なっていくように思えます。
その分、言葉での表現が難しく思えたりすることも増えました。
彼女は、とてもはしゃいでいました。
< ここ、◯○の椅子?! >
( はい。一応そのつもりですけど、自由になさってください。)
青春に入っていく時期の、すまし顔とはしゃぐ様がまじったお年頃です。
その彼女に対して、” 女の子 ” 扱いはマズいなと思いました。
何度か交流をさせて頂くなかで感じずにはいられない子ども達の成長ぶり_
変わらないですよ、本当に。こちらと。
まるで、小さい頃から知るご近所の子ども達、姪っ子甥っ子のようです。
とにかく、私にとりましても大切な存在です。
< ◯○、お父さんとお母さんを迎えに行くから。 安心してほしい。>
( 随分先のことですねぇ。必ず、言いますよ。大丈夫。)
< お父さんはね、笑>
( ええ、あなたのお父さんね。)
< そう!◯○のお父さんはね、すっごく好きなん。ちょっとほんとすごいんだよ。笑>
( 溺愛ですね!笑 しあわせなことね、お父さんが娘を溺愛するって。)
ちょっとはにかみながらも、溺愛振りを嬉しく思っている様子。
しあわせなことです、本当に。
そして、彼女は、私にこう話してくれました。
< お母さんとお父さんの気持ち(愛情)が届くんよ。
身体の中を通るんよ!本当に! こういう感じにね!>
身振り手振りで、心から嬉しく感激している様子でそう話してくれました。
彼女の身体の中を通る、親御さんの愛情_ その流れを私に体験させてくれました。
それは・・・
言葉では言い尽くせず、文字でもどう表現すれば良いのか分かりません。
ですが、確かに私の身体のなかを美しい何かが実際に流れていました。
妄想といったものではなく、確かに流れていました。
( これが・・・これが、愛情か・・・)
チープな表現を許して頂けるなら、
まるで オーロラのようなふわっとやわらかい美しいものが
身体のなかで舞っているようです。
その確かな家族愛は、こういうふうに届くんだと感心しました。
彼女と話している途中も、無意識で右手の甲を掻いていたようです。
(私の右手の甲には、なかなか治まらないカユミがただれています。)
彼女は私のそれを見て、こう言ってくれました_
< 見て!可愛いハートみたいだよ。そう思えば痛いのを忘れられるね!>
( あ、本当だ。ハートマークみたい。)
< ◯○も、手の甲に可愛いシールとか貼ってあったよ!>
( そうなの?)
そう返事しながら、そのシールは、親の娘への愛情だとすぐに分かりました。
他にも何を話したでしょうか、、、
思い出すことは出来ません。すみません。
Rさんから頂いたメールをお読みになればお察し頂けるものと
思います。
– – – – –
(略)
たくさん涙が流れ、まだ少し気持ちが高ぶっております。
夫の涙を見たのは何時ぶりだろう…と思うくらい普段夫は私たち家族に涙は見せません。
その夫が今日は私と一緒に顔をくしゃくしゃにして泣いておりました。
「なぜか分からないけど、無意識にどんどん涙が出て止まらんようになった。」
そう言って、夫は交流が終わった後もしばらくぼんやりとしていました。
私たちの想いがあの子に伝わり、そしてあの子の想いが私たちに伝わる。
その想いが心に届くとき、自然と涙がこぼれるのかなと思いました。
(ア:おっしゃる通りです。)
アガサさんが交流の前に娘から受け取ったメッセージで
「本当はね…体を持って、ずっと家族のそばで成長したかったっていう気持ちもあったよ。」
という言葉に胸が突き刺されるような思いがしました。
そう、私たちも心の底からそれを願っていました。
成長していく娘の姿をそばでずっと見届けたかった。
それが叶わなかった無念さは言葉にできません。
娘が亡くなった後、いろんな本を読み、いろんな方々から話をしていただきました。
「短い命でこの世を去ることは自分で決めてきたこと。
本人はその運命を受け入れて生まれてきていた。」
と書かれていたことをすぐには受け止められませんでした。
でも無理矢理自分に納得させてきました。
今日、アガサさんから娘の本音の言葉を聞いたとき、
ギューっと胸が締め付けられるような切なさと同時に
「やっぱり、そうだよね。お父さんもお母さんも同じだよ。」
というホッとした気持ちもありました。
そしてそんな娘を想い、止めどなく涙が出ました。
本当に聞くことが出来て良かったです。
ありがとうございました。
他にも聞きたいと思っていた下の娘の事やあちらでの生活について、
こちらから聞かなくても全てアガサさんが伝えてくださいました。
それにしても娘はよく見ていますね~。
伝えてくださった内容が思い当ることばかりで少し恥ずかしくもあり…。
あらためて、きちんとした生活をしなくては!と思いました(笑)
私たちの中では小学生の姿のままのあの子がすっかり中学生らしく成長して
今や私と同じくらいの身長になっていると知り、驚きと喜びでいっぱいです。
「必ず、〇〇がお父さんとお母さんを迎えに行くからね!」
最高の言葉をいただきました。
私たちにとって、これほど嬉しい言葉はありません。
いつの日かまた娘に会えるその日まで、家族で力を合わせて生きていきたいと思います。
– – – – –
「 手の甲に、可愛いマークを書いていたのか、貼ったのかわかりませんが
とにかく、手の甲に可愛いマークがあったことを話してくれますが
わかりますか?」
「 わかります!注射の痕などの上にシールを貼ったりしていました。」
やっぱり、と思いました。
親の愛情。
これが、親の愛。
父の愛。
母の愛。
兄弟姉妹の愛。
祖父母からの愛。
先生方、お友達からの愛。
たくさんの愛は、はっきりと娘さんの身体のなかを通っています。
前世やカルマや運命や何やかんやと難しいことはわからないけど、
私の身体を通してはっきりと、娘さんは知らせてくれました。
それが真実です。
本当の愛というのは、不確かで物質的ではないと思います。
物質の中で生きる私達は、肉眼で見える愛情表現を欲してしまうから、
本当や本物というものがわかりづらく、頼りなげに思えてしまいがち。
だけど、
この肉眼で見えることにどれほどの真実が含まれているのか?
です。
それは定かではありません。
なぜなら、人は平気で嘘をつきます。
肉体に隠して嘘をつく。
肉眼で見ること、肉耳で聞くことのどれ程が、
真実と一致しているのか?
心と一致しているのか?
疑ったところで何の光明も見出せないから、疑わない。
ただ、自分の心の目を曇らせないように濁らせないように
日常を地道に地味に生き通すだけ。
本物の愛かどうかは、心で分かります。
脳で分かるよりも、心で分かった時は違います。
それは、圧倒的。
言葉で例えることが出来ず、思いあたらず、
とても静かで、温かい涙がとめどなく流れ出るのだと思います。
そして、それはそう度々あるもんでは、ありません。
最愛の家族、最愛の人を亡くした人だけが経験されるのです。
Rさん、わが家もお好み焼き、やっぱり食べることになりました。(笑)
キャベツを収穫したのでね。
これも、◯○ちゃんの可愛いシワザでしょうか!
お誕生日、おめでとう。
写真の撮り方が下手でテカってしまいました。
わかりやすいようにハートの枠を載せました。
本当に、ハートだ!(笑)
おかげで、かゆみも痛みも薄れたように思います。
写真で自分の手を見て、ぎょっとしました。(笑)
「うわぁ〜、随分、お婆ぁな手に成ってきたなぁ〜!」とひとり大笑い。
あはははは。
ま〜、ええわ。
アガサ