青年の約束

かいつまんでも、長い 長い お話です。

5年程可愛がっていた野良愛猫ぺこと一緒に暮らせる!ことに

突然引越し騒動の中に見出していた”心の灯火”。

無事保護し、自宅に入れ暮らせる夢が5年越しに叶った!・・・・

とはスムーズには行かないもんですね。(苦笑)

同意をしてくれていた家族が、突如、難を示してきました。

ぺこは、可哀想に狭いゲージの中で暮らさねばならないのかと

途方に暮れました。

( ずっと野良で自由にやってきたのに、これでいいのか?)

保護してから、鳴き続けていました。

( 不安だろうな。野良で生きたいんだ・・・)

野良を好むぺこをむりやり捕まえてしまったと思った私は

外に放してやりました。

( きっと、びゅっと走り去っていくだろうな・・・)

甘っちょろい覚悟みたいものも 胸に抱きつつ。

予想反して、家の周りから離れようとしませんでした。

( わが家を私を家族だと思ってくれているのかも・・・)

すぐに家の中に入れたのは言うまでも ありませんでした。

置き去りにも出来ず、一緒に連れていきました。

だけど、ゲージ生活。

(どうすれば、ぺこは幸せなのかな・・・)

ぺこへの愛情は、欲が絡んでいるんじゃないか?

何が正しいのか・・・

もう わからない・・・

わかっているのは、ぺこが幸せじゃないってこと。

( 誰も しあわせじゃないんだ、この状態は。)

と思いつつも、

何をどう決断するのが善いのか、

頭ではその決断や行動を起こせ!と思っていても、

どこかで何かがひっかかり続けていて、

困っているのに 何も選べない悶々とした日々を過ごしていました。

悶々としていても 目の前で不安そうに鳴き続けるぺこと

その鳴き声に苛つく家族のストレスを解決出来ていない自分に

何とも煮え切らない奴だと思い続けていました。

いつも思い浮かぶ言葉_

( 誰も しあわせじゃない。)

家族が言うこともよくわかる。

だけど、ぺこが大好き。

不安だから鳴くしかない。

その不安を作ったのは、私。

辛く思うのは、罪悪感なんだろうな。

こんなはずじゃなかった・・・

家族全員から可愛がってもらえる姿を想像していたのは

私の身勝手な妄想だったのです。

見知らぬ土地、山の中で生きるというだけで関の山の私は、

時に 自分で自分を追い込み、

時に 自分を励まし・・・の繰り返し。

「 私は何を選んだとしても、後悔しかない。

 自分には何も出来ないってことを嫌という程、知った。

 皆にとっての最善と、ぺこにとっての最善だけを考えるよ。」

家族たちの前で そう呟いたのです。

悩みに悩み続けた3週間弱。

可愛がってくれて励ましてくれている子に言いました_

「 お母ちゃんは、ぺこが大好き。

 でも、今のこの状態は、誰にとってもしあわせじゃない。

 家の中で脅えて生きることほど辛いことはないよ。

 ぺこも大事で家族も大事。

 ぺこは、野良でいたいんだね・・・。

 元々、野良だったもんね・・・。

 なのに、可愛いからって、

 お母ちゃんが捕まえたんだよ。

 置き去りには出来なかった。

 だけど、不安そうにずっと鳴いてるってことは

 嫌だってことなんだよね。

 大好きだから、自由にさせてやろうと思うんだ。

 今から 散歩に行きがてら、ぺこに外の空気を味わわせてあげて、

 走らせてやろうと思うよ。

 ・・・・・もしかしたら、もう二度と会えないかもしれないし、

 もしかしたら、前のように、近くに居てくれるかもしれない。

 さっと走り去ったら・・・慣れていないこの山奥で

 寒さと腹ぺこで死んでしまうかもしれない・・・。

 だけど、

 だけど、家の中で脅えて生きるよか マシだと思うんだよね。

 お母ちゃん、間違っているかもしれない。

 言い逃れかもしれない。

 何が 正しいのか 考えても 考えても わからない。

 わかるのは、

 今 ぺこは しあわせじゃないってこと。

 ぺこを 自由に させてやっても 良い?」

「うん。帰ってくるかもしれないからね。」

「 そう・・・だね。。」

自宅からしばらく歩いたところで、キャリーバッグの扉を

開けました。

「 にゃぁー!」

と言いながら、ぺこは、ものすごいスピードで

目の前を走り去って行きました。

その走りっぷりが あまりにも 嬉しそうだったので、

涙が出ませんでした。

山の中を颯爽と走り出していくぺこの姿が見えなくなるまで

見送りました。

途中で一回、振り向いてくれました。

そして、すぐに また 走り去っていきました。

( これで良かったんだよ。これで、良かったんだ・・・)

心の中で何度も何度も繰り返しました。

その日と翌日は、放心状態の私でした。

涙も出ず。

その後、少しずつ 淋しさを感じ、泣いたように思います。

ぺこが居たところには、ぺこのニオイが残っています。

( ぺこ・・・)

寝る前と朝目覚めた直後、心の中でぶつぶつ言いました_

( 神様という方がおられるかどうかは存じませんが

 どうか、どなたかが聴いてくださるなら聴いてください。

 私は可愛がっていた野良猫を欲で引越先の、遠い山奥まで

 連れてきました。

 いろいろありまして、外に放してやりました。

 自分に対してはいろいろ思いますが、とにかく、

 ぺこが安心して眠れる場所、自由に走り回れるよう、そして、

 食べ物を得れますように・・・ずっと。

 私にもし頂けるしあわせがあるなら削って頂いて構いませんから

 ぺこを見守ってやってください。

 本当にお願いします。

 こんなにお願いすることなんて ありません。

 自分のせいで 誰かを不幸にするなんて ひどい私です。

 自分のやったことは 自分が受け入れます。

 だから、ぺこを守ってやってください。)

そんなような長い長いお祈りを毎日しました。

きっと、自分の気持ちを鎮めるためでもあっただろうと思います。

解放後、1週間程経ったころ_

友人夫妻が手伝いに来てくれるその日でした。

洗濯物を外に干していた時のことです。

ある青年が突然、私に近づいて来られました。

私は内心が整っているとは思えなかったので、

見間違っているんだよ、と思うようにしていたところでした。

< ぺこちゃん、見つけるから。>

その青年は、きっぱりと私にそう言うのです。

見たことのある青年です。

青年はこの日、手伝いに遠方からお越し下さる友人夫妻の

息子さんです。

( あなたは、◯○さん家のお兄ちゃん!)

ニヤッと笑って、首を縦に振ってくれました。

< 見つけてくるから。安心して。>

予想もしないことでした。

予想もしない言葉をかけてもらった私は、

にわかには 信じられませんでしたが 慰められました。

慰めの言葉だけで十分救われました。

全く知らない土地。

春といっても冬のような寒さ。

土地勘のない野良猫が生きるのは・・・と責めに責めまくる日々を

送っていたもんですから、

そんな私にとって、青年の言葉と気持ちがどれほど嬉しかったか。

それは、言葉では言い尽くせません。

来られたまなし、Yさんにそのことを打ち明けました。

「 そうですか。」と冷静に聞いておられた様子。

お昼すぎ、子が「お母ちゃん、これを見て。」と地面を指差します。

Yさんと一緒に子が指差すところを見ました。

そこには、ちびモグラの亡骸が置かれていました。

「あ!」

「Yさん、ぺこがよくこうした”お土産”を持ってきてくれていたんですよ!」

「 え?本当に?ぺこちゃんだったら良いですね!」

とにこにこ嬉しそうな顔のYさん。

「 はい!」

と言いながらも、信じられない私でした。

「ぺこじゃなくても、偶然でも、このタイミングで”お土産”を

 見れたのは、すごく救われました。」

そして、ちびモグラちゃんの亡骸の横に カリカリ餌を

添えておきました。

( ぺこだったら、食べるだろうから。)

という期待をこめて。

翌朝、ちびモグラちゃんは居ませんでした。

カリカリ餌は・・・

そのままでした。

「 違う猫なんだよ。」と家族。

「 そうかもね・・・ そうだよね。」と私。

期待はしない_

それは、自分を戒めるためでした。

自分の欲が長く続き過ぎたがゆえの、思いでした。

可愛いぺこにひどい仕打ち※をしたのですから。
※テリトリーを奪うことは野良の命に関わると思います。

それから1週間後の週末。

お昼過ぎに、家族が窓の外を見て言いました。

「 あれ? ぺこに似た柄の野良が居るよ。」

違うだろうと思いながらも視線を落としますと、

ぺこ でした。

「 ぺこっ!」

私は、叫びたい気持ちを抑えて、

小さめに呼びました。

「 にゃぁー」

と返事しました。

ぺこ、でした。

とても用心して しばらくは カリカリ餌に近寄りませんでしたが、

私が離れて行くと そっと食べに来ました。

ほっとしました。

とにかく、食べたから。

( ◯○くん、本当に見つけてくれたんだね。

 なんて御礼を言っていいか、わからないよ。

 ほんと、嬉しい。

 ありがとうね、◯○くん。)

すぐに お母さんのYさんにメールをしました。

すごく喜んでおられました。

夜には お父さんからも一言メールが来ました。

Yさんから頂いたメールに書かれていたことに感激しました。

お母さんであるYさんにその話をした後、

Yさんは、こっそり 息子さんに話しかけたそうです。

「 その証拠を見せてよ。」

と。

その言葉の後に、ちびモグラちゃんの発見があったのです。

その1週間後に、ぺこと再会したのです。

親子の絆、繋がり、愛情というのは、本当にスゴいと思います。

他界の人の言葉や気持ち(心)は、私にとって

いつも 突然で、

いつも 正しく、

温かみにあふれています。

ただ、私からすると

到底、実現不可能と思われることも言われるものですから

言われた直後は、信じることが出来ないのです。

他界からの言葉は、

信じる、信じない、

正しい、正しくない、

といったことではなくて、

いつも 心に響き、温かいのです。

山小屋の一室に置かれたケージから出たこともない、

全く知らない土地(山の中)に走り去ったぺこ。

マーキングなど一切ないのに、数週間後、わが家の傍まで来た。

偶然かもしれませんが、命に偶然はないと思います。

寒冷地の山の中の寒さは、

温暖なところで生まれ育ったぺこにとって、命に関わるものがあるでしょう。

( そのうち、また 以前のように慣れてきてくれたら、

 保護して、葉山に帰してあげたほうが良いんじゃないか・・・)

とも考えていました。

だけど、もう捕まえてはいけないと思いました。

もう二度と、テリトリーを奪ってはいけない。

野良として生きることを好む猫もいれば、

家猫として順応していく猫もいると思います。

どちらが 幸せかは わかりません。

それぞれによって 違うと思うのです。

この広い山の中で 再会出来たのは、

青年のおかげです。

神様がおられるかどうかは私には分かりませんが

青年がおられるのは間違いないです。

愛する人を亡くされたすべての方に申し上げたいのです。

私達の肉眼で見えないとされていますが、

大切な方は、消えてしまったんじゃない。

ただ、私達の肉眼には見えないだけで、

今も、

この青年のように生きておいでです。

生きるという概念が、朽ちる”肉体”の有無だけでお考えなら

愛するということは、存在しなくなります。

人間の肉眼に見えていることだけがすべてではないのだと

いうことを、心からお伝えしたいと思い、

この実話を書きました。

不可能を飛び越えて、

ぺこが 目の前に あらわれたんです。

” 愛しているから、自由に生きるのを心で祈る。”

愛することは、自分の感情と向き合うことでもあるのだと

ようやく 少しだけ わかったような気がしています。

追記 6/12:
ほぼ毎日のようにご飯を食べにだけ来ていたぺこは、
ちょっと昼寝みたいなのをするようにもなりました。
いつもはご飯だけ食べたらすぐにどこかへ行っていたのですが
5月の下旬、何故か、私ににゃーにゃーと鳴いていました。
「今、ごはんを持ってきたからね。妙に鳴くね。どうしたん?
 何か、話そうとしてるん?まあ、お食べよ。」
気になりながらも、いつものようにカリカリをあげました。
6月に入ってから、ずっと顔を見せません。気配もありません。
もしかしたら、あの時、何かを話してくれていたのかも・・・。
冒険に出掛けていることと信じて、
どこかで生きていることを信じて、
ぺこの身をあんじることしかできないけれど、
本当は、とても心配で、いつも朝夕来ていた石の上を見てしまうけど、
どちらの世界に居ようとも、私がぺこの身をあんじる気持ちは変わりません。
自分が淋しいとか心配とかそういうのは自分の心の問題ですから、
“ぺこが、しあわせでありますように・・・”
これだけを毎朝毎晩、祈る今日この頃です。

= おまけ =


屋根にかかる枝一枝を、友人夫妻の協力を得て、伐採しました。
細い枝でも、すっごく重いんですよ。本当に。
たくさんは切りません。
それが自然の中で住むということ。
自然の中で便利を求めることの方が不自然。
街に住む方が良いと思います。私はどっち派だろう。
今はまだ、街派かな。(苦笑)


先週の午前中は、雪が降りました。寒っ。


友人夫妻が薪になるものをお知合いを探して、わざわざ持ってきてくれました。
軽トラで!
実際に使える薪ストーブ設置には、7桁は行くそうですよ。
ということで、薪ストーブ設置は、夢のまた夢ですが、薪はあります!


ちびモグラちゃんは居なくなって、カリカリ餌だけでした。
この1週間後、ぺこに再会できるとは思いもしませんでした。

アガサ

+6

2件のコメント

  • アガサさん、具合はいかがですか。
    かなり悪そうで心配をしています。
    ペコちゃんのこと、とてもとても大切に思う気持ちが痛い程伝わります。
    再び会えたことはとても嬉しかったです。
    我が家にも、昨年7月に長男が仕事先で子猫の野良ちゃんを見つけ、うちに連れてきました。
    そのまま家族になり大切にしていましたが、12月1日突然家から出て行ってしまいました。
    あちこちの保護施設に連絡しても見つからず、今でも行方不明のままです。
    主人を喪って家に帰るのが嫌だった私に、猫が家族になってくれたことで帰る楽しみを教えてくれた大切な
    子でした。
    今も、帰ってきて。と、主人にお願いしています。
    でも、アガサさんのペコちゃんを読んだ時、うちの子も外に行きたかったのかな…
    と思いました。
    ペコちゃんはアガサさんに出会えて幸せだったから、顔を見せに寄ってくれたのでしょうね。
    青年の方のように、主人も連れて来てくれると嬉しいのですが。せめて、元気でいることが分かれば、帰って来てくれなくてもいいと思っています。
    これから、アガサさんの体調が少しでも良くなることをお祈りいたします。
    また、お会いできる日を楽しみにブログを拝見致します。
    お大事にしてください。

    • 容子様
      その後、猫ちゃんはいかがですか?  帰ってきていないのなら、外の世界を闊歩しているのでしょうね。ぺこと同じですね。
      家に戻る、戻らないというのは、私たち側の愛情が濃い薄いではないように思うのです。遥か昔、30年以上も前に、仕事から家(実家)に帰りますと、子猫が2匹おりました。わけを尋ねると、実家の物干し(洗濯干し)の隅っこで生まれたから、母親猫の様子を伺って、兄弟が家に入れたと言ってました。そのうち1匹は、我が家の家族になり、20年以上過ごしました。 みー(猫の名前)は雄で、一度、外に出てしまったことがありました。家族皆がノイローゼ状態になったほど、可愛がっていたのです。しばらくたって(1ヶ月ぐらいだったか、数ヶ月か忘れましたが)、朝方4時ごろに帰ってきたんです。げっそり痩せて、ケガして。
      今思ったんですが、みーが生まれた場所が我が家だったんです。だから、帰ってきたのかなぁと思いました。  ぺこの場合は、可哀想に思いますが、自由を謳歌して、他界して、時折、私の方に来てくれているようです。 愛情でつながっているんですね。

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