投げられた言葉

発する言葉。

浴びる言葉。

好きな人からの言葉というのは、とても心を大きく左右します。

まぁ〜、好きでなくても、左右されますね。(笑)

昔から ” 口は災いのもと ” といわれていますが、本当にそう。

誰もが経験することですね。(私も痛感します)

感情にまかせて、思わず、言ってしまった!・・・

取り返しのつかない言葉もありますし、

取り返しがつかないことになっても、それはそれ。

仕方ありません。

また、相手によって、言葉の受け取り方も違います。

同じ言葉でも、言う人が違えば 印象も違ってきます。

私達には、感情があるからです。

感情のままに、八つ当たりし続けるのは、言う人が甘いんです。

語気は強くとも、内面は弱い。

自分のことしか 考えていない。

苦労をされたとしても、その苦労から何も学んでいないから

人に対して キツいことが言えるのです。

(勿体ないですよね)

相手を尊重しない、言われた身におきかえれない時、

浴びせた言葉は、暴力になります。

腹立った時などは、酷い言葉が思わず、ぽろっと出ますけど(苦笑)、

しまった!言い過ぎた!・・・

と思いますよね。

そして、

後になってから、独り反省しきり。(笑)

謝っても許してくれるくれないに関わらず、

素直に謝るのが良いですね。

言葉というは、

言う側の感情・気持ち・心がすべて一致しているかどうかは、

時に 本人でさえ、わかりません。

その言葉とは逆の気持ちなのかも しれないし。

その通りかも しれないし(苦笑)、

単に 八つ当たりだったり。

この世は何が正しいのか、わかりません。

投げつけられた言葉そのものが、正しいとは思えないのです。

どんなに知恵者で、

どんなに秀才や天才と言われているような人であっても です。

本心がわからない・・・と思えることがあって、自然です。

嘘が上手な人もいれば、

嘘が下手な人もいますから。(笑)

他界されると 嘘はつけないと思います。

この世のように物質(肉体)が優先されるのではないから。

今まで気づかなかったこと、

自分本位で生きてきても、

他界してから少しずつ わかってくるのだと思います。

誰かにサポートされて気づかされるのではなくて、

自分で気づいていくのだと思います。

多分、物欲が収まってくるからだと思います。

他界して初めてわかる、人の真心_

感情が その人ではないでしょうし、あなたではないと思います。

冷静に、静かに 心穏やかな時が 本当のその人であり、あなた。

交流は、不思議系ではないと申し上げ続けているのは

そういうことなのです。

言葉は相手を左右するからといって、

何も言わない、言えなくなる・・・と思うのではなく、

相手を大切に思ってさえいれば、どんなに語彙が少なくとも、

真心は伝わるのです。

嘘くさい雄弁な人が何万語を話そうと、

誠実で正直な人がたった一言つぶやいた言葉の方が

どれだけ美しく、深みがあることでしょう。

言葉に、心があるかないかは、

誰にでも わかります。

うまく話せるようになる必要はないと思います。

心がこもってさえいれば。

=おまけ=

ポンぼけですみません。
ふっくらとしたこの袋のような中に蛍が入ったら、綺麗だなろうなぁ〜・・・
そんなことを家族達と話していました。
とても小さな花ですが、虫たちにとっては、ちょっとロマンチック?かな?
いやいや、私はそういう性分ではないので、この表現は自分で歯が浮きます。(笑)
ま、昼寝かな? (あははは)

アガサ

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