相手の良いところを見つめて

Nさんご家族様方とのお約束した当日。

起床直後、頭痛がしました。

直後というよりは頭痛で起きた、というほうがぴったり。

頭痛持ちも辛いな・・・と思います。

(まいったな・・・今日は、Nさんご家族様方が来られるのに。

 頭痛、辛いな・・・ま、耐えるしかない。)

にわか”頭痛持ち”となった私は、

転居後の、今はまだ見知らぬ地の風景を見ながら歩きました。

ふと、何か気配がして、歩いてきた道を振り返ると、

花粉をたっぷり含んだ杉の下を歩いてきたのだと気づきました。

( ・・・なんとまぁ。ま、通り過ぎたからどうしようもない。苦笑

徒歩5分ぐらい先にある待ち合せの駅へと到着。

山の中と比べて、超が付く程の便利な住環境、思わずニヤりです。

付近の景色をぼぉ〜と眺めていました。

< あ〜、早く会いたいわぁ。早く来ないかな〜。>

ぼんやりしている自分とは違い、乗って来られる電車を

今か今かと待つ女性が傍におられたのです。

( ご家族をお待ちですか? 久しぶりなんですね。)

< 久しぶりというわけじゃないけれど。笑>

( そうなんですか。笑)

< とにかく、会えるのを楽しみにしていたんですよ!>

( 会えるのは楽しみですもんね。)

< あ!あの電車! きっと乗ってる!わぁ〜 >

隣の女性_ おそらく、私より10歳程上の女性の空気に

喜びが増してきました。

嬉し過ぎて 目頭が熱くなってらした。

横に居た私まで感激し、目頭が熱くなりました。

電車が止まる前から、その方は、

< ほら!私の家族。あそこ!>

( え、どこですか?)

< あそこあそこ!あそこの三人。ほら!分かった?>

( あ、わかりました!あの方々ですね。三人?

  もしかして、あなたは、Nさんのご家族ですか?)

そう言い終わる前に、女性はどこかへ行かれたようでした。

( あれ? どこ行かれたんだろう。面白い人だなぁ・・・笑

  あの方が、Nさんの会いたい方だったらいいな・・・)

会いたい人だと一瞬にしてわかる瞬間、

名前や誕生日や携帯電話の番号ではなく、

家族の人柄や心が伝わってくるあの”瞬間”は言葉では例えられません。

同じ屋根の下で暮らしてきた年月への懐かしさからなのか、

不可能だと思っていたことさえ、消え失せ、

家族の、真の存在と心と 自分の心が重なるのを心が認識する瞬間、

本当の自分に戻れたような気がするのです。

たまたま、話しかけてくださった方が

Nさんご家族であれば・・・こう願わずにはいられませんでした。

小さな我が家での交流は、終始、和やかでした。

笑いに包まれ、時に、涙があふれていました。

私の回想よりも、頂いたメールの方が大事に思っていますので

Nさんとご家族様方から頂いたメールの一部を掲載させて頂きます。

文章量としては長めに思われるかもしれませんが、

読まれますと長くは感じません。

書き手の心がじんわり感じることの方が印象に残ると思います。

どうぞ、ゆっくりと心からお読みください。

– – – – –

母は、本当に突然逝ってしまったので、悲しさ寂しさ虚しさ、
心がぽっかり空いたような感情をこの半年間ずっと抱えて過ごしてきました。
それでも、毎日は過ぎて行くし、やらなければならないことも多い…
今回の交流で母に会えるかもしれない!と、楽しみにして毎日を頑張っておりました。

交流が始まってすぐ、アガサさんが気さくで話しやすい方と仰った時、
すぐに母だと分かりました。

父のことを「かっこいいでしょ?」とアガサさんに同意を求めることも、
追いつかない程、話し続けるという様子も、
お供え物は自分で取りに行くからあげなくて大丈夫!というのも、、
どれもとても母そのもので、その場に母がいることを実感出来ました。

母が亡くなる3年程前に「今までの人生でどの年齢が、一番楽しかった?」
と聞いた事があります。
その時、「そうねぇ、やっぱり子育てしてる時かしらね」と笑顔で答えていた
ことを思い出しました。
数日前からアガサさんの子育てに口を挟んでいたとのこと(笑)、
子育てが楽しかった!と言っていた母らしいな。と感じました。

生前、人の良いところを見て付き合いなさい。
感謝の気持ちを持って毎日を過ごすんだよ。と、常々母から言われてきました。
しかし、母が亡くなったことで、余裕を無くし、周りが見えなくなっていました。
人が優しくしてくれないことに腹を立て、
なぜ私ばかり苦労をしなければいけないのかと、そう思って過ごしていたように感じます。
でも、違うのだと、アガサさんからの母の言葉を聞いて気付かされました。
人の悪いところは大したことない。
そこに注目するよりも良いところに引き寄せられる方が自分が居心地がいい_
というのが母そのもので、ハッとさせられました。
大切なことを教わっていたのを忘れていたな。と、、
自分のことしか考えられなくなっていたんだな。と気付くことが出来ました。

また、心を込めてありがとう。と伝えて欲しいと言うのも、まさに母でした。
どんな小さなことも大袈裟なくらい喜んで、
満面の笑みでお礼を言ってくれていたのを思い出しました。
(略)
アガサさんから出た母の「ありがとう」はとても重みがあり、今でも涙が溢れてしまいます。
生前もっと感謝を伝えていれば良かったとも思いましたが、(略)
これからも感謝を伝えていきたいと思います。

父のことですが、私たち娘が思っているよりも遥かに父のことを愛していたんだな。と感じました。
母は普段、そんなに口に出して「かっこいい」と言うタイプではなかったですが、
確かに「お父さんなら大丈夫」「だってお父さんだもん」「さすが◯◯さん!」という言葉は
結構聞いていました。笑
それだけ信頼し尊敬の念を持っていたのだなと、改めて気付かされると同時に、
そんな温かい夫婦の間に産まれて、私は本当に幸せ者なんだなと気付くことが出来ました。
父は、今回の交流で母が傍にいることを少し感じられているようです。
私が母の代わりになることは不可能ですが、母の話をたくさんし、
少しずつでもこの生活に慣れていけたらと思っています。
(略)
きっと平坦ではない道のりを、母に大丈夫!と言われるとなぜか大丈夫な気がします。
無理かも。と思っていた気持ちもやってやろうじゃないか!と少し気持ちに変化が出た気がします。

今回の交流で、姿は見えないし、話すことも出来ないけれど、
物事に対する姿勢や価値観、そういったものをきちんと私の中に残していってくれたんだなと
改めて感じました。
(略)

生前は、困らせたり、怒らせたり、泣かせたり、、そんな事ばかりで後悔しかなかったですが、
感謝を伝えるのに遅いことはないのかもと少し思えています。

– – – – –

昨年の夏、母は頭が痛いと言って突然倒れ、そのまま意識が戻らぬまま他界しました。
くも膜下出血でした。
本当に突然すぎる別れでした。
母はさぞ心残りだろうし、悲しんでいるのではないか、泣いてばかりいるのではないか、
今は頭の痛みや身体がつらいことはないか、母がどんな様子なのか、ずっと気がかりでした。
(略)
待ち合わせのとき、早く会いたくて、とてもコンビニの前でなんて待っていられなかった、
と母と重なった心情を伝えていただいたこと、今になって、じわじわと、母の会いたい気持ちと
それを表現してくださったアガサさんと、2人の気持ちが嬉しく、切なく感じられます。
母の愛情を感じました。
母からの、心をこめてありがとうを伝えていただいたときは、涙が止まりませんでした。
母の姿が見えたように思いました。

アガサさんに、涙ぐんでおられます、って言われると、母の表情がありありと浮かびました。
とても丁寧に母のことを伝えてくださり、本当にありがとうございました。
(略)
母のことをじわじわと、確実に、感じることができました。
(略)

父のことが今も大好きで、ずっとそばで顔を見ていたい、カッコいいと思っていること、
こんなに主張してくるとは、意外でした。笑
そしてもっと側にいたかったと思っていること、やはり寂しいです。
母の父に対する愛情は、私の想像以上でした。
勝ち負けではないですが、なんだか完敗という感じです。。笑
帰り道、父は嬉しそうでした。
アガサさんにお礼のメールをするよと言ったら、一言、
ありがとうございましたとお伝えくださいと、申しました。

今までどおり、母に話しかけて、相談して、母だったらなんて言うかなと
心の中で話しながら過ごしていきます。
人の良いところ、キラッとするところを見て、
人のダメなところなんて些細なことと思って気に留めず、
自分が機嫌よく心地良くいれるような生き方をする母を、
今回改めて、我が母ながら尊敬するなと感じました。
そんな風に思う機会にしていただけたことも、とても有り難く思います。
母に育ててもらった娘であることに自信を持って、
母がしてくれたことを思いながら、私も子育てをして、生きていきます。

でもやっぱり会いたいです。
近くにいてくれているのを感じることができたし、
何も変わらず母はいて、心は繋がっていると思う。
でも、やっぱり声が聞きたいし、会いたいです。
今回交流して、改めてそう強く思う気持ちもあります。まだまだですね。
(略)

– – – – –

印象的だったのは、

「 母からの褒め言葉を聞かないと 他の人からどんなに褒めらても

 褒められた気にならないんです。」

ということ。

ご家族全員が「その通り」と言うように

うんうんと首を縦にふっておられたこと。

人は誰しも、良い所とそうではない所があります。必ず。

時と場合によっては、良いところよりもそうではない所に

意識が向くでしょう。

お母さんは、ご自分の人生を歩まれていくなかで

相手の良いところとそうではないところとどっちが

自分にとって居心地が良いのか?ということを幾度となく

経験されてきたのだと思います。

お母さんが話してくださっていた子育て。

乗ってこられる電車を待ちながら、こんなことも話していました。

< 子どもの年齢によって、親も思うことが変わってくるけど。笑>

( はい。まさに、そうです。うちは思春期突入です)

< いいじゃなぁ〜い。笑>

( 小学校低学年ぐらいまでが良かったですよ。)

< そう? それは親の贅沢ね!笑>

( まぁ〜、そうですね! 親の贅沢ですね!笑)

< ほら、見て。線路の近くを歩いている女の子達!>

( わ、可愛いですね。姉妹でしょうね。)

< お揃いの上着、着てる!可愛いぃ>

そうおっしゃるお母さんは、娘さん達の幼い頃を思い出して

おられたんだと思います。

わが子の幼い頃を思い出しながら、

家族それぞれのことを思いながら、

電車の到着を今か今かと待っておられたんです。

すべて 懐かしくて

ぜんぶ 愛しくて。

アガサ

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