母の日に寄せて

子どもの頃は今の祝日のように連休を意識された設定ではなく、

◯月○日と決められていましたね。

日が決まっている方が印象深いものがあったように思えます。

母の日。

毎年、お花を贈るぐらいしか出来ない親不孝もんの私。

それでも、母は嬉しそうに御礼の電話をくれるのです。

実際、母はお花が大好きです。

母は私のなかで、50代ぐらいで止まっています。

いつの間にか、高齢と呼ばれる年齢になり、父のもとへ

召されても自然に思えるお年頃です。

子どもの頃、母のことが好きなのに、母のような生き方は

したくないと強く思い込んでいました。

50過ぎた今、母の生き方は私が願っているものでもあるように

思えます。

” 故郷で生まれ育ち生きる。”

転々としますと、故郷が少しだけ薄らぐような気がしています。

薄情なことではなく、故郷以外の住んだ場所にも思い出が生まれる

からです。その地その地に、色々な思い出があります。

母の人生とは違い、私の人生は、余儀なく引越すことが多い。

ほぼ、同じ場所(都道府県)で人生を積み重ねられることは、

年齢を重ねれば重ねるほど、私の内で深い憧れ、淡い夢のように

思えます。

転々とすることに、さすがに疲れてくる年になりました。

家族それぞれのためとはいえ、ね。(苦笑)

すみません。前置きが随分長くなってしまいました。

母の日に寄せて、頂いたメールを掲載させて頂きたいと思います。

– – – – –

今回で3回目となる交流をして頂き、毎回母は「明るい方」だと言って頂き本当に嬉しいです。
(ア:全く覚えておりませんが、母上のご性格が今も尚ということです。)

相変わらず父が心配な事、私の結婚の事、変わらない母で胸がいっぱいになります。
いつも家に、そしてそばに居てくれてるとの事ですがアガサさんに交流をして頂く
この機会は本当に母と会話をしているようで不思議だけれど不思議ではなく、
以前のような感覚になれます。

月日が流れ、受入れている部分と受け入れられない部分がありますが、
何より母が元気で変わらない事で救われます。

(略)

婚活に関しましては、普段の生活にじょじょに取り戻しつつある時、
ふと父を安心させなければ・・・と考えました。
どうしたら?と考えた時、やっぱり私の将来の心配が一番だと思いましたので
一念発起し行動に移しました。

私は父と母が築いた家族が大好きでここを離れたくない・・・
と若い頃は結婚願望が無く、ぬくぬくと甘えてました。
母があちらに住居を変えた時も今まで充分幸せだったから残りは地獄でも耐え
られる。と思っていました。
でも、3回の交流でやっぱり出てくる結婚の話・・・・・。
重たいお尻を上げ、今日に至ります。

(略)

– – – – –

お会いする度に、その方の空気(雰囲気?)が違います。

面白いもんだなぁ・・・と思えるほど、空気が違うのです。

毎日の積み重ね、日常がそうした変化を生むのでしょうね。

Cさんも空気が変わられたかな〜と思いました。

良い意味で、です。

Cさんのお母さんが、毎回、娘さんの結婚について仰っていたとは・・・笑。

そのお変わりのないところが、私にもとても嬉しく、

人様のご家庭の温かさ、ご家族への愛情に浴すると

心がほんわりと温かくなります。

結婚が全てではないと思っています。

結婚すれば絶対にしあわせになれる!ということでも

ありません。

信頼できる、安心できる、あくせく働くこともない・・・

夢は広がりますが(笑)、結婚はそんな甘くない、ですよね。

いろんなことがありますし、

不意打ちのことも起きます。

自分独りの方がよっぽど、気楽! と思えることも多々あります。(笑)

それでも、親というのは、自分が他界した後、大人に成っていても

わが子のことを気にかけます。

子が自分と全く同じ経験をするわけではないけれど、

子を信頼していないのとは違うのですけれど、

なんせ 親は いつも 子を思います。

子が いくつになっても、です。

なかには、

親に苦しめられ続けた方もおられます。

どんなにお辛かっただろうと思います。

そうしたお辛い子ども時代、少年少女時代を過ごされた方々は

本当に優しく、とても繊細です。

ご自分が身内から苦しめられたからこそ、

人の痛みがわかるのです。

良い思いばかりをしていては、思いやりは育ちませんもの。

自分の年齢の時、

母はどうだっただろう・・・

父はどうだっただろう・・・

どんなふうに生きていたっけ・・・

そう思う時があります。

親が老いていく姿を見るのは、子にとって辛い時があります。

自分の知らない人みたいと悲しくなることもあるでしょう。

だけど、自分も親と同じぐらいの年齢になった時、

似たり寄ったりになるのです。

肉体は 老朽化します。

肉体は 変わります。

性格や性質、人柄というのは、そんなに変わりません。

懐かしいまま なのです。

私が交流に臨む時、最も重要視するのは

お人柄。

性格です。

交流は、大切な方とアガサだけがするのではありません。

会席者全員が交流に参加するのです。

だから、交流なのです。

Cさんは書いておられます、

“この機会は本当に母と会話をしているようで不思議だけれど不思議ではなく、

以前のような感覚になれます。”

というように。

そこに、会いたい話したい母上がおられるから、

母上と会話をしているように思えるのです。

いたって 自然な思いです。

と、私は思います。

アガサ

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