メリットとデメリットを知る   〜「 自分で繫がる 」の経緯と思い〜

「自分で繫がる」指南に、ご賛同メールを頂けて、驚いています。

何だか、気恥ずかしいといいますか、正直、すごく嬉しいです。

物事には必ず、メリットとデメリットのような二面性や多面性が

あるのは、多くの方々がご自身の人生経験からご存知です。

他界した愛しい方との交流においても、それが言えます。

繫がることは、極めて、自然なこと。

その自然なことを誰かの方法?で伝授することは不自然なのです。

不自然なことをシリーズ化して養成講座とするのですから、更に

不自然さが増していくのは、当然といえば当然です。

養成講座というと、聞こえは良いかもしれませんが、その実、

1対多ですから、わかったようなつもりになるだけのようです。

そこには、各自のエゴ、他のへ妬みなどドロドロしたものが

渦巻いてしまうのは、致し方ないのかも しれません。

そうなる原因があると思うのです。

どういう意味かというのを、ご説明致します。

ご存知のように、私は、酷い皮膚炎になりました。

薬害。

よく効くとされている、あるいは、医師から処方される薬の

メリットとデメリットを”事前” に説明を受けていれば、

未経験とはいえ、デメリットを言葉レベルでも知ることが出来ます。

そして、使う・使わないを私達自身が、選べます。

ところが、デメリットは、印象を悪く持たれますから、

大抵、そうした情報を与えられないのが現状です。

皮膚炎に関して、” 私は未経験だ ” と強く思い込んでいたのです。

自分の身体であるにも関わらず。

自分の感覚よりも、医学部で学んでこられた方の方が絶対だ!と

思い込んでいたのです。

信じて疑わなかったのです。

今、思えば、肩書きや学歴をすべてを委ね過ぎてしまったのです。

自分の感を無視して。

「 私はどこそこ(外国)で長期学んできました。研究してきました。」

「 わぁ、すごいですね。あなたには才能がありますよ!」

「 誰でも出来るようになれますよ。大丈夫。」

という言葉が、表向き。

営業トークとでも言うのでしょうか。

本音は、

“どこそこで学んできた有名な私が伝えるのだから、ファンが増える。”

などと思うでしょうね。

受講する人のことは、生徒扱い。

自分にとって都合の良い人達を取り巻きスタッフに命名。

まぁ、そんなところでしょう。

( 下心というのは実に醜い。)

要は、

自分に特別意識を持ち続けたいのです。

ちやほやされ続けたい。

そして、お金を集めることに興味と執着をお持ちなのです。

よくある流れといえば、その通り。

一方、

受講側も、多かれ少なかれ、” 同じようになれそう・・・” と

思えてしまうのだと思います。

淡い期待だけで留まれば、純粋さをキープできるのですが、

人間の欲というのは、びっくりするほど、増幅スピードが

速いのです。

ですけれども、その内、主催側の本音の空気に気づくことが出来れば、

セーフ。

その感性は、素晴しいと思います。

すぐに止めて、普通の、あなたらしさを取戻される方が善い。

分野がなんであれ、デメリットをまず、伝えてくれることが重要。

良い面とそうではない面があること、

それぞれに関しての経験値が伝える側にあること。

どれほど長く、その分野でいようとも、知らないこともあるのです。

私が経験した皮膚炎の症状やその流れさえ、知らない専門医が

何人もおられました。これが現実です。

なぜ、知らないのか。

ご自分が辛い苦しい経験をなさっていないから、です。

辛く苦しい経験をしたことがある人は、視野が広くなります。

いろいろな方面のことを考えれるのです。

交流することは、良い面ばかりではないのは事実。

良い面ではないことを経験しているかどうかが、重要。

経験するだけに留まらずに、その両方をきちんと理解すること。

そこから何を学んだのか、

どう思うようになったのか、

日常にどう活かしているのか、

自分の心持ちがどのようになってきたのか、

です。

なかには、

両方を経験しても、経験するに留まる人もいます。

それも現実だと思います。

メリットとデメリットの両方を経験し、良識を心掛けていれば、

養成講座というものに手を染めようとは思えないのです。

日本人は、「海外・著名・きれい(外観)」に弱いですから、

それらを看板にされている霊媒、講座の実情は・・・

言うまでもありません。

養成講座というのは、ビジネス。

当然ながら、内容は、人を多く集めることに重きをおかれています。

興味のある人は、開催されるでしょう。

興味のない私は、やらないだけ。

掲げる看板が世間的にどんなに魅力的?であろうとも、

一番大事なのは、人が見ていないところでの ” 人となり ” 。

繊細で精妙なもの※は、個の最も大切なものなのです。
※心、思い、感情、精神。無形だけど大切なもの、の意味。

だから、

組織化する必要が ない。

群れる必要も ない。

有名著名になる必要も ない。

海外に行く必要も、ない。

そういうのは、私利私欲以外の何物でもない。

何に重きを置いているのか。

上記のことは、自分に重きをおいているのであって、

大切なご家族、愛しい人の他界を経験された方々に

重きが置かれていないのが、情けな過ぎる。

信頼を頂いて、ご依頼くださった方々に

特別意識を植え付け、

能力自慢(自己アピール)に長け、

自己満足に浸るような夢見る夢子さん状態にしたいと

思えるわけが、ない。

長々と、熱く述べましたが、頑固な私は

スピリチュアルビジネス講座関係に興味ありません。

ですから、養成講座では ありません。

養成講座イメージを期待されて、ご依頼頂いてはいけないと

思いました。

おひとりおひとりの繋がり方を見つめていくのは、

難しいと思います。

脳も全神経も空気も、フル稼働で臨む所存ですが、

1回きりでは無理では?と思われる方もおられるでしょう。

でも、

1回だけです。

ご自身の今までとこれからが、” 本当の師 “。

ご自身が ” 案内人 ” です。

大切なものほど、インスタントでは出来ないのです。

恋と愛は違います。

愛と愛情も、違います。

愛情は、月日を重ね、様々なことがあって、

深みがました尊いもの。

それは、無形です。

肉眼では見えず、肉耳では聞こえないもの。

だから、尊く、永遠なのです。

この意味をさらに理解して頂きたいと思います。

どれだけ難しいことでありましても、

やるべきことなのだと思えています。

そして、とうとう その時機がやってきたのです。

そして。

長くなりついでに、もうひとつ述べさせてください。

毎日毎日、私は年をとります。(当たり前)

今後のなかでは、今日が一番若い。(笑)

この先、体調不調や、何かの理由で続けたくとも続けることが

出来なくなってしまう可能性もあります。

( 一寸先、人間はどうなるかわかりませんもんね。)

責任感をどれだけ持っていても、です。

ご自分でご家族、大切な方を少しでも感じられることが出来れば、

繫がることの意味が本当に理解出来ていれば、

「どうしよう!他の霊媒を探さないと!」と慌てなくて済みます。

口達者な霊媒や霊能者に、あるいは、養成講座の渦に、

騙されなくて済むわけです。(苦笑)

( ご依頼頂いた方々から、いろんな酷い実話を聞いています。本当に酷い。)

続けることを選ぶよりも、正しいことをしたい。

必要な人に、直接必要であれば善いだけ。

辛く悲しい日々を過ごしておられる人達が、

心から愛する人、大切な家族をこれからも変わらず、

大切にして、生きて行く_

経験を通して、いつも考え、いっぱい考え、悶々とし、

あーでもない、こーでもないと思いながら、考え続けてきました。

その手助けをするのが アガサとしての成すべきことで、

人としての、成すべきことだと思います。

まとまりのない文章ですが、思うまま、述べさせて頂きました。

これが経緯です。

思いでもあり、信念でもあります。

いつも、皆さんに励まされてばかりです。

本当に、有難うございます。

= おまけ =

りんごのおもちゃは、これ。
縄を買ってきて、50cm弱で切って、結びをつけたもの。
歯磨きアイテムとしても使えます。
コーギーとは違い、歯がね、なんだか、すごいんですよ。
サメみたいなんです。


うるうるおめめ。
お母ちゃんに、おねだり中のりんご。
もちろん、食べ物をおねだり。
本当に可愛いですよねぇ。
動物は本当に純粋。



家族の、久々の畑収穫。
ジャガイモなんですけど、こんな形に。
天然のハート型ですよ! 天然!
自然って、すごい。

りんごの育児に振り回されますが、息子達を忘れません。
名前も普通に、日常に出ます。
行方不明の娘猫ぺこのことも、毎日毎日毎日、思います。
忘れる日なんてありません。
再会は、私がオババになって、他界した時。
ご先祖さんや近い親戚や家族達に挨拶したら、動物達と暮らしたいと思ってます。
虐待された動物達、虐待された子ども達を抱きしめたい。
そう思ってます。

アガサ

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