師の心
若い時分は「姿勢が良いですね!」と言われるほど、
姿勢が良かったらしい私。(自分では意識していませんでした)
30年も経ちますと、だらけ放題にだらけ具合が、贅沢なお肉と
なってお腹や腰回りに立派につきました。
気楽にしていますと、背中が丸くなるんです。
そんな私に近づいてきてくださった”この方” は、交流中、何度も
姿勢を正されました。(苦笑)
ぴりっとした緊張感が漂いながらの交流でした。
Fさんからお電話を頂く前の、お話メモです。
< 何もいらいらする必要はありません。
あなた(Fさん)が、やること、やらないとと思えることを
先にやれば、気持ちが落ち着いてきます。
それだけでも、気分の良いものです。>
他界されて何年も経つ貫禄が空気に香っておりましたこの方は
お着物もピシッと着こなしておられました。
板についているというのでしょうか、着る物に着られていない
上品で気丈な女性です。
< 他からの相談やいろいろなことを話されても、あなたが
それにのせられることはありませんよ。
(人情深いところが)あなたらしいといえば、あなたらしいですけれど。>
笑いながら、そうおっしゃったのです。
ふむふむと聴こえてくる内容を聞き漏らさないように、書き忘れないように
必至にメモしていました。
< 禅の心 これを大切にしなさい。
文句や小言は、心を乱すだけ。きりっとしなさい。>
( あのぉ、ぜんというのは、善ですか、禅ですか?)
一瞬、チラッと私の方を横目でご覧になったように思えましたが
< 禅です。>
( はい。わかりました。有難うございます。)
顔をあげますと、おられなかったので、ちょっと気楽にさせて
頂こうと私は伸びとあくびをして、ふぅと息をついて、背中を
丸くしながら、Fさんからのお電話を待つことにしました。
Fさんからお電話を頂き、10秒程 静かに待っていましたら
先程の、ぴしっとした和服の女性が静かに入って来られました。
私の方をちらっとご覧になったので、
( 姿勢のこと、言われるかな・・・)と心の中で思い出し、思いました。
< あなた(私)、姿勢を正して。>
やっぱり、言われた。(苦笑)
でも、おっしゃる通りなので、姿勢を正しましたよ、もちろん。
なんだか、違う緊張感があるなぁ・・・なんて思ったら、
この方に筒抜けだろうなぁ・・・と心の中でブツブツしておりました。
(チラ見を頂戴しましたので、すべてお見通しなんだと思いました。)
Fさんに、今、私の近くにお越し下さっている方のことをお話し、
このようなお人柄、ご性格ですが、おわかりになりますか?と
言いますと、
「 はい。わかります。お茶の先生です。」
とのこと。
おわかりになるようなので、続けてお話を伺いました。
お電話前のお話内容もすべて、おわかりになる、とのことでした。
Fさんの師がお話しになることは、深く、この方が生きてこられた時と
今との流れの違いも感じておいででした。
今だに緊張がするのか、ほとんど思い出せません。(すみません)
Fさんから頂いたメールを掲載させて頂きたいと思います。
– – – – –
(略)
本当に久しく忘れていた心と心が響き合う事を実感出来た、素敵な時間でした。
深く感謝申し上げます。
有難うございました。
お電話する前までは、思い悩む事があれこれ一杯で、あれもお尋ねしたい、
これもご相談したいという心の状態でしたが、今はとても静かな気持ちで
いられる事を有難く思います。
生前、先生が私に授けて下さいました事の大切さも改めて、感じています。
茶道という限られた世界ではなく、先生はひとつの道を指し示して下さって
いた事に、改めて気づきました。
何といっても、先生がご生前のまんま 本当にお変わりなく、
生き生きとした魂でいらっしゃる事に、嬉しくもあり驚き‼️でもありました。
私もこの肉体がなくなっても魂は残る事を想い、少々困って(笑)います。
決して一人ではなく、いつも見守っていて下さっている方々がいて下さる事が、
確信出来て本当に嬉しいですし、また、だからこそ、しっかり生きよう!とも
思えるようになりました。
(略)
– – – – –
興味深いことをそういえば、お話しになっていました。
集中する、ということを思うのではなく、茶の世界に浸る、
入ること。
周囲を遮断するほどの、です。
茶の歴史に思いを馳せながら、一体化することで、
気持ちが楽になり、
不要なことは頭から去り、
師と弟子とが とても身近に感じるのだそうです。
( 先生、それを集中と例えるのではありませんか?)
< 集中とは違います。>
( わかりました。)
と まあ、こうお返事する他 私に能はありません。
決して、圧力ではないのです。強いというのとも違います。
日本にある「道」という漢字がつくお稽古事といいますか、
ひとつの道ですね、道。
しなやかでありながらも、ぶれない。
揺れない。
Fさんの師は、長きに渡って、茶人として生きてこられ
時代の流れに 時にため息をつかれたかも・・・
しれません。
それでも、他がどんなに変化しようとも、茶道とはどういうものか
というのは、時代の流れには流されない確固たるものがあるのだと
全く素人な私の心に、伝わってきました。
( 交流時、先生がいらっしゃる時だけ。)
現代風の言葉で申し上げるのは、大変失礼かもしれませんが、
Fさんの先生は、オーラが・・・この言葉は嫌いなので止めます
Fさんの先生がまとっておられる空気は、違いました。
志や精神性が その人の周囲の空気を育ててゆくのでしょう。
いろいろな試練を乗り越えてこられたからこその、違いが
滲んでいたように思います。
身内ではないけれど、師の存在は 大変有難いものだと
思いました。
Fさんと先生は、とても深いご縁で繫がっているのです。
禅の心か。
あとで調べてみます。
アガサ