粛々と生きていこう
自分がこの世に生まれたのは、親のおかげ。
その親も、それぞれの親のおかげ。
自分に物心がついてくると、特に若い頃なんかは
正直、感謝の「か」の字もわかっていなかったと思う。
若い頃を過ぎ、年齢を重ねていくなかで、
様々な経験を 自分なりに重ねていく。
嬉しく、楽しい経験よりは、むしろ、苦しく辛い経験を
重ねていくことで、感謝の「か」の字がようやく身に沁みる。
親心の温かさ、
友情の温かさ、
人様の温かさ、
動物家族の温かさ、
いろいろな温かさが 自分の内で浸透していく。
馴染んでくる。
そうやって、感謝の「かん」の字がわかってくる。
災害、事故、病気、、、
世の中の 他人様の 様々なことを 独り祈るように
なってくるのは、
感謝の「しゃ」の字に指をのっけているのかなぁ〜
と思う。
謝という漢字には、
” ありがたく思う心を言葉に表す ” という意味が
あるそうだ。
自分が無事であることを有難く思うという意味ではなく、
今、自分がこうして生きながらえているのは、
知ってる知らないに限らず、自分以外の人達のおかげ。
命を差出し、食として生をささえてくれている動物達の犠牲のおかげ。
いつ 大きな辛さがやって来、
いつ 深い悲しみがやって来るのかは わからない。
いつ やって来ようが、動揺しながら、泣きながらでも
粛々と生きていけるように 平凡極まりない日常を
夜空に輝く星々のごとく、貴重に思いたい。
平々凡々と暮らしていれば、他界は美しく充実している。
それが本当かどうかを調べたいとは思わない。
他界に思いを寄せ過ぎることもなく、
この世に居る限りは、この世での生を粛々と受け入れたい。
困っている人達、動物達が、救われますように。
強き立場の者が、弱き立場の命と心を救いますように。
霊媒、霊能者という者がこの世からなくなりますように。
真心を持ち続ける人達が増えますように。
生まれた日に寄せる思い
アガサ