おーい!

頂いたメールから一部を掲載させて頂きます。

– – – – –

(略)
朝一番に朝を流してきたなんて本当に主人らしいと思いました。
学生時代に同じクラブで一緒に汗を流してきた同級生が10年ほど前に亡くなっているので、
きっとそのお友達だと思います。

あちらの世界でも運動楽しめるんですね。私が悲しんでなかなか立ち直れていないことで、
心配ばかりかけて主人には申し訳なく思いましたが、整然と変わりなくにポジティブ思考で。
あっさりした性格そのままで、一緒に会話しているようで涙が出ながらもとても楽しかったです。

今は悲しいですが、本当に幸せでした。
これからも見えないけれどこんなに思ってくれている主人がいるだけで幸せです。
心配かけないように頑張りますが、思いが深いので、涙が出るけどこの涙が笑顔に変わる日が
来ればいいのにと思います。

主人と一緒にまたあちこちでかけていけるようになれるといいなと思いますし、
これからも二人で過ごしていきたいと思います。

(略)
おーいっていつも呼びかけられていました。今もおーいって答えているってびっくりしましたし、
数日前におーいって空耳かなって思いましたが、声が聞こえたように思いました。

(略)

久しぶりに主人とおしゃべりができたようで、懐かしくもあり楽しくもあり、
今またそばにいてくれているんだと信じられるけど、こちらから話しかけても
返事が聞こえない寂しさがあります。

本当に二人でおしゃべりしていると楽しくて、コントのようでもあり、
受け答えで笑いが絶えない、漫才しているような楽しさがありました。
どうしても後ろ向きになってしまいますね。

それでも。今でも見えないだけで、いつもと同じようにそばにいてくれていて、
そのままの主人であることは、実感できました。
これからも二人で楽しむんだという主人の姿勢にかわらないなとうれしかったです。
今までもそういう主人にずっと手を引いてもらってきていました。

(略)
いつまでも、心はつながっているし、一緒なんだと思って過ごしていきたいのです。

– – – – – –

頂いたメールをもとに回想させて頂きます。

( 覚えていなくて、ご勘弁ください。)

確か・・・この日、交流直前に、

60歳前後の男性が、軽く息をはずませて来られました。

< すいません、すいません・・・ハァ ハァ >

遅れておられないのに、ちょっと遅れて申し訳ないといった具合で

来られたのです。

何やら、軽く運動をされていたご様子。

ハァ ハァと少しだけ、息がはずんでおられましたけれど

全く 平気そうなんです。

私がその運動に参加したら、ハァハァどころではなく

ゼイゼイ言いながら、フラフラして、よろよろしながら、

顔真っ赤で、喉がカラカラで すぐには喋れなかったでしょう。

それぐらいの運動量だと思います。

( すごいなぁ・・・)

軽く汗を爽やかにかいておられてのご登場に驚きつつも、

万年運動不足に馴染んでしまった私は 尊敬の眼差しでした。

( 私も若い頃は鍛えていたんだよなぁ・・・)

どっちが年齢的に若いか分からないなと苦笑いしてしまいました。

< 懐かしい友人にね、会ったもんだから。>

( そうですか。それは感激ですね!)

< ええ、そうなんです。ちょくちょく会うんですよ。>

( それはそれは!)

なんだか、普通の日常みたいで、こっちと変わらないんだなぁ・・・

そんなように思いました。

< 話しかけているから「おーい」って返事しているのですが

 どうやら、聞こえないみたいで。>

さらっと微笑みながら話されるのですが、優しいなぁ〜と思いました

だって、ちゃんと返事をされるのですから。

面倒くさいなと思う人がいても、不思議ではないですもんね。

ご主人のそういうさり気ないところにも、お人柄の温かさを感じました。

その後も、車の一部分が故障していること、音楽のこと、

Kさんのことを話してくださったのです。

交流の度に、いつもそう思えるのは、

” 大切に思っている者同士が一番わかりあえる ” です。

縁あって出会い、共に過ごす時間があって、

今も大事な存在だと辛く悲しくなるほど思えるのですから、

過去の人ではないでしょう。

大切な人だと思えるでしょう。

無理ですか?

悲し過ぎて、そんな余裕 ありませんか?

私は こう思うんですよ。

私達のこの肉眼で、どれだけのものが見えるのか?

私達の肉耳で、どれだけの音が聞こえるのか?

ほんの一部です。

一部。

人間より他の動物達の方が、多くを見聞きできます。

全てを見聞きできない(感知できない)からこそ、

豊かな感情が発達しているのです。

本当に大切なものは、この目では見えないと思います。

ずっとは 見えない。

だから、善いのだと思います。

他界しても、いつも見えて聞こえていたら・・・

私達は これほどまでに

大切な家族を 大切な人を 大切な動物家族を

今のように恋い焦がれ、大切だと痛感しているでしょうか。

人間というのは、誰しも 欲深いですから、

いつか ” 有難い ” が ” 当たり前 ” になってしまいます。

極々 たまに 奇跡のように、

空耳か

見間違いか

このようなことが あるからこそ、

感激の深さがあるのです。

私達が覚えている限り、

愛情を持っている限り、

いつか、必ず、再会できるのです。

泣いていても、いつか、会えますよ。

ちょっと 笑顔が出る日があったらいいなぁ〜 と

陰ながら 祈っています。

「 おーいっ!」って ご主人がおっしゃっているんですよ。

ご主人のために、泣きながら笑ってください。

ご主人との信頼と愛情が一番深いのは、他の誰でもなく

Kさんなんですもの。

= おまけ =

りんご です。
寒くなってきましたので、スリッパ必須の私です。
洗濯物を干したり、入れたり、と狭っこいベランダに出ると
必ず スリッパの上に ドカッと居座るりんご嬢。
どこに脱いでも、スリッパの上に座る。

キッツーイおばちゃんの私ですから(笑)、「母ちゃんのだ!」と
ビシッとスリッパをひっこぬきます。

哀れ、りんご。

アガサ

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