思う心  〜 気高く、気丈な母心 〜

医療とは、何だろう。

なぜ、医師になろうと思われたんだろうか _

あらためて深く、こう思った交流でした。

医療拒否というのは、患者側にあっても、医療側にあるとは

思いもしませんでした。

何のために、猛烈に勉強され、専門知識と経験を積まれていた

のだろうか・・・

頭ごなしに患者側のご家族に対して、圧をかけるのか。

人に偉そうにしたかったから、医師という職業を選んだとは思えない。

初心は遠い昔に、権力と資力と引換えに置いてこられたのだろうか。

それでも、

誠実に真面目な医師も多くおられると思いたい。

実際、交流ご依頼を頂いた方々で医師をされていた方は実に、誠実。

それとも、慣れに甘んじてしまい、責任感と誠実に対応することが

バカバカしく思えてしまうのだろうか。

いづれにしても、どのような仕事、職業であっても、

迷惑をかけている者は鈍感で相変わらず、分厚い面をし続け、

真面目に尽くしている者は、表裏変わらず、真面目に尽くし続ける

のだろう。

何年かに一度、不誠実な医療現場の現実を耳にし、何とも

やりきれない思いが蘇ります。

Fさんから頂いたご依頼フォームには、「家族の死を受け入れられません」と

短い文章でお書きになっていました。

はっきりそう書いてこられるには、”相当以上の”何かがあるのです。

ものすごく遠い距離を車で伺いたいですとメールに追記されていました。

「 ええっ? 車で? 」

思わず、パソコンに向かって、叫んでしまう程 心配でした。

車でも、行ける距離というのがあるように思います。

いろいろな運転をする人達がいますから、長距離は大変です。

( 休憩を取られると思うけど、大丈夫なんだろうか・・・)

もうそのことばかりでした。

当日の朝、準備をし始めますと、かなり高齢の女性がおられました。

久しぶりと言えるぐらいの、高齢の方です。

Fさんのご家族の方か、ご親戚の方か、それは分かりません。

< どんなに苦労しても、子どものため! 子どものために、頑張る。>

訛りがあり、上手に聴き取れなかったのですが、心は私と重なります。

きっぱり、強い意思でそう言われました。

まるで、それは、私への助言のようにも思えていました。

< F・・F・・・F・・・・>

何度も名前を呼ばれます。

( 今日、お話ができますから、安心してください。私、頑張りますから。)

< 寿命だったから。気にせんで。

 人を悪くおもうたら いかん。

 Fがおって しあわせやった。>
※方言を大事に思っていますが、覚えていません。意味は上記の通りです。

しばらくすると、

< ようけの 人ら と会った。なつかしい子どもの頃の友達も・・・>

とおっしゃりながら、沢山の方々に囲まれて懐かしい笑顔で

おられるところを見せてくださいました。

( ものすごい人達に囲まれておられる・・・)

眺めている私まで、感無量でした。

後で話してくださったのですが、ご兄弟やご親戚が多いとのこと。

出迎えの人達が多かったことを「 なるほど 」と思えました。

「 母親が亡くなってから◯日経った頃、こんなことがあって」

と交流の後、話してくださいました。

稀で貴重な実話でした。

お知りになりたい方も多くいらっしゃるかもしれませんね。

ご存知の通り、このブログは不思議系や興味本位系ではありませんので

ご容赦願いたいと思います。

Fさんにとって、ご自身の経験は、貴重で大事な宝です。

経験したから、死後があるのだと信じれた、

だから、依頼をしましたとおっしゃっていました。

Fさんは、本当に親孝行な人。

これほどまでに、孝行されていたのですから、大きなショックと

怒りでいっぱいだったのは当然です。

ものすごく口惜しくて辛くて、

どうしようもないお気持ちでおられるのは、仕方のないこと。

それでも、お母さんはあのようにおっしゃったんです。

自分だったらどうだったろう・・・と思いました。

親が子を思う気持ちは、痛い程、わかります。

いくつになっても、親は親。

年老いてきますと、子に従うことが増えてきますが、

それはそれで幸せを感じれるのです。

子が話しかけてくれるその言葉に、愛情を感じるのです。

遠い昔、

子が幼かった頃、子を抱っこする、手をつなぐ、ほっぺたを寄せる、

寝息を聞いてほっとする・・・

その瞬間にしあわせをしみじみ感じれる余裕はあまりなかったと

思います。

今のように、夫が家事や育児に協力してくれる時代ではないですから、

その時代の母親は、家事、育児、仕事、義親のこと等、必至の連続です。

子どもが大人になり、ふと、子どもが幼かった頃を懐かしいと

思い出せるのです。

大きくなった子どもに、しがみつけることは、親が子に甘える

ということではなく、子が幼かった頃を思い出せる至福の一瞬

なのだと思います。

どんな目に遭おうとも、人を悪く言ってはいけないよと言う母。

そこには、子に、心を腐らしてはいかんよという願いが込められて

いるのだと思います。

人がどうであれ、気丈であることが お母さんの人生において、

とても大切なことだったのです。

そうでなければ、生き抜くことなど出来なかった時代。

次から次へと災難が起きる時代でしたもの。

大病院の肩書きある先生が、患者を見下し、

医療を施さない自分に酔いしれているかのように圧をかける現実。

なぜ、医師を目指したのか・・・

一番大切なことを見失ってしまった医師が担当になったために、

大事な家族の体調が急変急降下していく様は、許し難い現実です。

私のような者が聞いていても、許し難く、非常に腹立たしく思いました。

それでも、お母さんは、

“人を悪く言ってはいけない” とおっしゃるのです。

自分が、Fさんのお母さんと同じ立場だったら、どう言えるのか?

お母さんのように言えるのか・・・

それとも、

あの先生に自分は殺されたと思ってしまうのか・・・

もし、自分だったら・・・

もし、自分の親だったら・・・

もし、自分の子だったら・・・

その時、自分だったらどうするのか。

どのようであっても、Fさんのお母さんのように

気高く、気丈な心を持ち続けることの難しさもあります。

Fさん、

たくさんの身内、友人、知人の方々に出迎えられ、

再会の感激でいっぱいの母上の姿は、

とても穏やかで神々しくみえましたよ。

折にふれ、Fさんのお母さんの思いを思い出したいと思います。

ありがとうございました。

= 最近の写真 =

葉の色が変わり出してから随分経ちます。
街の中でも、紅葉がとても美しい頃になりました。
遠くに見える山肌も、色とりどりのパレットのようです。
りんご散歩では、落ち葉が風で舞う度に、りんごは落ち葉を追いかけます。
ひきづられて転けないように必至の私です。(笑)

皆さんのところでも、紅葉していますか?

アガサ

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