一緒に住もう

優しさは親譲りなのか、本人の個性なのか、

経験から育まれたものなのか・・・

どれもが混ざり合っているのだと思える青年との交流です。

ある夜のこと。

( お!青年がおひとり、来られたなぁ〜・・・)

と思い、目だけそちらの方向を見た途端、

「 ワンワンワンっ!!!」

うちのワンコがと大声を放ちました。

「 あ〜、びっくりした!急にマジ顔で吠えんときさぁ。」と言い、

「 No!」と言いましたが、聞くわけがありません。

ワンコにしたら突然の訪問者に、ちょっと興奮気味中。

( かなんなぁ〜、この子は・・・いちいち反応して。)

私とワンコの反応がほぼ同時でしたので、余計にそう思いました。

まるで、自分の子ども時代を見ているかのようでした。

うちの家族達は慣れたもんで、「 誰か来たの?」とワンコに

話しかけるのです。(苦笑)

「 誰かの、誰か?」と私にもいつものように尋ねてきますが、

なんといいますか、あまり言いたくない気持ちがあるので

「 さぁ〜分からんけど、そうなんちゃうかぁ〜。」

と、関西育ち特有の受け答えをしておきました。(笑)

この翌日に、Kさんからご依頼のメールを頂いていました。

( Kさんのご家族だったのかもなぁ・・・)と思いながら

不思議といえば、不思議。

自然といえば、自然。

家族の強い繋がりにしみじみしていました。

お約束の日の前日、突如、体調不調をくらいました。

随分と体調も整ってきていただけに、ショック。

それも、交流のお約束がある前日に・・・です。

( なんで?)

と思うわけです。

けれども、不調のまま 交流に臨むことは 結局、

ご依頼頂いた方と来てくださる方に迷惑をかけてしまうのです。

日程延期のお願い連絡を申し訳ない気持ちいっぱいでしますと、

即日中に、優しいお気遣いのメールをくださいました。

「 痛っ!」

その部分を抑えながら、ふと不安もよぎるのです。

( ここ、私 悪かったかな?・・・アカンやん。ここは。)

と思いつつも、沸々と腹が立ってくるんです。

( どんだけ、この日を待っておられるか知ってんの?!)

誰に文句を言ってんでしょう、私。

それでも、文句を言わずにはおれないのです。
(ア:このことについては、数日後、”訪問者”が判明しました。難儀な体質です。)

” どんな思いで毎日を生きておられるか・・・”

訪問者が判明した時は、

( 思いやりってもんは無いんですか?!)と正直思いました。

思うと同時に、口に出してしまいました。

自己中心的理由による”横抜かし(割込み)” は、大嫌いなんです。(笑)

1週間延期をして頂いて、体調も万全。

よし!という思いで当日の朝を迎えました。

朝ご飯の食器も一応、洗って片付けておかないと・・・

と思いながら洗ってましたら、青年はこんなことを

話してくれました。

< (母は)いろいろと頑張って、ひとり我慢してます。

 我慢する気持ちも分かりますが、>

お皿を洗いながら、ふんふんと耳を傾けていたら、

< アガっさんみたいに、たまには言った方がいいのに

 と思います。笑>

ちょ、ちょっとぉ〜!

思わず、吹き出し笑いをしそうになり、ぐっと踏ん張りました。

( 私みたいにって、私 そんなに言えてませんよぉ。

 我慢してる方だと思いますよぉ。)

と言い返しましたが、ニヤニヤする他 ありません。

青年は純粋に思ったことを話してくれたので、余計に

笑えてきたんです。

おばちゃん、ウケた。(笑)

まいりました。(大笑)

そうして、準備も終わり、ちょっと寒かったので、

暖房器具を移動させようとしていた時のことでした。

< 持ちますよ・・・>

優しいその一言に、ジ〜ンと来るじゃありませんか。

御礼を言いながら、持ってもらいました。

もちろん、見た目は私が持ってるんですよ。(笑)

重い物がふわふわと動いて、目的地に設置されたら

びっくり仰天を通り越して、味をしめてしまいます。(笑)

まぁ〜、そんな不自然な事はもちろんありませんもんね。(大笑)

話がそれてスミマセン。

言葉数が少ない彼は、決して、感情が少ないのとは違います。

言葉数の多さと感情の豊かさは、比例しません。

それについては、ものすごく実感しています。

何をお伝えしたのか、9割9分 思い出せませんが

これだけは覚えています。

お母さんのKさんが涙ながらにお話しなさっていた際中に

同時に息子さんは、急ぐように話してくれた言葉、その思い_

< 一緒に住もう!>

彼は親孝行出来ていませんと仰っていたのです。

お母さんがおばあちゃんに成って、他界された後は、

一緒に住んで、いろいろな話をして、親孝行したいんです!

その気持ちが光速で、まるで滝に打たれているかのように

速く強く、私に話してくださったのです。

この言葉とその時の思いは、今も私の内にあります。

時間と共に霧のように消えていくのも仕方ないですが、

目を閉じるとあの時の、彼の思いが蘇るようです。

それでは、Kさんから頂いたメールの一部を掲載させて頂きます。

– – – – –

(略)

今日は◯年ぶりの交流を、ありがとうございました。
お約束の時間が近づくにつれ、心臓がバクバクしてきて
不安になってきましたが、アガサさんの声を聞いて一気に安心しました。
(ア:私もです)

アガサさんから伝えられる息子は、変わらず息子のままでした。
自己主張をしない思いやりのある、それでいて思慮深く純粋。
誰かの役に立つ希望を持って、勉強に励んでいる息子。
どこにいても、私の自慢の息子です。

最後に言ってくれた「こっちに来たら一緒に住もう」には、もう号泣でした。
(略)

私はこの言葉を支えに、もう少しこちらの世界で頑張れるような気がしました。
生きていくのは、もしかしたら辛い事の方が多いかもしれません。
でも、息子はちゃんと側にいて見てくれているのを信じ、母親の私も
息子に負けないよう、恥ずかしくない生き方をしなければいけないと思いました。

(略)

– – – – –

彼は親孝行をしたいと思っていることついては、

以前からお母さんに話しておられたとのこと。

孝行か・・・

思わず自分を省みました。私は、自分と家族達の日常で精一杯で、

親に孝行らしいことをしていません。

このままだと後悔するな・・・と思う回数が増えています。

それだけに、

Kさんの息子さんはとてもお若いのに、偉いなぁ・・・

つくづく、そう思いました。

特に母親は、こう思う方が多いんじゃないかと思います。

子どもの迷惑にはなりたくない。

自分の人生を歩いてほしい。

って。

ちょっとはね、強がりも入ってるんです。

成長したわが子に、幼い頃の面影を重ねてみえる時、

積み重ねた心配さえ、愛情深い思い出に思えて、しみじみするのです。

少しは気にかけてほしい気持ちも無いでは無いけど(笑)、

そういう素振りを見せたくないと思うのです。

そう思うのは、親としての愛情。

そんなふうに思っていても、子から「親孝行がしたい」と

聞かされたなら どんなに嬉しいでしょう。

どんなに 幸せでしょう。

想像するだけでも、泣けてきます。

親よりも先に子が他界する。

この現実は、非常に厳しい。

亡くした家族が 今 健やかでいてくれること、

大切な人が 今 穏やかで幸せを感じてくれていることを

願い祈るほか ないのです。

彼も含めて、他界された多くの人達が 私達のことを思ってくれています。

残したくて残したんではないのです。

人の心を失ってしまうのでは、ないのです。

他界には、裏切りなどありません。

物質界よりもずっと、自分の内面を実感するのです。

私達が今居る物質界のように、嘘や裏切りといったものは出来ない。

大事な人の他界を機に、この世での生きづらさに痛感される方々が

ほとんどだと思います。

私達の住む物質界は辛いことが多いと思っています。

もちろん、それだけではありませんけれど、私自身、

正直に誠実であればあるほど、生きづらさも増すような思いも

よぎっています。

けれども。

そこに思いとどまる気は、ありません。

心を込めて生きることで、そうした生きづらさや

不公平を感じてしまう意気地のない自分に(苦笑)、

これで良いんだと言い訳しているような・・・(笑)

それで良いんだと背中を押してあげているような・・・

そんな気がしています。

物質界で、いわゆる 勝ち組(今も言いますか?)な人達が

他界された後も そうであるとは 言い難いのです。

表面は良い顔が出来、語り口調も良く、外見が美しくとも

自分のことしか考えていない、思いやりに欠ける人達は・・・

大変だろうと思います。

物質的なもの(資産財産、肩書きなど)は、一切無関係だから。

大事な人、大切な家族は、元気でいらっしゃるのです。

そして、相変わらずの真心で 私達のことを思いやりいっぱいで

大事に思ってくれているのです。

私達がどんなに悲しくて辛くて淋しくても、思いやりに何の影響もありません。

真の思いやりが、” 足をひっぱる ” わけがない。

それが、真の愛情ってもんです。

暖房器具、持ってくださってありがとう!

嬉しかったです。笑

黒い服以外にも似合う色がいっぱいあると思いますよ。

気が向いたら、試してみてくださいね。笑

1/28追記:
Kさんに内容ご確認頂いた際に、ご自身の親バカ振りが読む方の
目にふれるのは恥ずかしいですとコメントを頂きました。私は、
とても自然な親心だと思いますし、他の多くの親御様の思いも
そうですし、実際、若く幼くして他界なさった方々はその通り
なのです。誇張でも褒めすぎでもありません。
ですので、このまま掲載させて頂きたく思います。

= 今日の写真 =

りんごは、子犬の頃から土や枝を食べていました。
初めてその姿を見た時、びっくりしましたけれど、
今ではもう慣れてしまいました。
道草も食べるし、道枝も食べるし。
あげくの果てに、道土まで食べる。
公道には何が ” かかっている ” か分かりませんから、
食べる度に注意をしてます。もちろん。


大丈夫そうな物かどうかを見て、(まぁ、それもよくないんですけど)
たまには、「まあ、いいよ」とは言います。
駄目駄目言い過ぎるとお互いにストレスになりますからね。
極たまぁ〜に、お母ちゃんから「いいよ」と言われると
りんごは、お腹をつけて食べます。

土や枝、葉から栄養分を摂ろうとしているのでしょうけど、
毎食作っている母ちゃんからすると、複雑な気持ちです。苦笑
散歩というよりは、食事(おやつ)感覚なんじゃないかなぁ・・・
呆れるわ、ほんまに。笑

アガサ

+3

2件のコメント

  • 「一緒に住もう」
    頼もしくて嬉しい言葉で、私まで胸が熱くなりました。
    最高の息子さんですね。
    学校という面においても。
    成績より心を育てる事を大切にしていても、学校で先生に好まれるのは要領が良く、何でもそつなくこなす子だったりで…。大人の目があるかないかを敏感に察知出来る子が人気者だったり、良い評価としてのご褒美をもらえたり…。
    本当に。社会でも学校でも、正直さや誠実さ、思いやりは生
    きやすさや勝ち組とは反対側にあるものなのか?と考えさせられる日々です。
    それでも!
    他界した後の続きがあるという事実が、いつも背中を押してくれています。

  • こんな嬉しい言葉はありません。
    こんなに胸いっぱいになる言葉もありません。
    伝える時に涙があふれてしまうのは、母としての様々な経験をさせてもらっているからだと思っています。
    子育て、家庭というのは、決して、楽なことなどありません。
    楽しい時もありますが、そうではない時も多いでしょう。
    それは、生きていくことに対してもそう言えると思うのです。
    結局、私達が見ているもの、聞いているものというのは何だろう・・・と思います。私が視ているもの、聞いているものは何だろうって思うのです。
    経験に基づいて物事の奥を見つめているつもりでも、心のどこか片隅に「表面しか知らないくせに。」といったある種の傲慢さを自分で正論化させているのではないかと内省することもあります。
    そういう時に、自分と向き合います。
    「そんなふうに知ったそうに言うアンタ(自分)は一体、どうなん? 何を視てるの? 自分を棚にあげて、他に求めているのではないの?」とそんなふうに自分に意見することがあります。(あははは)
    私達が他界した後、真の生活が待っているのだと思うと、ちゃんと生きないとと思います。
    日常生活において平穏ではない自分の感情を冷静に見つめないと・・・と思います。(苦笑)
    経験によって、あるいは、年齢を重ねることによって、良い面もありますが、そうではない面について思うことが増えました。
    経験したがために、知ってしまったがゆえの"何か"が心に幕をしてしまって、卑屈になっている面はないだろうか・・・自分は知ってるんだという傲りはないだろうか・・・沸いてしまった傲慢さや偏見などを持っているようではアカンなと思うのです。(大笑)
    他界なさった子ども達、若い人達のことは、本当に大好きです。
    物質界でひっそりと頑張っている耐えている子ども達、若い人達も、大好きです。
    自分よりも若い世代の人達が、少しでも毎日に「よし!」と思えるような・・・そんな世の中に少しでもなるよう、ちっぽけなオバチャンは毎日を大事に生きようと思います。
    何だか、わけのわからないお返事になりましたね。(笑)
    すみません。
    終わりというのは、ありません。
    一息いれながら、終わりなき旅(生)をゆっくりペースで歩みたいと思っています。
    会いたい家族、会いたい人との再会の瞬間は、言葉では言い表せません。
    本当に。
    涙いっぱい、胸いっぱい、愛情いっぱいですよ。
    アガサ

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