子ども達の感性 〜さくらの季節に〜

コロナで日本中が ぎゅっとなっていた今年の春。
新学期のことで、大人たちが いろいろ 考えていた。
あえて、このことを自分自身に声高く ふれなかった。

皆それぞれの思いや考えがあり、
自分は どう考えるのか・・・。



世界に日本を合わせなくても良いと思えることが
ある。

グローバルは大事な面が多い。
でも、心までは どうか・・・

私達日本人のほとんどは、桜に特別な思いがある。
人生そのものを重ねることが、ある。



“ サクラ サク ”

“ サクラ チル ”



昔の採用や合格通知、電報などに使われたそうだ。
歓喜と無念
人生 そのものだと思う。

望まない結果に ヤケにならず、
受け入れる強さを瞬間に、時間をかけて育む。
無念を受け入れるしなやかさが養われる。
たった5文字が 心まで届き、響く。

級友達との別れ
新生活の始まり
様々な決意

人生をこの桜という植物に、自身を重ねられる。
言葉で多く語るよりも、ひとりひとりの胸の奥に
しみこんでいる。

世の中が変化していくスピードは速い。
追いかけ追いつくことで、見失い祖末にすることが増える。

生まれ育った土地、国、
いろいろな思いをしながら生きているこの土地で
生きるということは、風土とも生きているということ。

それぞれの国(土地)に、多くの植物や動物が生き、
それぞれの風土に適合したものが生きている。
私達の日常と深く繫がっている。

いろいろあって、良い。
ひとりひとり、違って良い。
感性と心は個々に在り、住む土地から受けるものは多い。
日本で生きる者にとって 桜の季節は、大きい。
五感から受けるものが、第六感へと繫がる。

できるなら、
子ども達に自然との繋がりを感じるなかで、
感性を育んでほしい。
年を重ねるほど、子ども時代の感性が大きなものだと知り、
懐かしく思え、心と感性を大切に思えるから。



さくら



Sakura



どのような文字や言語で表現しようと
私達の胸の奥、
心で感じるのは、あの 桜の木だ。
幹が、どっしりとしている あの木だ。

人生に雨や暴風、酷暑、厳寒がやってきても
何がどうなっても、どっしりとしていたい。



昔、戦争に行かれた多くの方々は
会いたいご家族、
愛しい人を思い、
桜を胸にし、
闘いたくもないことを愛しい大切な人達のために
胸にしまい、
尊い命を捧げた。

“自分は、先人の苦労と葛藤と命の上に生きている。”
自分が苦しい時に、このことが頭によぎる。



風土と気候を意識した暮らしは 必要。
感性や生活をグローバル化する必要は、ない。
心に国境やグローバル化などは ない。
心は、自由だ。

いろいろな感性が ある。
それぞれの感性を 心から尊重している。

大切なのは、子ども達の感性を育むこと。
学習の主役は、子ども達だ。
先生でもなく、ましてや、親では、ない。

私達大人は、本当に大切なことを見逃さないこと。

時代を急くより、
子ども達の心と感性を第一に考えろと思う。
大人がすべてわかったふうに言うなと思う。

我欲の圧に脅える子ども達は、多い。
そうした子ども達の声があがるのを待つな、と思う。
大人が空気を読め。
恵まれない家庭環境、
無関心が幅を効かせている教育環境を整えろ、
と思う。

ご飯を食べれず、お風呂にも入れない、
文房具品も買えない子ども達が いっぱいいるんだぞ、
その子達の心を見捨てるな と言いたい。

グローバル化より、整えることはたくさん ある。
心を見つめろ、と思う。
大事なのは、子ども達の輝きを奪うな、ということ。
心は、時代の先読みよりも、大事なこと。



そんなことを思いながら、今年の春、
子ども達の心と感性のことを 思い、
私達大人が善き方向に向き直すことを願い、
そういう時流になってきたのだと思えた。

桜の季節。
日本に住む私達の感性と人生とに
深い関わりがある大切な節目のように
思う







アガサ

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