人生の舵取りは、誰?

自分の人生の舵取りは、誰?

思うように物事がすすまない時期、
悲しいことや辛いことが続く時期、
繰返してしまうこと、・・・
ありますよ。

こうしたことは、自分にだけ起こるのではなく
誰にでも、起こっていること。
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まずは、ここを認めること。
これ、重要。

誰しも、自分の人生や日常に不安は抱きます。
不安を経験しない人なんて、いない。

「あー、やだなぁ。なんでかなぁーーー」

というような思いは、誰もが経験しているのです。
人間である限り、誰もが皆、そう。

次に 移行する感情として、
「 じゃぁ、どうしたらいいのかな? 」
です。

原因を追求したって ほとんどは分からないもの。
“よく当たる”と言われている霊能者や霊媒や占い師に
バッチリ”当て”られても、それで物事が解決するわけ
では、ない。

「すごいよ、あの霊能者!」
「すごく当たりますよ、あの霊媒!」

本題を忘れて、
そっち方向に流れても どうしようもない。(苦笑)
自分の人生問題を見てもらうのが常になったら、
大事なものが鈍ってしまいます。
いろんな意味で、勿体ない。

本題は、
自分の人生の舵取りは、誰? ということです。

霊能者、霊媒、占い師、セラピスト・・・
といった類いの者ではないのは、確か。
ご先祖様、守護霊・・・といった方々ではないのは、確か。
どちらも、”自分”ではないのです。

自分が決めて、覚悟して、考えて、工夫して
「ようし!」と腹をくくって 生きていかない限り、
他界も守護霊も、私達の人生に手出しなど出来ないのです。

一時的な問題ではなく、
一生向き合っていかないといけない辛いことも多いでしょう。

それでも、私達は、
これも仕方ない、
これも自分だからと認めてやり、
時には、諦めることもあるし、
時には、開き直ることも必要だし、
誰も慰めてはくれない時でも、
自分で自分を慰め励ましてやること。

「じゃぁ、どういうふうに生きたいのか?」
と自分に問うてみること。

ストレスを出来る範囲で軽減してやろうと
それを実際に出来るのは、
霊能者や霊媒や占い師やセラピスト、
ご先祖や守護霊といった方々ではなく、
「他の誰でもない この自分なんだ」
こう認めてやること。

じっとして ラッキーを待ち続けてもやって来た試しもない。(笑)

そもそも、
やってきてても、それに気づかないです。
他人のアンテナ任せに馴染んでしまったら。
自分のアンテナを鈍らしてしまいます。
勿体ない。

幸せって、そんな楽にやってきません。

辛い思いして、苦しい目に遭って、
「あぁ、本当に困った・・・」と思いながらも
地味に、地道に、暮らす毎日。

それこそ、 働けど 働けど 暮らしは楽にならず・・・状態。
だからこそ、
人として生きていくなかで、
自分の人生が、自分らしく成っていくもの。

「よし、見ててよ!
 歯を食いしばって、生きるから、俺/私!
 一番大事なもの(心)、大事にすっから!」

こう言える、
こう言い切る自分に成る。

私は駄目だな〜 って思う方も多いかもしれない。
でもですよ、
弱いとか 強いとか、そういうのでは ないのです。

人生の舵取りは、誰?

ということをしっかり、自分がわかってるかどうか_
ただ それだけ。

不平を見つめて生きるも、人生。
小さなことにも感謝できる心で生きるも、人生。

どっちの人生を歩みたいのか、
どういう人生を送りたいのか、
すべては、「自分」が決めること。

自分が動かずして、物事は動かない。
他人が変わるのを待ったら、日が暮れ、年 取る。

霊能者、霊媒、占い師、セラピストが
私達の人生の舵取りをするわけではない。
代金を払わずとも、
自分のことをそっと気にかけてくれる、励ましてくれる人、
真実を見抜いている人が、あなたの近くに必ずいますよ。
「居ないよ、そんな人」と思っているなら、
それは心眼が鈍ってる状態。

自分のことを一番大事にしてあげてるのは、
「自分」だということをきちんと理解すること。

横たわっていても、ぼぉーーっと立っていても、
あなたを形づくっているたくさんの細胞達は
文句も言わず、
黙ーーーって、やることをやってくれているのですから。
褒めてあげないと、どーするの?(笑)
これ読み終わったら、褒めてあげてください、ご自分を。



人生の舵取りは、私だ!



こう 堂々と
心こめて、ちょっと声出して
自分に言ってあげてください。

やっと、気づいてくれたか!
それを待ってたよ!
って、 涙ながら、喜びますよ、
「自分」も、ご先祖も守護霊も。
それでこそ、本来の役目です。

他界しても、大切なあの人は、あなたを忘れたりしない。
親は子(あなた)を見守り、
子は親(あなた)と生きるのですから。
ね。



全方向、善し! 
ですよ。



偉いよぉ、言えたら。
(私は、辛い時ほど、言います。トイレの中で。)
いろんな意味で、スッキリします!



= 日常のヒトコマ =
唯一のおもちゃ、縄。
ホームセンターで買った縄を適度な長さに切って
これまた、適度に結び目をいくつか結んだだけの
手作りオモチャ。
歯磨きにもなるし、万一お腹に入っても出てくる。
綿100%だから、何とか安心。
先代犬達と違って、歯が・・・鋭いっていうか多いっていうか。
ま、うちのカワイコちゃんです。笑
+37

2件のコメント

  • アガサさん、こんにちは。

    今回の記事、私に向けられた物かと錯覚しました(笑)
    夫を見送ってから、まだまだ気持ちの波が激しくて死後の手続きも、夜には『明日やろう』と思いながら、朝になるとやりたくなくて放り出して手付かずの物がまだあります。

    アガサさんの仰る通り、そっと見守ってくれている人って確かにいますね。
    表立って動いてくれる人だけが良い人ではなくて(もちろん深く感謝はしていますが)、心を寄せてくださる人。
    『どうしてる?』と興味本位ではなく純粋に心配して声を掛けてくれる人。
    こうしてコメント書きながら顔が浮かんで来ました。

    そして私の細胞達も。
    何も言わず黙って私の為に頑張ってくれているのは細胞達!
    本当に目から鱗でした。
    その細胞達も私ですもんね。
    私の人生は私のもの。誰のものでもないと思いました。

    花が咲かないはずの植木に小さな花が咲いたのは、『頑張ってるじゃん!』って夫からのメッセージと勝手に良い方に解釈してみようかな~なんて。
    アガサさんの記事を読みながら、少しだけ前向きになれたような気がします。
    まずは細胞達を褒めちぎってみます!

    アガサさん、いつもありがとうございます。

    • 激暑の候、いかがおすごしでしょうか。ここ数日、家族の具合がよくなく、、、熱中症なのか夏風邪なのか、、、いづれにしましても、体調が優れないのは本人が一番辛く、こちらも心配してしまいます。コロナもそうですが、用心していても、いつ誰がなるか分かりませんのでお互いに気をつけましょう。
      さて。
      るる様がコメントをお書きになっておられた時に、顔が浮かんだ方には、必ず、何等かの良い空気が伝わっていると思います。感謝の思いが真に心に生まれますと、自分だけでなく、感謝の相手にまで届きます。不思議なことですが、自然のことです。ということは、その逆の状態も届く、ということですね。(苦笑)
      何となく、旧友の顔が思い浮かぶ、それほど仲良くなくても思い浮かぶ、、、いろいろな時があります。「皆、元気だったらいいなぁ」と思えるようになるには、長い月日がかかるなぁ〜と私自身を振り返ってそう思えます。長い月日を重ねて、辛い思い、悲しい思い、しんどい状態、、、様々な状態を経験するからこそ、人の痛みや悲しみを自分が経験した時のことを自動的に思い出せて、「気持ちがわかる」と成ります。ですから、励ましの言葉や慰めの言葉に深みがこれまた自動的に深まるのです。悲しみや辛さというのは、決して、自分を縮こませるものではないということです。
      それと、細胞達。
      すごいんですよ、とにかく。真面目。休み無く、活動していますからね、細胞達は。当たり前だと考えてしまったら、それまで。根性曲がります。(苦笑) 辛かった、あの、酷い皮膚炎。薬害でしたけれども。きっと、一生かけてゆっくりとマシになっていくんだと思っています。それを経験したおかげで、自分の身体を作ってくれている保ってくれている(年齢相応に)細胞に感謝せずにはおれません。頑張ってるな〜というよりも、自然の摂理に従って活動しているというところがスゴいなと思います。素直に感心してます。アガサ

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