伝わる、伝わらない

大切なご家族、大事な人の他界を経験した私達が
思うことのひとつに
日常すべてとは言わないけれど、
特記事項的なことが伝わってるのかなぁ・・・
知ってるのだろうか・・・
という思いがあると思います。

この思いへの返事を教えて頂いた交流を書き記したいと思いました。

大きな瞳で覗き込むように話してくれる女の子。
ご本人を前にして”女の子”とは言いづらく、
女子という言葉は個人的には苦手なので、
お姉さんという表現が失礼にあたらないと思えるほど
成長なさったのです。

子どもの成長に気付く時、嬉しいものの、ちょっと淋しさが
入り混じるのは仕方ありませんね。
親としての愛情、親しい者としての親愛の証だと思っています。

何度かご依頼を頂きますと、
ご依頼くださる方との間だけでなく、
大切なご家族、お方とアとの間にも親近感にも似た
お気持ちを投げかけてくださいます。
本当に有難く嬉しく思います。

毎回、話し始めるまでは緊張いたします。
親しき仲にも礼儀ありを大事にしていますので当たり前。
伝える者が少しでも惰性という意味での慣れを
無意識の中に芽生えさせてしまったら、終わり。
こう考えています。

交流を尊重し大切にしていますが、特別扱いはしません。
こうしたことを能力扱いと自惚れ、あるいは、
宗教じみた考えなど微塵もありません。
人と人との「会話」。
尊重と信頼だけがあります。

交流相手の方が子どもさんや女性の場合は、
「おしゃべり」のような気楽さをお持ちになって頂けるのは
嬉しい限りです。

いつもいつも自由に話せるから良いなぁ・・・
ではないのです。苦笑
こういう機会を与えてもらえる時だけ。
いつも、自由に話している霊媒や霊能者などは 相手にされない方が善いですよ。
ほぼ、地に足をつけて生きておられない自惚れですから。笑

話、それました。すみません。

交流も中盤を過ぎた頃でしょうか、
Kさんからあることを尋ねられました。
「今もずっと、命日にはお花をくださる方々に本当に有難いと思っています。
 娘は、このことを知っているのでしょうか?」

こうお尋ね中の時から、娘さんは即座に明確に
仰りたいことを表情も含めて示してくださっています。
まさに、以心伝心。(笑)

Kさんが「誰それさんから・・・」と仰ったら、
即、
< 知ってるよ、御礼言ったよ >
と嬉しさいっぱいです。

別のどなたかのことをおっしゃったら、
(アはご存知だろうなと思っておりましたら)
< 知らないよ >
こうおっしゃったのです。

不思議なのは、
娘さんが「知ってるよ」と言われた方からのお花は
長く長ーーーく、保つそうです。
Kさんがそう話してくださったのです。
しかも、毎年。

「知らないよ」と言われた方からのお花は、
あっという間にしおれるそうです。
こちらも、毎年。

びっくりしました。
へー、そうなんだぁ!!!と驚いている私達に、
娘さんは さらっとアッケラカンと
こう言われたのです_

< 心が伝わるんだよ >

数秒、ぽかんとしていたのですが
「 あーーーー、そっか! 」
と分かりました。
なるほど、そうだったのか!
すごく、納得しました。



私達は、物を頂くと 「わぁーーー!」 となります。
嬉しいですから。
物質重視、物質中心の生活ですので頂き物は
やっぱり嬉しくて有難く思います。


他界は、こっちでいうところの”物質”中心では
ありませんので、私達が”肉眼では見えない”ものが
主流というか、すべて。
それは、見え方が違えど、私達にとっても大切なもの_
心なのです。
真心。

「今年も、贈らなきゃ。。。」
お盆や年末年始などは、実際贈る贈れないにかかわらず
思う機会が増えます。
やらないといけない気持ちが大半を占めたまま行うと
他界には伝わらないようです。

どれだけ、心がこもっているか。

世間体や体裁、自分の印象を考えての行動や物は
どんなに高価で、
毎年であっても、
他界には届き難い。

物事が伝わる、伝わらない というのは、
心を以ているかどうか。

どうやら、他界では、私達が気付かない深いところが
伴っているかどうかが、重要なようです。

ただ、
これが「ルール」ということではないと思います。
娘さんの性格は、とても明確で明瞭で快活でスマート。
性格が影響していると、与えて頂いた交流経験から
そう考えられます。

ですが、
娘さんの言葉と心は、真っすぐで純粋です。
考える必要なく、心が納得するのです。
見事なもんです。

物を毎年くれるから、あの人は良い人だ。
言葉をかけてくれるから、あの人は親切だ。
いつもニコニコとしてくれているから、、、
良い印象を与えることは、ひとつの技術とも言えます。
(コロナでいろいろなことが見えてきましたよね。苦笑)

自分が行動する時、話す時、
知っている人であろうが、
通りがかりであろうが、
相手によって 行動を振り分けるのではなく、
誠実でありたいと思い願います。
毎日、ちょっとしたことでも、心を伴いたい。

善人でもない、聖人でもない私達だからこそ、
日常というのは、実に、様々な機会に包まれています。笑

心をもっていれば、物がなくても 伝わるってことです。
Kさんの娘さんは、大事な大切なことを教えてくれました。
本当に、大切なこと。



Kさんから頂いたメールの一部を掲載させて頂きます。
– – – – –

数年ぶりにお顔合わせしたとは思えないほど
最初から『ワーッ』と楽しくおしゃべりが出来て嬉しかったです。
肌トラブルも落ち着き、お元気そうで何よりでした。
(ア:副作用の皮膚炎も随分よくなりました。有難いです)

前回、交流をお願いしたのがいつだったか…
私も物忘れが激しくはっきりと覚えていないのですが、
長野に越される少し前だったと思います。
その頃と変わらず鋭い指摘をしてくる娘に
いろんな思いのこもった笑いが絶えない時間となりました。

きっとアガサさんは覚えておられないと思いますが
(ア:お察しの通りです)

娘は以前にも大勢で行動していると教えてくれました。
アガサさんの元へ1クラス分ほどのおともだちを
連れて来て驚かれたとも聞きました。
今も大勢の中で自分なりのお努めをしていると知り、
やり甲斐をもってイキイキしているだろうと
そんな姿が見てとれるようでした。

ここのところ『もう子供じゃない』と、大人扱いするよう
主人に言っていたこと
まさにその通り!と言わんばかりの様子が可笑しくて
主人に伝えたいところですが傷つきそうなのでやめておこうと思います。
(ア:それがよろしいかと存じます。笑)

父親にはいつまでも自分に甘えてくる小さな女の子の思い出を
大事にしてもらいましょう。
(ア:娘に甘いのが父親ってもんです。)

細かなところまでよく見ていて、
なかなか鋭い意見を放つのも変わりなく
その鋭さも哲学的な色も帯びて、
母は何も言い返すことが出来ませんでした。

今回はなつかしさを感じながら、
とても大切なことを教えてもらえました。
『心・気持ち』の大切さです。

娘の指摘は鋭くも、
娘なりの考えや気持ちがあってのもので、
心にストレートに届いてきます。
それは親だから、だけでなく、アガサさんも同じように
感じられているとのことで
気持ちのある物言いはグッと届くものだ、
と改めて教えてもらえたように思います。

私たちは、どうしても目に見えるものや形あるものにとらわれてしまいがちですが
他界された方には『心・想い・気持ち』がすべてだと教えてくれました。
頭では分かっていたつもりですが、娘との対話で気持ちが左右されていたことに気づかされました。

目に見えるもの・形がなくとも、想いは届く。
命日や誕生日といった記念日をうっかり忘れてしまうのは自然なこと。
心が離れたかどうかは別の次元。
私たちが判断する必要もなく、すべては他界された方たちには伝わっている。

今回もしっかり諭されてしまいましたね。
(ア:毎回、そうです。)

私が想う以上に大人になっているな~
嬉しいような 寂しいような
でもそれは、他界云々に限らず、目の前にいる子供たちであっても
見えている部分からは判断しきれない成長があると、教えてくれたようにも感じました。

子育てに悩んでいる方に何かが伝わるといいな~と
アガサさんの文才に期待して委ねたいと思います!笑
(ア:文才ですかぁ〜? 無いなぁ〜。大笑)

– – – – –

他界は不自然で不思議ではないのです。
むしろ、
この うつつの世の方が 不自然で不思議なことが
多いと思うのです。

心というのは、自分のことだけを考えていては 伝わらない。
相手のこと、周囲のことを考えての言葉や思いというのは
自然に心が伴う。
心を以ているからこそ、媚びへつらなくても、
自分を飾り立てなくても、
自然と 相手の心に、周囲の空気に伝わるのです。

そこに、
誠意があるか どうか。
心が発信してるか どうか。

そういう意味で、コロナ到来は、多くのことを
気付かせてくれていて、
他界の判断基準に、
このうつつの世が近づいてきたのかなと思います。





= 日常のヒトコマ =
愛息ごんです。
昨夜の夢で久しぶりに、本当に久々に登場。
もう1匹の愛息も登場してくれました。
全く知らないワンチャン達も登場してくれて
動物大集合!という夢でした。(最高!)
家族達の夢をほとんど見ない私ですので
嬉しかったなぁ〜
ありがとねぇ、みんな。
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