身ひとつ、心ひとつ

あいもかわらず 毎日バタバタとしておりましたら
2021年も 2月に入っていました。
一ヶ月も更新できず すみませんでした。
家族や私の体調を気にかけてくださり 有難うございます。
節分を迎えることが私にとりまして 大晦日のようです。
立春が新年。
ようやく 新年です。


何を書かせて頂いたこうか。
ふとよぎったのは、昨夜にやっとご返信できた「おしゃべりメール」。
加筆しながら、書かせて頂きます。


– – – – – 頂いたメールの一文 – – – – –
「のちに主人が迎えに来てくれるのでしょうか」と聞いたお返事が、
『誰か他の方かもしれないですよ』と言われました。


– – – – - アからのご返信 + 加筆- – – – –


ご住職がなぜそのようなことを仰ったのか、私には分かりません。
昔から知恵者として位置づけられていた職業についている方々
すべてがそうだとは思いませんが、なかには???な発言を
なさる方々も現実おられます。


どんなに修行?や高学歴?でありましても、無意識までは
“手”が届きづらい。
ですから、発言や行動の端々にそういうのが出てきてしまいます。
言い方を変えると、自分自身と向き合えていない部分は
出てきます。
政治家や芸能人、スポーツ選手をはじめ、教義を布教する仕事
の人達も、然りです。
そうした状態におられる人の発言や行動については、所詮、
自分が中心ですので、気にしないのが善いと思います。


真は、
ご家族様が、◯さんを大事になさっている。
◯さんも、ご家族を大事に思っておられる。
ここです。


迎えに行く、というのは極めて自然です。
逆の立場なら、どう思われますか?
書くまでもありませんね。
自然です。


時折、耳にしますのは、
「他界したら、家族は自分磨きに別のところへ行くのでしょうか?
本にも書かれていたり、スピリチュアルな講座でも聞いたことがあります。」
といった内容です。


交流を通して、知り得たことは、
他界というところは、修行の場ではないということです。
わかりやすく言いますと、今まで(物質で)わからなかった
気付き難かったことに気づく、
自分を見つめる、ということです。


自分を高めるということは、良いように聞こえますが、
果たして、どこまでのことを、何について、
自分を高めることなのか・・・です。


一番大切で重要なのは思いやりであり、愛情です。
これこそ、自分を高めることだろうと思えます。
「自分を高めること=修行、苦行」ということならば、
特別意識であり、我欲だと私は思うのです。


日常生活こそ、最高の修行と思っています。
どこか特別な、日常とはかけ離れたとこでしか、
日常とかけ離れたことでしか、
自分の心や精神と向き合えないのは不自然。


家族を思い、身近な誰かのために踏ん張ること、
誰も直接褒めてはくれなくても良いんだ、
決してやりたい仕事ではないけれど、
家族のために、肉体を保持するために努めることこそ
尊いと思えます。


親も知らない、兄弟姉妹もいない、天涯孤独の方もおられます。
でも、地道に誠実に生きておられる方々も多くおられます。
人生において、大切なことはご住職であっても、有名著名人や
専門家であっても、自分次第だと思うのです。
皆それぞれに、それぞれの人生を歩んでいるのであって、
人生の名人とか達人といった人は存在しないと思います。


損得勘定なく、愛情(思いやり)を大事にすること。
これは、自分の心を温めます。
好きな人にだけ、知っている人にだけ、では、温まりません。
心に従うことで、温かみが増すと思えます。


些細な事を大事にすること。
自分の気持ちを大事にすること。
自分の気持ちと向き合うのは一番難しい事です。


自分の気持ちと向き合っていないのに
人様や動物達に慈しみを持てることはありません。
綺麗なとこしか見ておらず、
きれいごとしか言えないから。
自分の醜い部分、弱い部分、、、
こんな自分は嫌だと経験することほど、大事です。


一方的でない状況(自分にとって不都合)でも
相手を心配したり、思いやるのはそうは出来ないです。
情ということです。
情けをかけるということです。昔風に言うと。


愛に情を持てるようになるのが大変。
いい事ばっかりではないのが日常。
だからこそ、深い愛情と成りえるのです。


辛いことも悲しいことも、ムカつくことも、あります。
それが日常。
いろんなことがあるからこそ、心が深く豊かになっていきます。


辛いこと、悲しいことを経験し、心に傷がつくからこそ
深みが出てきます。
意図的にはできません。
修行で、こうはなれません。


日常生活とかけ離れた生き方では、人の気持ちは分かりません。
自分を上と思っている(無意識も含め)時の言葉や行動は、
相手に不安や疑問を与えます。


どうぞ、
あなたの大切なご家族、大切な人を素直に愛して頂きたいと思います。
肉体の有無で、大事な人の愛情や信頼まで疑ってはなりません。


肉体が在っても、薄情で、浮世離れして、ええ格好する人達は多くおられます。
苦労して、踏ん張って、思いやりを育んできた人の行動や言葉は
多くを説明しなくても、空気から伝わります。
心で判断できるのです。


大切な人との信頼関係や愛情は、あなたが一番お分かりになってます。
大切なご家族、大切な人と、ご自身を信じること。
淋しく切ないのは、当たり前です。
悲しい時は悲しいです。
逆立ちしたって(出来ないけど)、涙が出て自然です。


人を肩書きで判断しないこと。


私たちは誰もが、身ひとつで生まれてきてます。
そして、誰もが、身ひとつで他界します。
肩書きなんて関係ないのです。


身ひとつ、心ひとつです。






アガサ
何年前の写真でしょうか。食べたい「犬パン」を食べていた途中に「待て!」と言われて、この目つき。
淋しくたって、ごんが消えてなくなったわけじゃない。他界したって、私の息子には違いない。強がりでもなんでもいい。愛情が無くなることはないのです。

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1件のコメント

  • こんにちは。
    夫が他界してから一年と少しが経ちました。どうしているのかと逢いたさが募り、タンスの中の夫の畳んだ服を触って、悲しさ寂しさに胸が痛くなったりしていました。今日のアガサさんのお気持ちを感じて、夫を信じてまた少し暮らしていけそうです。
    ありがとうございました。

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