霊媒に依頼するかどうか
心で大切に思っていた人の他界を経験しますと、
ただただ悲しく、
その方が無事でおられるかどうか・・・
痛みや辛さや無念はないだろうか・・・
といったことを思い、
我が身の悲しさもあって、
「 会いたい・・・」
「 存在を感じたい・・・」
と思うのが自然です。
同時に、
「 もっとああしてあげればよかった・・・」
というような自責の念にかられます。
そうしたことから、
霊媒に依頼する___
というような考えが浮かぶのかも
しれません。
それを我欲とは思いません。
私が我欲と思うことは、
“会いたい人以外は、認めない。どうでもいい。”
“会いたい人を呼んで!”
といったものです。
キツいことを言うようですが、これは自分本位です。
霊媒というのは、特別な人間ではありません。
普通の人間です。
それを特別扱いする霊媒自身や、周囲の方々が
物事の真理を見つめねばならないのです。
” アガサさんを紹介されました “
とおっしゃる方々が多くおられます。
紹介された方は、
私が “普通の感覚の人だから”、
ということで安心されてご紹介されたのだろうと思います。
心で大切と思っていた人の他界が
悲しいのは事実です。
皆、そうです。
ただ、
我が身の悲しさに溺れていてはなりません。
そこには最愛の人への愛が成りを潜めてしまうから。
悲しさを認めつつも、
辛さを感じつつも、
ご家族やその方と出会うことが出来た縁に
心から感謝できるのならば、
悲しみもいくらかは和らいでくるように思います。
” あぁ、この人と出会えて良かった。”
” いろいろあったけど、良かった。”
そう しみじみ出来てきますと、
悲しみでいっぱいだった心に
温かみが差してまいります。
それこそが、あちらの温かさです。
他界された方と繫がるのは、
霊媒や霊能者で繫がるのでは、ありません。
特別な能力だけが繫がるのでは、ありません。
悲しみのなかに在っても
ご自身のそうした穏やかな温かい思いが、繫げるのです。
心と心で 繫がるのです。
霊媒や霊能者が必要なのではありません。
そうした本や講座を受けることが
必要なのではありません。
必要なのは、
穏やかな心。
温かな心。
それらは、特別なことで得るのではなく、
平凡な日常からです。
この三連休は、前橋へ出張に行ってきました。
お世話になっているお家の屋上から赤城山が見え、
それはそれは美しく雄大でした。
ありがとうございます。