偽善
先日、知人と会いました。
しかも、突然、会うことになったのです。
何やら、習い事先への不信があり、
親切に教えてくださる方がたまたま今日来られることになり、
とのことで、同席することになりました。
「 へぇ〜、親切な人がおられるもんですね。良かったですね。」
「 そうなんですよ。」
と互いに話していました。
その親切な方が来られる前に、空気がざわざわ し始めました。
( なんで、空気がざわつくのだろう・・・)
親切な方が玄関に到着され、声がしました。
( あ・・・空気がざわつき具合がMax・・・)
( 親切な人なのに、なぜ?)
そう思いながらも、静観していました。
常に、丁寧に 親切に おっしゃる。
けれども、私には、” 親切な人 ”の言葉の端々に、
ダークなものがあふれ、
言葉に 重みが感じられないのです。
( この人、口先だけで話してる。)
( あれ? なんでそう思うの? 私。)
( いやいや。勘違いかもよ、私の。)
親切で 丁寧で 謙虚な言葉が数珠つなぎ。
なのに、室内の空気は澱み続け、
軟弱な私は、居てもたっても居られない程の重さに
耐えるのに必至。
遠くの景色を見ようとしたりして
重さに打ち勝つよう、静かな努力をしていました。
人を騙す瞬間、その一連の流れ。
現場を目の当たりにし、我欲はなんと 浅ましく
” 偽善 ” という真綿で ターゲットをくるんでゆく様に
開いた口が 塞がりませんでした。
延々と その ” 親切な人 ” は 知人に話し続け、
親切を装った” 目的 ” へと近づき、お帰りになりました。
知人は、私が こうしたことをしていることを
一切知りません。
言うつもりもありません。
その後、知人から、「どう思う?」と言われて初めて
私の感想を話しました。
感想の観点は、現実的視点から、のみ。
オーラがどうこうなんて 言いません(大笑)。
すぐ、オーラが・・・なんて言うのは
今の時代、薄っぺらく聞こえます。
いやぁ〜、それにしても スゴかった。
相手が何も知らないと思って、
それを良いことに、
専門用語を並べ立て、
私はこういう資格を持っています、
取得しているのは人数が少なくて、、、
などと 全く関係のない話までされ、
いかに 自分が人に親切で、信頼が厚いのかを
ご自分でアピールされる姿は
誰が見ても ブルッとしますね。(苦笑)
偽善って 浅ましいなぁ・・・
しっかり者で頑張り屋さんの知人が
” その気 ” になりかけてゆく流れを見て、
日本で大きな社会問題になっている、
振込め詐欺 が頭に浮かびました。
迫真の演技なんでしょうね。
自分は騙されない!
騙されるのは云々、と思っている人も多くおられますが、
油断しない方がいいと思います。
いつ なんどき 何が起こるかわかりませんが、
一瞬の ” ん?”
というあの感覚って 大切です。
” ん?”
それを 信じた方が 良さそうです。
口八丁手八丁 という諺が正しいかどうか わかりませんが
鮮やかで、用意周到です、そういう方々って。
” ん?”
と思ったとき、まずは、一呼吸置くこと。
これは 大事だな〜と思いました。
皆さんも、どうぞ、お気をつけ下さい。
愛犬との散歩道になにげなく植わってある木。
みかんの木なんですよ。
花もみかんの香り。
葉っぱからも、みかんの香り。
今はもう少し成長しましたけど、この季節の成長は速いですね。
それにしても・・・
知人に突然会うことになった数日前に
あちらかの突然のお客さんが来られていました。
前々日と前日。
(誰だろう・・・なんだろう・・・)って思ってましたら、
こういうことがありました。
もしかすると・・・他界されたお父さんだったかも、しれない。
証拠を確認していませんけれども、きっと、娘の心配をされたのでしょうね。
知人と別れた日には、” 来客 ” はありませんでしたもの。