身体が震える判決

よってたかって 一人の命を奪う。

残虐なやり方で。

他人の私でも、身体が震えるほど

腹が立つ。

腹が立つ、という表現では

表現できないようなことが 日本で増えてきた。

身体が震える判決。

法律的なことも全く知識はないけど、

人としての常識は 持っているつもり。

裁判とは、

罪を裁くところだと思っていた。

バランスをとるところでもあるのかと

思っていた。

優秀でキャリアをお持ちの方々が

そう判決されたのだが、

10年や15年で、

残忍な行為と 奪われた命のバランスが

とれるのだろうか???

日本の刑罰は残虐なことに対して、

他国の判決と比べると驚く程、軽い。

陰湿で執拗な残酷な内容に変貌していても。

” 罪を憎んで、人を憎まず。”

到底、私には 無理な教訓。

わが子をそんな目にあわされて、

「 有難うございます。はい、わかりました。」

と言える親が この世界に居るのだろうか?

時間の流れや深さは、

被害にあった者と加害者とでは 全く違う。

残酷で残忍な行為に及んだ者が

後々、書籍を出版したりするケースもあったようで

それが「 更正 」の現れとでも言えるのだろうか。

少年法は、更正する、させたいという目的が

あるのだろうけど、その目的は達成しているのだろうか。

人の命を無惨にも奪う行為に、年齢は関係ない。

” 寄ってたかって、一人を攻撃する。”

卑怯の塊。

ここでどれだけ加害者達に言葉を並べても

彼らにとっては 痛くも 痒くも ない。

被害にあわれた側は、実名を公表され、

プライベートをさらけ出される。

詳細がわかってくるまでは、

ご家族への非難や中傷の槍が

投げ続けられただろう。

今も そうかもしれない。

かたや、

加害者側の名前は、公表されない。

インターネットで調べられる時代でも、

公表は されない。

人を殺しておいて、公表されない。

“よってたかって “、殺しておきながら。

憲法を変える必要がある_

国のお偉いさん方は 血眼。

自分たちの首をつなげることで 頭がいっぱい。

お金をもっともらうことで 心がいっぱい。

選挙に勝つことで 手いっぱい。

下を見たらキリがない、と思う方もおられるかもしれない。

そんふうに出歩いてるからだよ、と思われるかもしれない。

親がしっかりしていないからだよ、と思われるかもしれない。

そうした他人事のように言う心_

無関心さが

社会の歪みを 作っていると思う。

大震災のこともそうだが、

自分に直接関係のないことは 風化されてしまう。

節電している家は 減っているだろうし、

原発再稼動も 国をあげてやってる。

自分さえよければ、他人はどうでもいい国、日本。なのか?

一人の人間として、何も出来ないけれど

ご家族のことを 祈らずにはいれない。

あまりにも 気の毒過ぎる。

あまりにも・・・。

ただただ 祈ろう。

※2/12追記
メールやコメントを頂きました。
うんうんと頷きながら拝読致しました。
祈りというのはとても消極的なかよわいことのように
思われがちですが、決してそうは思いません。
思いやりの気持ちはとても強く、大きいのです。
ありがとうございます。

+1

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Translate ≫