雨降って、地固まる。雨のち晴れ。
自分が大事に思う人や信頼していた人が、
自分に嘘をついているのではないか・・・
そんな思いがまとわりついてしまった時、私達はどれだけ
自分の感情に振り回されてしまうのでしょうか。
そういう事態になっていない時に想像する自分と、
実際、その渦中に落とされてしまった自分とでは
大きく違ってくると思います。
果たして、実際起こった時にも冷静に持論通り
自分を保てるでしょうか?・・・
私の場合は、無理だと思っています。
動揺することは避けたいと願いますが、やっぱり、人間ですから
動揺するのも自然だと思うのです。
覚悟が足りない、考えが甘い云々ではなくて、そこは、
やっぱり、人間なんだと思うのです。
まずは、
Mさんから頂いたメールの一部をお読みください。
– – – – –
(略)
「散歩や買い物という日常が幸せだったとご主人が言ってらしゃいます。」
とアガサさんから伝えられるその言葉でやっぱり主人だと思いました。
特別なことは無くても一緒に居ることが幸せでした。
仕事が忙しく、出張が多い人でしたので、愛犬と過ごすお休みを大事にしていました。
○月に主人が亡くなった頃は、喪失感と裏切られていたのではないかという疑念とで
夜も眠れず、気が狂ったように主人の携帯や手帳などを見ていました。
それがさらに自分を追い込み病気もしました。
熱があっても気がつかず、腎盂炎になっていました。
その頃のことが時々フラッシュバッグし辛かったのですが、今年に入り、
主人との生活は幸せだったし、大事にしてくれた◯年間は嘘では無かったと
思いたいと思うようになりました。
この頃、アガサさんのブログを拝見しました。
(略)
アガサさんに主人のことを聞き、信じたいと思えました。
(略)
主人が病気になってから来てくれた愛犬も主人に寄り添い
今は私に寄り添ってくれています。
この子のお陰で私は乗り越えて来れたんだと思っています。
もちろん主人も支えてくれていたと思います。
主人には今、生活できていることに感謝しています。
(略)
心が軽くなりました。前を向いて生きて行けそうです。
– – – – –
何度も申しますが、交流に来られる方から嘘を言われたことは
ありません。
私が他界を盲信することはありませんが
先入観という色眼鏡で見ることもありません。
ご依頼人、他界の方、どちらかを依怙贔屓することもありません。
カチッと音がするほどの本当かどうか、です。
Mさんのご主人は、家庭を守り続けてくれた妻に感謝の思いを
深くされていました。
ご主人は、
<私が仕事が忙しくてもやってこれたのは、妻が家庭をしっかりと
守り続けてくれたからです。親のこともあり、苦労をかけました。
本当に感謝しています。>
とおっしゃったのです。
今の時代、結婚相手の親を看るというのは珍しくなりました。
そんな時代であっても、妻が自分の親を看てくれることが
どれほど大変なことなのかというのがご主人はわかっておられたのです。
交流を続けていくなかで、Mさんからあることを伝えられました。
悲しみにくれるその最中に突然起こったことによって、ご主人への
疑念が浮上してきたのです。
「 私は本当に主人のことが大好きなんです。」とそうおっしゃれる
Mさんですから、相当のことだったと想像するのは難くありません。
信頼しきっていただけに、ボキッと折れてしまわれたのです。
ここで私が申し上げておきたことがあります。
「そうだとしても携帯や手帳を見るなんて・・・私ならそんなことしない。」
というお考えの方もおられると思いますが、
そうしたことは考えないで頂きたいのです。
人を本当に理解する、思いやりを持つ、公平な心の目を持つ、
というのは、人様のされてきたことに対して批判的に独自的に
意見することではないのです。
どんなにお辛かったでしょう、
どんなに苦しかったでしょう、と同情ではなく、
相手の心を慈しむ気持ちが大切なのです。
(批判や非難は、簡単に誰にでも出来、自分の心さえ蝕みます。)
ご主人は誠実に心から話されました。
きっとご主人も妻がそういう疑念を持ち、病を患ってしまう程
苦しんでしまうとは想像もされていなかったと思います。
真実ではないことで、ご夫婦それぞれにお辛かったのです。
他人様の何気ない行動で、傷ついてしまうことは
私達の日常にあります。
だからとって、傷ついたままでいるのは違いますね。
声をあげなければならない時もあるし、
頃を見計らって、静かにしている時もあったり。
交流も終わる頃、Mさんのお声は違っていました。
誤解が解けて、ご主人もほっとされていると思います。
雨降って、地固まる。
雨のち晴れ。
アガサ