愛こそ すべて。
しばらくして、来られたのは
目の綺麗な男性でした。
朗らかで穏やかな人。
いろいろなことを体全体で表現され、
伝えられるまま、伝えるのですが、
どうしてそんなにこだわられるのだろう・・・
と思うほどのこともあったり。
自分だとわかってほしいために
辛かっただろう健康状態も伝えてこられ、
” もう十分ですよ ” と心の中で
一瞬思ったりも しました。
私としては、
できるだけ辛い状態の時のことは
触れなくてもいい_
そう思っているのです。
辛いことは、話さなくていい。
思い出さなくていい。
証拠のひとつとして、
他界理由(健康面)があるようですが、
これはちょっと私の中では
こなれない。
必要だとは思えないのです。
こちら側にとって、確証を得るためとはいえ、
辛い思いや、こちら側が選んだ質問_
答えてほしいことを限定させることなど
不自由な思いは してほしくないのが
私の信条です。
でも、どういう表現をされようとも
ご自身がそう伝えることを選ばれるのですから
私が伝えない理由など ないのです。
そうして、
ようやく” 自分 ”だとご依頼人さんの心が
そう認め始めるのを知られてか、
伝えたいことをお話しになります。
深い思いを伝えてくださった中で、
まるで映画のように観えたのは_
「 君が台所に立っている時、
僕は、君の髪に触れているんだ。」
息をのむ表現でした。
日本の男性にはない表現だと感服しました。
感極まる思いをお話くださり、
もうこれ以上は書けませんし、
正直なところ、
あまり思い出せません。
(でも、それでいいのだと思います。)
とても美しいキラキラした目の方でした。
後日、メールを頂きました:
(ご依頼人さんは海外在住、とのことでした。)
主人が亡くなってすぐにイギリスのミディアムともセッションを
してもらったのですがやはり日本語で受けたいと思い探していた
ところアガサさんにたどり着いたのです。
アガサさんのブログの言葉を見れば見る程、本物だし、
信用のおける方だなあと感心し、また、ご縁に感謝しております。
今回、○への気持ちが聞けた事がなによりの収穫だったと思っております。
(中略)
姿が見えない事=寂しい、悲しいとなってしまうのですが、
形ではなく心なんだ、と気持ちを切り替えられるよう意識していこうと思ってます。