姉妹仲良く
ご依頼を頂いてから、双方のスケジュール調整により
” ご機会 ”を迎えられたのは、一ヶ月半ぐらい後。
ご依頼くださったMさんが インターネット検索で
星の数ほどある中から・・・検索で埋もれている私を
見つけられたのは、偶然にも「母の日」だったそう。
その他にも様々な ” 偶然 ” が重なった日でも ありました。
– – – – –
父が亡くなって○年、母が亡くなって○年、
ずっと話をしたい、考えを聞きたい、
長すぎる間、ずっと心に願っていたことが、
ようやく叶った素敵な時でした。
(略)
– – – – –
最愛の家族が他界すると、ほとんどの人が
悲しく、辛い日々を迎えます。
人生の選択を迫られることが多い年頃に、
大好きで尊敬している両親を亡くすことは
本当にお辛かったことだろうと思います。
10年以上もの長き間、
生きることに必至だったろうと思います。
これでいいのだろうか・・・という不安も
もちろん あったでしょう。
ひたすら、心の中にいるご両親を感じながら
その機会を 得られたのだと思うと
言葉には出来ない思いが 私の中で巡りました。
” 一人っ子ではない分、よかったじゃない?”
と思われる方も なかには おられるかもしれない。
けれど、どういう家族構成であったとしても、
家族を亡くす悲しみや辛さは、
人数分で軽減できるものではない_ こう思っています。
おふたり(姉妹)にお会いする前に、
健康状態を伝えられました。
しばらくすると、先程伝えてこられた方とは違う方が
身体の状態を伝えてこられました。
この日は、
長年会いたかった、話したかったご両親と
親戚のおじさんが 来られました。
お三方はそれぞれに話したいことを話されました。
メインは、やはり、ご両親。
「 伝えたいことがあるようなので、お待ちください。
・・・ん? そうですか。わかりました。
Mさんから順番に話されるそうです。」
おふたりの空気感が 安らぎに満ち溢れました。
伝えている間、ずっと。
自分の番だけのことに関心を持つのではなく、
姉妹それぞれについて、自分のことのように
心と耳を傾けておられる姿が 私に” 栄養 ” を与えて頂きました。
( おじさんもお話になりたいでしょう?)
そう言いますと、
<・・・○○○・・・>
とおっしゃいましたので、
姉妹のおふたりに、
「 この方が『 ○○○ 』というお名前をおっしゃいましたが
ご存知ですか?
ご存知なければ、きっと私の聞き間違いです。」
おふたりは目を丸くされて、互いに顔を見られ、
「 おじさんの娘の名前です! びっくり!」
「 そうですか。おわかりになるなら、良いですね。
おじさん、素晴しいですね。」
そうこうしていましたら、もうひとり、
来られていました。
ご自分らしいことをなさって。
お盆と関係あるのでしょうか?
嬉しくも忙しい ” ご機会 ”でした。
では、
いつものように、頂いたメールに助けて頂きます。
– – – – –
(略)
父も母も口調や雰囲気はまったく変わっていませんでした。
私たち娘にメッセージを伝えるときも三姉妹の上から順番に…
というところでさえ、生前と変わらずそのままです。
父が寡黙ながらも最後に本当に大切な言葉を伝えてくれるところも、
母がいつも明るく笑ってはしゃいでいるところも、何一つと変わらず…
両親があちらの世界でも仲良く二人で一緒に、幸せにいてくれて
とても嬉しかったです。
何しろ、本当に仲の良い夫婦でしたから…。
私たち三姉妹の日々の生活もよく見てくれてるんだなぁ、と実感しました。
気持ちの面や体調のこともよく察してくれましたし。
(中略)
私たちはこの二人の両親のもとに生まれたこと、娘でいられること、
本当に心から感謝しています。
(略)
まさかアガサさんのご自宅から偶然にもこんなに近いとは知らず、
(供える)お花も用意できなかったので、
ただただ強い日差しの中、墓前をピカピカに磨いていました。
(略)
なかなかお盆の時期に葉山までお墓参りには来れないので、
祖母も喜んでくれたのだろうなと思います。
父と母の言葉は忘れないようにメモを残しました。
それはお守り以上に大切な私の確かな支えであり、
世界一の宝になりました。
(略)
– – – – –
お墓参りも兼ねて、葉山の方に来られたおふたり。
そのお寺さん近くに、私が住んでいたことも
おふたりにとっては 嬉しい偶然でした。
本当に 良うございました。
アガサ 葉山在住
~天国の人々の思いを伝えています~
天国との対話(霊交信 / 霊界通信)